16.援助って、なに?? その1


■□■口論■□■

それは一月のことだった。私は会計担当のスタッフに呼ばれた。彼とは挨拶をする程度で、プライベートな話をするほど仲が良いといういうわけでもなかった。またスタッフ中の噂では、彼は 「ベリー・リッチ」つまりハイカーストであり、 「着ている物を見てごらん」 と皆が言うとおり、ぴかぴかの眼鏡をかけ、Tシャツではなくボタン付きのシャツを着て、仕立ての良いズボンをはき、靴下をはいて革靴を履いているため、何となく村で活動をする人たちとは隔たりがあるような感じがしていた。

「カナ、お願いがあるんだ。日本人と話がしたいんだ。誰か、良い人を紹介してくれないかな。」
彼が作り笑いをしていることを、私は見抜いていた。

どうも、おかしい。理由を言わずに会いたいから紹介してくれと言われても、インドで日本人と付き合いが無い私には紹介できる人などいないのである。避けていたのではない。私が毎日忙しいこととチェンナイ市内にいないこと、そして日本人と会う機会がなかったからである。もしかしたら彼は、私が年末に天皇誕生日祝賀会に招待され、公邸に行ったことを指して話をしているのかもしれない。しかし、私が彼に問いただしたのには別の理由があった。実はちょうどそのころ、この団体の活動資金が足りないらしいという話が噂されていたのである。

■□■狙われる日本企業?!■□■

「理由なんて、ないんだ。ただ、会いたいんだ。」
「それでは、連絡をとることはできないじゃない。」

とうとう、彼と言い合いになった。私も彼も、互いに引こうとしないのだ。 「会いたい。」 を連発する彼。しばらく言い合いをした挙句、案の定、実は資金援助をしてほしいと告げられた。

「ねえ、何とかならないかな。」

私は彼の話を聞いている間、一つの疑問を抱いた。

「あのね、一つ聞きたいことがあるけれど、日本企業以外に打診したことがあるの?」

確かに、チェンナイへの日本企業進出は、ここのところ急速に伸びつつある。チェンナイでも日本製品がよく目に付くようになった。しかし、海外の企業進出は日本だけではないだろう。なのに、何故、どこへ行っても「日本人イコール資金援助」なのだろう。彼は何故、日本人に会いたいと言うのだろう。彼は、日本企業でなければだめだと言った。

「日本人は金持ちだろう。金が足りないと言えば、すぐに出してくれる。それに日本人は、オフィス機器をすぐに買い替える。こういうこと、みんな知っているよ。一年使ったら、また新しいものに買い替えるんだろう?コピー機、コンピューター、ファックス、そういうものも欲しいな。日本企業は、まだ使えるのに、新しいものが販売されるとすぐに買い替えをするだろう?知ってるんだ。このオフィスで、まだ使えるじゃないか。捨てなくて済むんだよ。」

「……。」

「あ、もし会えないのなら、チェンナイ在住の日本人の名簿を手に入れてほしいな。名前と、住所と、電話番号と……。もらってくるだけでいいよ。あとは、こっちで一人一人に連絡するから。」

私の怒りは頂点に達していた。

「なにを言っているの!私が領事館に行って名簿をもらって、それを渡すと思うの?個人情報を、しかもこんなことに使用するために、外部に漏らす?わるいけど、そんなことしないから!」

私がこれほどの見幕で当り散らしたのは、一年間の中でこれが最初で最後だった。そこにいた周りの人たちが、驚いて顔を上げたほどだ。

大きなショックと悔しさが入り交ざっていた。修理を繰り返しながら、文字通りボロボロになるまで機械を大切に使い続ける彼らに指摘されたことは、事実かもしれない。私は、もう半年以上もこのNGOで活動している。あまりのショックで、私は次第に、最初からこれが目的で私を研修生として受け入れたのではないだろうかと思えてきた。日本の援助問題が議論されていることは、知っている。でも、まさか私に直撃するなんて!

