19.結婚式


■□■花嫁さん、早く出てきて!■□■

ある日、私はクマールの婚約式に招待された。クマールはNGO専属の運転手として働いており、花嫁は以前トラックの運転手として働いていた時の上司の娘である。彼と一回りも違うという彼女は、私と同じ23歳だった。

インドの結婚式には多額のダウリーを払うことになるため、女の子が生まれるとそれだけ負担になり、逆に男の子であれば大喜びする。金がかかるのは婚約式でも同じだった。新郎となるクマールは、夕方から始まる式のためにオフィスを早退した。私たちは小さな車に七人も乗り、ぎゅうぎゅう詰めになりながら三時間の道のりを急いだ。たどり着いたのは、新婦の家だ。

先に到着していたクマールは、いつもはGパンと半そでシャツであるが、その日は頭に整髪油を塗りたくってギトギトにし、顔に白いパウダーを塗り、香水をプンプンにおわせていた。そして金のネックレスをつけ、金の指輪をはめ、新品の長袖シャツを着てブレザーをはおり、靴下をはき、ぴかぴかの黒靴を履いて汗びっしょりになっている。

普段の彼の姿からは想像できない彼のかしこまった姿に、私たちは吹き出してしまった。

暑いのに!こんなに着るの?!

私でさえも、暑くて長袖シャツを着ることはできないし、靴下も履けない。クマールはハンカチで、流れ出てくる汗を一生懸命拭いている。それでも、彼にとっては、晴れの場所。暑くても、我慢。

この日は新婦が主役であるという。彼女の準備ができるまで、来客は次々と出されるコーヒーや紅茶を飲み、お菓子を食べて待つ。ずいぶん時間がかかる。待ちくたびれていらいらしてきた頃は、すでに辺りは暗くなっていた。すると突然、笛の音や太鼓の音、チンチンというカネの音が鳴り響き、楽団の演奏が始まった。私たちが家の中に入ると、いつの間にこれほどの人が来たのかというほど、招待客であふれ返っていた。私たちが座る隙間もない。そこに、無理やりつめてもらい、あぐらをかいて座る。

ただでさえ暑いのに、これほどの人が集まるのだからその熱気でむんむんしている。祈祷師、というのだろうか。正面に米、バナナやみかんをはじめとする果物と甘いお菓子、数枚のシルクサリー、バングルなどが所狭しと並べられている。そしてろうそくが何本も立てられている。祈祷師は額に赤や黄色の粉をつけ、上半身は裸のままで白いルンギー(布)をまとっており、ヒンズー教の祈りには欠かすことのできない香を焚き、何やら祈り始めた。

それはそれは、長い長い時間だった。

私たちの前には、白い椅子に座ったクマールしかいない。彼は、ブレザーの袖で汗を拭っている。身動きできない私は、始めは興味津々で眺めていたものの、次第に飽きてしまった。ぼーっとしていると、やっとのことで婚約者が登場した。シルクのサリーを着ている。金も織り込まれているのだろうか。荘厳なサリーだ。彼女は何をするのだろうと見ていると、供えられていたサリーをクマールから受け取った。これは新郎からの贈り物らしい。

彼女が椅子に座って二人が並ぶと、私たち参加者が一人ずつ立ち上がって彼らが座っている椅子の前に列を作って並び、彼らの額に色粉をつけた。これは寺院で付けてもらうの儀式だ。赤または黄色の粉に水を合わせて練ったものに、今日は米を加えている。

それが終わると彼女はすぐ奥に引っ込んでしまい、それっきり出てこなかった。初めて会うクマールの婚約者をとても楽しみにしていたのに、本当に少ない時間の登場だ。
あっという間のお披露目だった。

儀式が終了すると、私たちは台所に行きバナナの葉に盛り付けられた食事をした。バナナの葉に盛られているということは、その食事は「ご馳走」を意味する。それをいただいた後、葉を上から二つ折りにして閉じると「ご馳走さま」の意味になり、下から閉じると「おいしくなかった」ということになるのだと教えてくれた。気をつけなくてはいけない。約三ヶ月後が結婚式だった。

式は朝の五時からだ。私たちはまだ眠い目をこすりながら、会場へと向かった。せっかく早く駆けつけたのに、準備が整っていないため六時開始になった。そして三十分後には終了。とても早い式だった。婚約式に比べると、非常にあっけないものだ。私たちは会場で食事をし、お菓子をもらって帰ってきた。

■□■村の結婚式■□■

さて、クマールの結婚式と同じ日の午後、村でもう一つの結婚式があった。

結婚するのは私が大学生の時からお世話になっている村のソーシャルワーカー、シャンティの長女だった。その村に行く列車は非常に少なく駅からのバスもないので、私は友人と急いで出掛けたのだが、到着したのは教会での式典が終わった後だった。彼女はキリスト教だ。インドで行われるキリスト教の結婚式ではウエディングドレスを着るのか、それともサリーなのか楽しみにしていたら、彼女は真っ白なサリーを着ていた。ベールをかぶり、買ったばかりの金のネックレスとバングルが輝いている。それは私が村で彼女の家に滞在していた時に、この日のために彼女が泊りがけでチェンナイまで買いに行ったものだった。

式には参列できなかったものの、セレモニーと食事会に出席することができた。セレモニー会場は、大きな建物だ。ネオンがピカピカ輝いている。パイプ椅子が並べられている大きなホールでの式典のあと、恒例の食事となった。会場である建物の屋上は町の食堂よりも広く、迷うくらいだった。比較をすることは良くないが、貧しい生活の彼女である。しかし、今朝私が出席したチェンナイの運転手、クマールの式の方が質素な式だった。実を言うと、クマールの式は小学生の発表会を見ているようなものだったのである。

そのため、祝福の場である村の彼女の式で、私はこの資金を一体何処から調達したのか気になり始めた。彼女は金製品をじゃらじゃらつけていた。いつか、彼女が買ったばかりの装飾品を私に見せてくれたとき、かわいかったので私もインド土産に買おうかと値段を聞いたことがあった。いくらだったか覚えていないが、私には買えない値段でびっくりした事があった。

結婚を機に借金が増え、家計がマイナスになる。それなのに結婚後もダウリーを要求され続け、花嫁が自殺するケースも依然として後を絶たない。少し教養を身につけた人は、結婚前に両家と話し合いをする。今朝結婚したクマールは、NGOで働いているためだろうか。安くはなが、それほど高くない費用に押さえたという。

そのことを同室のマリアに話すと、どの会場で式を挙げたか、ダウリーはどれくらい払ったかなどを知人・近隣で競うのだと言った。この傾向は農村にまだまだ根強く残っているようである。これは村だけでなく、もちろんチェンナイでも、芸能人なみの華やかな結婚式はおこなわれている。結婚式にかける費用は、どこでも多額なのかもしれない。


■ 次回は・・・共同生活について