17.援助って、なに?? その2


■□■頭、爆発!!■□■

その日、私はバスに乗らずに歩いて帰った。その日の帰り道を全く覚えていない。夕暮れ時のせわしい道をひたすら歩いたことぐらいしか記憶にない。その日は同居人も村に滞在しており、私と、同居人であるナルの二人しかいなかった。皆がいれば大討論会になるのに。 この悔しさを共有したかったのに。
私はドアを開け、バドミントンができるくらいのホールをズンズンと歩いていった。そして「男性の部屋」でヨガをしている彼を呼び出し、事の経緯を全て話した。プチンと糸が切れたように、ものすごい勢いで話してしまった。
「そんなことがあったなんて、知らなかった。皆がそうじゃないんだよ、あの人たちはそういう人なんだから」 と慰められた。そうか。一度は親友たちを疑ったものの、どうもそうではないらしい。持つべきものは友達だ。疑って悪かった。

私がなぜ衝撃を受け憤りを感じたのかというと、経営者以下の職員がその経営について不満を抱くほど金銭管理が不透明であり、経費で落とす必要がないものにまで経費を使っているという事実があるためだった。また村に滞在しながら懸命に働く職員よりも事務所でお喋りをしたり、ただ座って電話を取るだけの職員の給料のほうが遥かに高いということも彼らの不満の原因の一つであることを知っていた。

このようにNGO内には複雑な問題が絡んでいるのであるが、ドイツからの支援が打ち切られたといっても経費の見直しが図られず、相変わらず上司の派手な行動が目に付く中で今度は日本からの支援を要求してくるのだから、彼らは一体何を考えているのかと問わずにはいられなかったのだ。

■□■自己満足■□■

私には二つの疑問があった。一つは、経費が少ないならそれなりに活動や会計を見直してもよいはずなのに、そうしないこと。二つめは、何故日本ばかりに打診するのかという疑問である。職員から、NGOや政府からの草の根支援の審査は、日本なら比較的審査に通りやすいということを聞いた。だから、日本なのだろうか。そして、私のような外の者には何ができるのだろう。

まず、現地NGOと日本、あるいは企業との関係である。先ほど私が怒りに燃えたのはその団体の活動があまりにも適当だったためで、金がなくなったから次は日本企業に支援してもらおうというやり方に納得できなかったからである。もしNGO内部のマネージメントがうまくいき、職員が一丸となって活動の見直しを進め、それでも活動資金が足りないというのであれば私の対応も変わっていたかもしれない。

また、駐在員の奥様たちの集まり(婦人会)に顔を出し、NGO活動や村の生活などの紹介をしながら理解を得ることも可能だっただろう。奥様たちに伝えれば、家に帰ってから子供や夫に伝えるはずである。本来なら、そのような活動こそ現地NGOにいる私の役割だったのかもしれない。

次に、NGO内部のマネージメントの問題である。正直に言うと、私はこの問題を外から見つめる事に
徹していた。そして私が取った行動は、経営者と共に動くのではなく職員と一緒に活動するということだった。その方法は簡単だ。チェンナイにいる時は朝から晩まで彼等と一緒に仕事をし、昼食を食べ、議論をし、何か困ったことがあれば経営者ではなく彼らに相談する事だ。

私の役割は、彼ら自身の問題を自ら解決できるように働きかけることであると感じている。もしそこに階級制度の壁があったとしても、そうであればなおさら、自分たちが村の人々に言っているように「問題を解決できる力をつけ」、そのためには「グループを作る」、何故なら「たった一人の力よりグループの力のほうが大きいから」ということを実践するべきだと思った。外の者という立場だからこそ、職員・経営者・日本のNGOとの連絡調整が可能になるのではないだろうか。

援助、支援、協力。言葉は違うが日本人が海外で活躍する機会は多くなっている。しかしそれは、もしかしたら私たちの自己満足かもしれない。「日本からの援助がなくても活動できるのよ、優秀な人材だって揃っているのだから」と言われた事がある。インドにも、インド国内からの資金提供だけで活動している団体が数多く存在する。私たちは、その国には高度な知識・技術を持った人たちが多く存在することを忘れてはいないだろうか?

日本が加わる事でこのような問題が発生するのであれば、いつか私が職員に言われたように、いっそのこと資金提供をやめてしまえばよいのかもしれない。しかし資金提供を止めれば問題が片付くとは思えない。本当の問題は、実際の活動状況をチェックしないまま支援をする(欲を言えば住民やスタッフの視点でプロジェクトを判断する)ことが困難な支援者側の体制ではないだろうか。NGOといえば「良い事をしている」というイメージが先に立っていないだろうか。私は今、支援をするのならする側の責任として、それが有効に活用されているかどうかを鋭い眼で見つめる事も必要ではないかと考えている。 

もちろん私は、現地で必要とされる要求に応えた、非常に素晴らしい活動を展開している団体も存在することを忘れているわけではない。


■ 次回は・・・結婚について話しましょう