20.共同生活


■□■南は暑い地域です■□■

私たちは、手のあいている人が食事を作るということが暗黙の了解になっていた。ここでは、平たい圧力鍋でご飯を炊く。炊飯器はない。「ノズルが五回鳴ったら止める、そしてそのまま二十分放置する」というのが決まりごとだ。これが正しいのかどうかわからないが、試行錯誤の結果、こうなった。しかしいつも上手に炊けるとは限らない。決まり通りに炊いたのにまだ炊けていないことがあれば、おかゆのようになることもしばしばあった。

炊けていない時にもう一度炊くと、普段食べる米の倍以上に大きくなる。炊けていないというのは水が多すぎた時で、米と水がそのまま残っている状態をいう。驚くことに、再びふたを閉めて同じように炊くと今度は真珠のように大きくて丸い、そしてつやのあるご飯になる。初めてこれを見た時に、私たちはびっくりした。ご飯粒が、大きくてぷりぷりとしているのだ。

実は私たちが購入していたのは古米、古古米だった。食費は同居人同士で割り勘にしていたが、低い収入の彼らはなるべく安い食費で押さえようとしていた。主食で、しかも誰もがご飯茶碗五・六杯は食べる米の支出を押さえることは、当然の成り行きでもあった。

またチェンナイは暑いため、たった数時間食べ物を放置するだけで食べ物が腐ってしまう。そのため牛乳が残ると、そこにレモンを絞りヨーグルト菌を入れ、さらに放置すればおいしいヨーグルトになった。日陰に置いてもヨーグルトが出来るほどだと言えば、その暑さを想像することができるだろうか。いつの日か同居人が帰りに牛乳を買ってきて 「渋滞に巻き込まれて三十分が経過したから、もう飲めないかもしれない。」 と言いながらその牛乳を持って帰ってきたため 「まさか。そんなことはないでしょう。たったの三十分で腐るはずないじゃない!」 と笑い飛ばして封を開けたところ、すでに牛乳が腐っていたことがあった。

夕食時に炊いたご飯は翌朝には腐っている。冷蔵庫が故障して使い物にならない状態だったため、私たちは残り物の保存には大変苦労した。

その結果、「食事の後すぐに残りご飯に水を注ぎ、レモンと塩を適当に混ぜる」という方法にたどり着いた。これなら絶対に腐らないと言う。

翌朝、今まで捨てていた残りご飯を「食べる」とわかっているにもかかわらず、一応臭いを嗅ぐのが私たちの習慣だった。もちろん、少し異臭がすることもある。それでも彼らに言わせると「レモンと塩を入れたのだから大丈夫だ。」という結論になり、「玉ねぎは毒消しの作用があるから玉ねぎと一緒に食べれば大丈夫。」という理論で異臭のするご飯を食べる事になってしまう。 唐辛子を洗い、玉ねぎをざく切りにし、そのまま皿に盛るのが朝食の準備だ。そして大きな個々のプレートに、先ほどみんなで臭いを嗅いだ「水ご飯」が分けられる。私たちはまず唐辛子や玉ねぎをかじり、その辛さを消すようにズズッと音をたてて飲むようにして食べるのだ。もちろん、ご飯粒は手ですくう。最後に手ですくうことができないくらいの量になると、プレートに直接口をつけて流し込む。

■□■私たちはよき実践者?!■□■

さて、この「水ご飯」は貧しい村で食べる食事だ。私が一緒に暮らしていたのは、インド各地から来た仲間である。そんな同居仲間の一人は、インドで最も貧しいと言われるオリッサ州の出身だった。その彼がこの方法を提案した。嫌そうな顔をしていた他の同居人たちとは反対に、彼だけがおいしいと言いながら食べていた。
「村ではこうして、グラスに入れて飲むようにして食べるんだ。こうすれば、少ない米で空腹を満たせる。味がなくてまずいから、唐辛子をかじり、その辛さで流し込む。たまねぎや唐辛子には殺菌作用があるから、おなかの虫も死ぬ。一石二鳥なんだ。」

それからというもの、このメニューが私たちの朝食になった。
チェンナイにいても村の貧しい人と同じ物を食べるなんて、僕らはいかにもソーシャル・ワーカーじゃないか!」
まあ、そうかもしれない。私たちは何でも手に入る都市にいるのに、村の中でも貧しいと言われる人と同じ物を食べているのである。私たちは納得したような、しないような顔で朝食をとっていた。 

また私たちは、スーパーに買い物に行くことをしなかった。スーパーが遠かったということと、帰りが遅いので帰宅途中の道端で買い物をするほうが便利だったからである。私たちはいつも、道端で売られている野菜を購入した。たまに車で尋ねてくる人がいると、その人に市場まで連れて行ってもらう。それで十分、間に合った。車がある人に市場に連れて行ってもらうのは、たいていは夜だ。

■□■ネグリジェ効果■□■

ある日私は同室のマリアと市場に行くことになった。二人とも水を浴びた後でインドの寝巻き、つまりネグリジェに着替えてしまっていた。 「どうしよう。着替えようか、でも面倒くさいよね」、 「急いでいるし、夜だから着ているものなんてわからないよ。大丈夫だよ。」 ということで、私たちはそのままの姿で市場まで乗せて行ってもらったのだった。

ところが、その市場では地面にランプが所狭しと並べられ、明るくて眩しいくらいの光景で、私たちはびっくりしてしまった。予定ではその市場は暗く、私たちのネグリジェ姿などわからないはずであった。こんなに明るくては恥ずかしくて仕方がない。車から降りることに勇気が必要だった。まさかこんなことになっていようとは考えもしなかったのだから。胸の切り替えの所にフリルがついているネグリジェで外出するなんて、日本でもインドでも考えられなかった。私は二三年間生きてきた中でネグリジェ姿で買い物をするのは初めてで、それは四四歳のマリアも同じだった。二人とも、生まれて初めての経験だ。

しかし面白いことに、その姿で値段交渉をすると、かなり安く買い物をすることができたのである。それは「寝る前に買い物に来るなんて、あなたたちも大変なのね。」という同情だった。ネグリジェ姿の女が二人で買い物をするのだから、関心をもたれないはずがなかった。「あんたたち、何処から来たの?何しているの?もう寝るんじゃないのかい?」と必ず聞かれた。

私たちは調子に乗り、「そうなのよ。食べるものが全くなくて、急いで買い出しに来たの。これから帰って夕食の準備をしなければならないの!」と言いながら買い物をした。その夜は、いつもの値段よりはるかに安く買い物をすることができた。皆と一緒に「やったね!」と大喜びしたのは言うまでもない(しかしとても恥ずかしかったため、それからは二度としていない)。


■ 次回は・・・バスの乗り方教えます