9.赤痢になった!!


■□■照りつける太陽■□■

その日もそうだった。いつも以上に暑い、日差しが強い午後の日だったことを良く覚えている。

窓がない家の中はサウナ状態になるため、私は近くの畑の中にある一本の大きな木の下で、いつものとおり昼寝をした。

よく眠ったような、眠れなかったような。すっきりしないまま目が覚めた。動けない。頭痛と吐き気がする。一体何が起きたのかわからなかった。ちょうどそこに、タイミング良く「アッカー(お姉さん)」と言って午後の紅茶を運んでくれた子どもがいた。私はその子に、動くことができないと訴えた。紅茶はいらない。のどは乾いているのに体中がとてもだるく、そのグラスを手に持って口に運ぶことさえもできなかった。せっかく運んできてくれたのに、無理をしてでも飲むことができなかった。

すぐに、村の人が集まってきた。「今日は暑かったから」というのが、体調を壊した理由らしい。頭がぐらぐらする。立つこともできなければ、話をすることもできない。私の意志で、私の体を動かすことができないのだ。頭のてっぺんから足の先まで、とにかくだるくて、自分の体ではないような感覚がする。

私は横になったままだった。あまりの苦しみように、人々の顔から笑顔が消えていくのがわかった。そして気が付けば、さらに多くの人が私を囲みタミール語での議論が始まっていた。「何とかしなくては。どうしようか」。あちらこちらで話している大勢の人の言葉が、私には雑音のように聞こえた。

■□■これが伝統的な治療法?!■□■
 

それからの私は、村の人たちにされるがままであった。最初に、近所の人が頭痛に効くと言って持ってきたとても濃くて甘いコーヒーを飲まされた。普段コーヒーや紅茶に砂糖を入れない私には、そのこってりとした甘さが耐えられない。その砂糖の量が普通ではないのだ。何年か前に別の村でお腹を壊した時にも、同じような甘さの紅茶を飲まされたことがあった。その時もミルクは入っておらず、非常に濃かったことを思い出した。せっかく作ってきてくれたし、皆が取り囲んで私を見つめているので飲まないわけにはいかない。少しずつ、半分くらい飲んだ。

ある人は、タイガーバームのような塗り薬を持って来た。それを私のこめかみに塗ったり、背中や両手、両足にすり込む。すっとして気持ちが良いが、治ることはない。それなのに二、三人が寄って来て共同で私の体中にタイガーバームを塗りつけ、マッサージを始めた。断れる状況ではない。

またある人は、指圧の要領で頭や背中、手足のツボを押し、別の人が手の平をマッサージし始めた。そしてそれを見た別の人が、足のマッサージを始める。この場合はマッサージと言うよりも、単に擦るだけだ。擦られるため、だんだん熱くなってくる。

挙句の果てには、「カナが村の人に見つめられているためだ」と言って(つまり多くの瞳に取り付かれたということ。これは不吉なことと信じられている)、煙を焚き何かをぶつぶつ言いながらまじない、御払いを始めた。その理由は、大人たちが赤ん坊のところに寄って来てかわいい、かわいいと言ってあやすため、つまり大人たちの多くの瞳が赤ん坊に取り付くためだと言った。私は煙だらけになりながらも、そんなはずはないだろうと思うことが精一杯で、効かないだろうからもう止めてよと言うことはできなかった。これで治るのなら、一日中でも煙だらけになっていよう。こんなことで治るのなら、この煙たさにも耐えられる。

しかし目の前では、私の体を心配して真剣に御払いをしてくれている。そんな人たちを目の前にして、もういいからそっとしておいてほしいとは言えなかった。動くことができない私は、もう何をされても構わないという気分になった。人々は、相変わらず私を上から覗き込んでいる。目を開けると、その人たちの顔だらけだ。目が回る。

■□■もう駄目かも■□■

この村には車がない。隣の村とも離れている。政府が設置した電話も故障している。つまり医者を呼ぼうにも、連れて行こうにも、為すすべがないのだ。

幸いなことに、翌日はトレーニングセンターに戻る日だった。この村には交通手段がないため、村に来る時も戻る時にも、トレーニングセンターのジープで送迎されることになっていた。私たちが滞在している村とその他に二つの村を巡回することだけが事前に知らされているだけで、何時ごろジープが来るのか全くわからない。

不安な一夜を過ごし、翌日の昼過ぎになってようやく迎えに来たジープ。トレーニングセンターに到着して間もなく、私の症状はさらに悪化した。発熱のためか、体中が痛くて歯も痛い。ベッドとトイレとの往復は、私の体力をさらに消耗させた。部屋にたどり着く前に再びトイレに駆け込むのだから、私は疲れきって余計にぐったりとしてしまった。友人が「大丈夫、大丈夫。」と声をかける。大丈夫なわけがない。あまりにも大勢が駆け寄ってくると、逆に不安になってくる。皆が私を覗き込んでいる様子を見るのが嫌で、私はずっと目を閉じていた。

