26.津波 in チェンナイ


■□■ある朝の混乱■□■

2004年12月26日、日曜日。村のシャンティ一家とクリスマスを共に過ごした翌日の出来事だった。

村からチェンナイに到着し、海から約2キロ程離れたホテルに向かうオートリキシャの運転手が、「通行止めだから行きたくない、他のホテルを紹介するからそこに行ったらどうか」としきりに勧めるのだが、ホテルの斡旋ではないかと思っていたために、話を無視し、予約してあるホテルに向かった。

その道中は通常の日曜日とは異なり、全ての店のシャッターが閉まっていた。警官がやたらに多く、救急車やパトカーのサイレンが鳴り響いており、道路に生じた亀裂には木の幹が突き刺さっていた。「6年振りのインドは発展しているだろう」と勝手に考えていた私は「おかしいな、道路事情が6年前より悪くなっているなんて・・・」と思っていた。何となく、通常の街の状態ではないことに、おかしいと感じたが、私は特に気にしなかった。しかし道路が封鎖され、目的のホテルに向かうまで遠回りをしなければならなくなり、もしかしたら暴動が起きるのかもしれない、もしそうなら逃げなければならない・・・と考えていた。タイミングよく、オート運転手の「ほら、反対車線は海から逃げてきて渋滞しているだろう!?この車線は海岸に向かうから空いているんだよ」「水がここまで来るんだ」と、手を高く上に上げた姿を見た時、ホテルを変えようと決心した。反対側車線はオート、タクシー、自転車、人、の大混雑で、それに比較すると私の車線はポツンポツンと車が通るだけだった。しかしその決意の時は目的地に到着してしまっていました。オートの運転手は「BBCを観てごらん」と言って去り、私はすぐにホテルの部屋でBBCをつけ、何が起こったのか、そこで初めて知った。津波が発生した1時間後のことだった。

■□■支援について■□■

チェンナイ滞在中は、TVや新聞などの報道は全て津波一色で、死体の映像も次々に放映されていた。大きな穴を掘り、そこに次々と死体を投げ入れる映像、泣き叫ぶ家族、途方にくれる住民たち。食糧、飲料水、衣類、住居などが不足しており、特に両親を亡くした子どものケアが緊急課題となっている。報道を目にする度に、チェンナイ生活者として、津波を身近に感じ、心を痛めた。6年前、よく、村のプロジェクトから帰ると、マリーナビーチに行こうと言ってスタッフたちと休息しに行ったビーチが、惨状の現場になるとはとても大きな衝撃だった。インドは暑いため、早朝または日没後がビーチが賑わう時間である。海岸に藁葺きの家を建て、そこで生活している人もいる。そのために、被害も大きくなってしまった。

現地でTVを観ていたら、海外からの食糧支援が配分される状況は、ヘリが着陸する前に待っていた人達がヘリに駆け寄り、待つように阻止する米軍を押しのけてダンボールごと持ち去って行く(奪っていく)光景が多かった。その傍らで、ダンボールを持ち去ることができなかった人達が立ち尽くしていた。一方、インド国内のある支援機関は、現地で食事の準備をし、そこに人々が順番に並び、学校給食のように順番にライスやサンバをプレートに乗せている映像だった。そこに奪い合いがなかったのが印象的だった。

その映像を眺めながら、NGOに資金を渡し、その団体が関わっているいくつ もの村ごとに資金配分をしてもらい(もちろん現地の人達に)、その使途は、例えば村のグループで話し合いながら決めてゆくことはできないものかと考えた。緊急援助の食料、衣類、住居なども、村にはなかなか行き届かないようだ。国と国レベルの支援も必要であるが、今、必要なのは、一人一人に対する支援であり(水、食料は生死に関わるので)、それがどういった形で行われるのかと考えると、現地のNGOや住民の力を信じることではないだろうか。状況把握ができず、普段の現地の人々の生活もわからないままに金額だけを考えていては、支援が行き届かない人々が増え、非衛生的な環境の中で病気になり死亡する確率も上がってしまう。

私は、阪神淡路大震災のボランティアの経験で、主要な道路がいち早く復旧してその周辺は日常的な生活を送れるようになっていたにも関わらず、少し奥に入った公園では、未だにテント生活が続いており、(避難所に居ないために)食糧も配給されず、コンビニから賞味期限が切れたお弁当をもらってきて食べていたことにショックを受けたことがある。あの光景は未だに忘れられない。現地でもそれに似たことが起きて、しかもその差は激しくなるのだろうと思い、そうならないための活動はできないものかと考えている。

■□■改めて考えたこと■□■

帰国してからTVをつけると、インドほどの報道の量ではなく、「少し離れた者としての報道」のようで寂しく感じた。現地では、国内、海外のレスキュー隊の中継をしていたり、村の人々の惨状を常に伝えている。運が良いのか悪いのか、今回は健康で体調も良かったのだが、その代わりに津波という世界的な事態発生時に現地に居たということで、安全に帰国できたことに感謝すると同時に、「遠い国のこと」として捉えるのではなく、24時間、津波の話題が絶えない中で生活をしながら、事態のひどさと救援活動を目にし、生きること、一人一人に何ができるのかもう一度考えるという機会になった。そして何よりも私は、NGOと関わりがあるのに、何もできない、帰国しなければならないもどかしさで一杯だった。


■ 次回は・・・帰国後〜一人ひとりが考えること〜