25.<続編>2004年・冬・6年ぶりの訪問


■□■2004年12月■□■

あれから6年が経過した。私は大学院を修了し、いくつかの仕事を経験している。インドと直接関わらない生活になったが、私はいつも、「第二の母国」として、感謝の気持ちを忘れることがなかった。

2004年12月、私は年末年始を含めて3週間、再び農村に滞在した。今回は、10年前から数回に渡り滞在させていただいたヘルスワーカー宅にお世話になりながら、ヘルスワーカー(女性たち)のお話を聞かせていただいた。そのきっかけは、「村の住民のエンパワーメントというが、それに関わるワーカー自身も力をつけているのではないか」という疑問だった。村のプロジェクトは決してスムーズに進むことなく、時には停滞したり、中止になることもあり、それらに対して臨機応変に対応するワーカー自身も、村の発展に伴って成長するのではないかと考えたのだった。

■□■力をつけた女性たち■□■

どの女性たちも「ヘルスワーカーになる前は、村も、私自身も最悪な状態で、男性からの抑圧、アルコール問題、カーストの問題、収入の問題など、多くの問題を抱えていた」とのこと。「今は(5年以上の経験をしているワーカーたち)自分から積極的に人と話をすることができるし、行政との交渉もできるようになった」と、元気に話をしてくださった。また、「ワーカーとしての収入も得ており、生活も安定し、男性たちの暴力やアルコール問題もなくなっている」とのこと。特に印象的だったのは、今ではハイカーストの人達が、彼女たちのクレジットユニオンからお金を借りているという話だった。私の最後の滞在から6年が経過しているが、当時は「ハイカーストの人達はチャッパル(サンダル)を履いたまま歩くと暴力を振るい、水や食料をもらう際にはグラスや皿を使うことは許されず、手の平をつぼめるようにして彼らから受けていた・・・それが、今ではそうではなくなった」という話を多く聞いたのだが、今では「ハイカーストの人達がお金を借りに来るまでになった」とのこと。

10年前、あるいは6年前に出会った頃は、無表情で、痩せていて、サリーの色があせて着古した物であることが一目瞭然だった。しかし今、私の目の前にいる彼女たちは、生き生きとして明るく、声にも張りがあり、よく喋り、体格も良くなっていて色鮮やかなサリーを身にまとっている。今でも時々、村で男性がけんかをしたりアルコール問題を引き起こすことがあるというが、彼女たちで解決しているという。あの時とは明らかに、村の状況は変化していた。村も、当時茶色の印象だったのが、植樹したココナッツの木が茂り、緑で溢れていた。これほど村の状況が変化したのは、彼女たちと村の人たちの活動の成果である。そして村の状況が改善されるのに伴い、彼女たちも、家庭や地域社会で自分らしく振舞うことができるようになっていた。家庭で問題がないわけではない。夫の浮気が原因で離婚した女性もいる。しかし彼女は、「今が楽しい。私は一人でも生活できる」と言った。「力をつけるって、“行動”できるようになっただけではないのよ。思考も強くなったの。すごいでしょう!」。

■□■村の人たちの成果■□■

また、当時炎天下の中を数時間歩き続けた道は、行政のバスではなく「ミニバス」が通るようになっていた。私は今回も、炎天下の中を歩き続けるのだろうと覚悟をし、出かける前はペットボトルに飲料水を満タンにし、「なるべく暑い時間に歩くのは止めましょう」と何度も繰り返していた。あの喉の渇きは、6年が経過した今でも、私に大きな影響を与えているのだ。

しかし、私の心配は不要だった。

いつも、バスは時間通りに到着した。10分、15分の遅れはあるものの、一時間以上待つこともなく、ましてや、差別されている地域だからという理由で通過することもなかった。このミニバスが通るようになったのも、村の人たちの活動の成果だった。そして私はそのバスに乗り、果てしない道を歩き続けるという経験をせずにいくつかの村を訪問することができた。私はこのようなかたちで、活動の成果を実感することができたのだった。「私がいた頃、こういうバスはなかったよね!何時間も歩いて、と〜〜っても疲れたよね!」と興奮気味に話す私に、シャンティは「以前は行政に働きかけることもできなかったし、働きかけるとか、交渉するということを知らなかったけれど、今では何でも外部に相談できるようになったの」と誇らしげに話してくれた。その言葉に大変嬉しく、頼もしく感じ、安心した。そして、私も彼女たちに負けないように頑張らなくてはと思った。


■ 次回は・・・津波 in チェンナイ