そのような私に、彼等は自分の経験を話し始めるのだ。
「小さい頃、よく下痢をしたよ。それはもう、大変だったんだ。」
「私も。下痢して泣いたのよ。」
自分たちも下痢をしたことがある、だから心配するなと言いたいのはよくわかる。しかし、この時の私には何の慰めにもならなかった。次第に激しくなる腹部の痛みと、トイレとの往復による疲れと、集まってきた人たちの迫力が、私の不安に拍車をかけた。トレーニングセンターに唯一あるジープは、町に買い出しに出掛けたまま戻ってこない。おまけに帰りはいつになるのかわからないという。

せめてチェンナイだったら、病院に行くことができたかもしれない。病院に行けないなんて、治療されずに私は死んでしまうのだろうか。やり残したという悔いはないけれど、もっと自分の可能性を試してみたかった。

そう考えたら、涙が出てきた。

それを見て驚いたのは、周りの人たちだった。
「ちょっと、ちょっと、見て!泣いている!」
「本当だ、泣いている!」
「かわいそうに、そんなに辛いのね。」
「心配しないで、私がここにいるじゃない。」
「ここでは、皆家族だよ。たった二ヶ月だけど、朝から晩まで共に生活しているじゃないか。安心して。」
日本では、一体どのくらいの人がこのような言葉をかけてくれるだろうか。まだ出会ったばかりの人たちだ。お互いのことなんて、全然知らない。 「私たちは家族で、年下のカナは皆の妹だよ。私たちがここにいるから大丈夫。」 なんて、そう言われたことは一度もない。

ここにはすでに、家族以上の温かさがある。チェンナイに戻ることができず、十分な医療も受けることができないのなら仕方がない。医療器具につながれたまま死ぬよりも、この温かい友人たちに囲まれているほうが幸せかもしれない。そう考えると、ここで死ねるのならそれでいいと思えてきた。私の涙は、死に対する恐怖から、そうした友人の温かさに対する嬉し涙へと変わっていった。
ジープが戻ってきたのは、夜十二時近くになってからだった。

友人たちに見送られながらジープに乗りこみ、ガタガタ道を出発した。一緒について来たキリスト教のマリアは修道女で、彼女とはチェンナイでもこの研修でも同室だ。そのマリアが、首から下げた十字架のペンダントを握り締め、神に祈りを捧げている。ガタガタな道中を耐えなければならないというのはとてもきつく、私はどうしていたのか覚えていない。ただ彼女の祈りの言葉がだけ聞こえてきて、それがまるで天からの声のように感じられて安らかな気持ちになり、もうどうなってもいいと思ったことを覚えている。

診療所に到着したのは夜中の一時だった。赤痢だ。原因は数え切れないと説明された。もしかしたら村で、沸騰させていない飲料水を出されたのかもしれない。村で、沸騰という概念がわかる人はどのくらいだろう。指を突っ込み、熱いと感じたらそれが沸騰だ。

村の小さな売店は衛生状態が悪いため、そこで売られている食べ物を口にしたために感染したかもしれない。肉や魚が腐っていたことも考えられる。農村に売りに来る魚や肉は、自転車の荷台にくくりつけられた大きなたらいにぽんぽんと入れられて売られている。自転車は気温四十度以上の中をゆっくりと走るため傷みも早く、ハエがたかっているのが普通である。そういえば私が対調を崩す前の日に、肉屋が来た。一緒に滞在していた仲間が 「あの肉はきっと傷んでいるよ」と言っていた。ホームステイ先のお母さんはその肉を買っていたかもしれない。同じものを食べた彼らは元気一杯なのに。 「日本から来たんだって?村はどうだい。食べ物は辛くないかい。インドの果物は、日本よりおいしいと思うよ。日本の人口はどのくらいかな。インドは、すごいよ。大きな国だ。知っているかい?」苦しんでいる私に次々と話しかけた医者は、これさえ飲めば大丈夫と、何種類かの錠剤を処方した。しかしこの薬は効くこともなく、一週間後、再び苦しむことになる。

■□■幸運の女神■□■

赤痢はこの時に完治していなかった。十二月、私は再びお腹を壊した。私は日常的に便秘と下痢を繰り返していた。放っておけばそのうちに止まることもわかったし、たいして気にすることはなかった。日本にいた時は頭痛がするだけで大騒ぎをするほど、私は病気になることがなかった。そんな私が、赤痢に慣れてしまったのである。慣れというものは怖いものだ。

この赤痢菌は一年間消滅することはなく、時々急な下痢と発熱が時々私を襲ったが、もうすっかり慣れてしまった私は、放っておけばそのうち止まると楽観視していた。実際、そのとおりだった。ところが、インドから帰国する際「なんとなく」立ち寄ったバンコクの病院で赤痢の検査をしたところ、赤痢菌が発見された。一年間、菌と共に生きてきたことになる。

その時にもらった薬を、日本の医者に見せた。その薬は日本では認可されていない強力な薬で、入手することができないものだとわかった。
「バンコクに行って良かったね。この薬さえ飲めば、赤痢菌は消滅してしまうよ。いやあ、でも、本当に良かった。日本にいたら、隔離病棟でもこの薬は出ないよ。手に入れることができないんだ。許可されていないからね。」

もしバンコクで検査をしていなかったら、今度こそ、私の命はなかったかもしない。


■ 次回は・・・部族の村にて