■□■だけど私は日本人■□■

カナ、イコール日本人。

イコール金持ち。 

彼らにはこのイメージがあったのだろうか。

私は日本人であるということに変わりはない。日本人である限り、金持ちのイメージが付きまとうのだろうか。「日本人らしくない」ということは「豊かな」日本人像があるがゆえの言葉なのではないか。世界的にも日本は豊かだというイメージがついていることは事実で、特にインドでは日本とは比べ物にならないくらい物価が安いため、駐在員たちは贅沢な生活をすることができる。それは私が見ても驚くくらいであるから、現地の人たちはそれ以上の羨望のまなざしで日本人を見ていたのだろう。また海外に対する日本の資金協力は、日本国内にも様々な意見がある。
私も村で 「この村には日本からの援助が来ているはずだよ。でも私たちには、援助があろうとなかろうと、関係ないよ。村長たちが使っているんだ。」
と訴えられたことがあった。

過去の出来事が思い出された。

ミドリさんという日本人女性が訪ねてきた。彼女は人づてに、私がここに滞在していることを聞いたという。「もともと地域開発に興味があったわけではなく、どちらかというと普通のOLで、ブランド品を集めるほうだったのよ」と彼女は言う。ところが、インド旅行中に多くの人と出逢い様々な経験をしたことが契機になり、仕事を辞めてインド滞在を決心した。

「実はね……。」
と切り出したのは彼女だった。資金がないというそのNGOに、日本円で約十万円ほどを貸したのだという。私はびっくりして聴き返してしまった。ルピーに換算すると、およそ三万ルピーになる。私がいるNGOの中堅スタッフの給料が三千ルピー、日本円で約一万五百円。国内郵便料金は葉書が一ルピー(約三・五円)。コーヒーや紅茶はグラス一杯四ルピー(約十四円)。十万円がどんなに高いか、わかるだろうか。彼らの一年分の給料になる。普通なら、貸しても返ってこない金額だ。

彼女はこう続けた。
「貸したお金で何をしようと構わないけれど、その十万円をNGO活動に使っていないの。早速テレビや冷蔵庫を買ったし、子供が結婚したの。ダウリー(結婚持参金)に使ったみたい。NGO活動もろくにしていないし。なんだか、見ていて腹が立ってくる!」
ああ、またかという感覚と同時に、やっぱりそうかと、現実に驚かなくなっている自分が少し寂しく感じられた。

そういえばここ何日か、駐在員と知り合う機会が続いた。広い広い家に住み、立派な車に乗り、良い格好をしている。この国でこれほどの生活をしていれば、狙われるのが当然だろう。それをわかっているのだろうか。

やっと、わかった気がする。「カナは日本人らしくない」と言っていた友人たちは、現地の人と同じ生活をする私を見ていたのではなく、駐在員の豊かな生活を見ていたのかもしれない。悲しいことだが、仕方がない。確かに日本人は金持ちだろう。
その土地に来て、その土地の人と交流し、その土地の食べ物をいただく。共に生活を営み、時には家に呼ばれる。自分の足で歩き、自分の目で見る。困ったことがあれば、誰かが助けてくれる。思いがけない出逢いをし、その輪が広がってゆく。その国に来てその国の生活を知らないことほど、つまらないものはないだろう。ましてや、その国の文化や習慣を否定することは論外ではないだろうか。後日、ある人が小さな新聞記事を見せてくれた。

「ネパールのNGOにご用心」と題されたその記事は、まさに私たちが遭遇した事柄だった。「ネパールでは日本人に対して、NGOの活動資金を要請するケースが増えている」 ということは、資金調達の問題は世界各地で発生している問題なのだろうか。それは日本人に限られているのだろうか。私たちは軽視されているように感じられてくる。先進国だからこのような価値観がつくのだという前に、日本を出て生活をする日本人の生活態度にも問題があるかもしれない。

「日本に限るよ。」

彼が私に言ったことは、本音だろう。悪気はないのかもしれない。そしてもしかしたら、誰もがそう感じているのかもしれなかった。それを彼が口に出しただけのことではないか。それでも私は、納得することができなかった。

私たち日本人は何をすれば良いのだろう。「外国人」である外部者、「村に住まない」外部者、「先進国(らしい)の日本人」である外部者。私は、その全てにあてはまる。このような立場の人にできることは何だろうか。

このNGOの上司は「資金が足りない」と言い、その下で働く人は「上部が吸い取っている」と言う。「こんなことなら援助をやめてもらいたい」とまで言われた。私は、このような話を過去に聞いたことがなかった。 「顔の見える援助」、「見えない援助」というよりも、「 適切に資金が運営されているか、いないか」。この方が重要ではないだろうか。
例えば技術提供にしても、その技術は本当に村の人々が求めているものだろうか。その計画作成は上部と上部との話し合いで決められてはいないか。インドで言えば、カースト制度も宗教対立も、文化も農村での生活も、何一つ経験したことのない日本人に、何ができるのだろう。

私たちに本当に求められている事は何だろう。
私たちには資金提供しかできないのだろうか。


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