7.村で活躍する女性 その2

〜シャンティの活動〜



■□■水をください■□■

私は今にも倒れそうだった。しかし我慢できないと言ったところで、どうしようもない。休憩する店もなければ、家もないからである。遠くにココナッツの木が見えるが道の近くには木陰さえなく、私たちは照りつける太陽のもと、畑に囲まれた道を歩くしかない。ここまでくると、気力と体力が勝負だった。

私たちはようやくその家に到着し、家の中に入れてもらうことができた。それは、土でできていて窓がなく、かがまなければ中に入ることができないシャンティの昔の家とは全く異なる家だった。コンクリートでできたその家はひんやりとしていて室内に大きな窓があり、そこから時折風が入ってきた。天井がとても高く、壁には色あせた家族の写真が飾ってあり、食器棚にはたくさんの食器が並べてある。村では主流の、ステンレス製の食器もあれば陶器のものもある。その家の様子から、この家はハイ・カーストの家かもしれないということくらい、容易に察しがついた。

シャンティは家の主人から水をもらうと、ごくごくとおいしそうにその水を飲み干した。私は、井戸の水を沸騰させなければ飲む事はできない。熱い湯を沸かすことになった。鍋に水を汲み、かまどにかけて薪に火をつける。一体、いつになったら飲めるのだろう。

湯が沸いてから、今度はそれを冷まさなくてはならない。両手にステンレス製のグラスを持ち、片方に熱い湯を入れてその手を高く持ち上げ、へそのあたりにもう片方の手で持っているグラスにめがけて注ぎ入れる。今度は逆に、湯を受けたグラスを頭の高さまで上げて持ち、受けるグラスを下方に持って湯を受ける。それを何度も繰り返すのだ。二つのグラスの距離が離れていればいるほど美いとされ、湯も早く冷める。もっと早く冷ましたい時にはグラスに注ぎ入れる時に、その湯にフー、フーと息を吹きかけながら注ぎ入れる。

とにかく私には、この時間が長く、長く感じられた。

帰り道、実はその家はハイ・カーストで以前は話をすることもできなかったのだとシャンティが教えてくれた。彼女の村では乾季に井戸の水が枯れてしまうため、水を手に入れるために地主のところに行き、井戸の水を私たちにも分けてくださいと頼まなければならなかった。彼女は私にこう言った。
「見て。私は今ぞうりを履いているけれど、ハイ・カーストの前では脱がなければならなかったの。もし裸足でない姿を見られたら、すぐに脱ぐようにと殴られたわ。そしてね、水をもらう時にもこうよ、こう。」
彼女は両手を合わせて器のようにした。ちょうど、私たちが顔を洗う時に水をすくう、その姿である。
「そうして、ひざまずくの。そうするとハイ・カーストが、上から少しずつ水を垂らしてくれたわ。」
「グラスは?」
「グラス?そんなもの、使わないわ。使えるわけがないじゃない。もし使ったら、殴られてしまうわ。私の両手がグラスになるのよ。」

私はあの時、何も知らずにやっと冷めた湯冷ましを飲んでいた。私が水をもらうことができたのも彼女の成果だったのだ。その活動は村の人たちの自信を築いただけでなく、カースト制度の壁をも破ったのである。彼女はこんな話もしてくれた。

「結婚して間もないころ、地主の抑圧はひどいもので私たちはいつも怯えていたの。反抗しようものなら家族にまで嫌がらせをされたわ。それに女性は家の中でじっとしていなければならなかったし、外に出ることさえもできなかった。立ち話なんてとんでもない。それに夫は酒を飲んでばかりいて働かないし、気に入らないことがあると私を殴ったの。ランプを投げつけられたこともあるのよ。だけど、私が村の代表に選ばれてトレーニングに参加するようになったら、夫も変わったの。村の人たちは、地主のところに行けるようになったわ。今では、地主と何でも話し合える。もう怖いものはないわ。」

■□■あのころ■□■

かつて彼女の村には、女性たちが集まる場がなかったという。彼女たちは組織というものがどのようなものか知らなかったし、村では男女の言い争いが耐えなかった。男性は友人の家に自由に出かけることができるというのに、女性には許されなかった。何か問題が起きても、女性は常にたった一人で対処しなければならなかった。

喧嘩が絶えない、地主からは日雇いの給料がもらえない、母親は子供の面倒を見ない。家の中は汚い、水がない、赤ん坊は予防接種をしていない、栄養価を知らない、政府の訪問看護婦が来ない。これらの問題と密接につながるのは、カーストの問題があるからだと彼女は言う。

当時、村の人々はハイ・カーストに雇われていた。彼らは自分たちの敷地内に電動式のポンプ(井戸)を持つにもかかわらず、自分たちよりも身分が低い村の人たちにその井戸を使わせる事は決してなかった。したがって村の人たちは水を手に入れるために遠く離れた場所まで歩いて行かなくてはならず、乾季にはそれで水を手に入れることさえも困難になった。せめて飲料水だけでも欲しいと頼みに行くと、触るな、汚い、履物を脱げ、と追い返されるのだった。

ソーシャルワーカーになったシャンティはハイ・カーストの区域に行き、私たちはみな平等で同じ人間なのだと説いたという。何故そうしたのかというと、 「問題の根本は、カースト制度にあるからよ。カースト制度のために私たちは地主から虐げられ、そして怯えていたの。ハイ・カーストの前ではいつも、小さくなっていることしかできなかった。自信とか希望なんて、一つもなかったわ。」 と話してくれた。

■□■一人の力はみんなの力■□■

彼女は一体どのような活動をしたのだろう。

彼女はまず、村の女性たちを集めてグループを作ることを提案した。村の衛生状態が良くないことや干ばつ、栄養失調、地主からの抑圧、貧困などの問題点を並べ、グループを作れば解決できるから頑張りましょうと説得したのだそうである。しかし家の問題を話し合うのは男性たちで女性たちが外に出て集まることは一切許されなかった村で、この提案が受け入れられるはずがなかった。彼女たちが「集まる」ということを知らなかったこと、そして何よりも地主を恐れていたため 「グループの力より地主の力のほうがはるかに大きく、私たちが何をしても仕方がない。変わるはずがない。」 というあきらめがあったというのである。いくら説得しても女性たちのこの考えは変わらず、とうとう彼女は一人で地主のところに行った。何故かという私の問いかけに、彼女は 「女性たちがそんなに地主を恐れていて、そのことで何も行動できないというのなら、私が直接地主の所に行って話し合うしかないと思ったから。」 と答えてくれた。

しかし初めはうまくいかず、何をしに来たのだ、帰れ帰れと追い返されていたそうである。忍耐強い彼女が地主の家に通ううちに、少しずつ話を聞いてくれるようになった。運が良いというのだろうか。地主の子供が病気になった時に、彼女が薬草を使って簡単な処置をしたことがきっかけだという。それから少しずつ、地主は彼女の話を聞くようになったのだ。

今まで何もできないと躊躇していた村の女性たちにも変化が現れた。今まで話すこともできなかったハイ・カーストのところにたった一人で出かけていき、気さくに話をするようになったのだから、女性たちが関心を持たないはずはなかった。誇りを持ったシャンティの呼びかけに、興味津々の女性たちが集まってきた。

彼女は皆で定期的に集まって勉強会をしないかと提案し、今まで関心を持たなかったはずの人たちがそれを支持して月に一度、保健衛生教室を開くことになった。掃除の仕方、子育ての方法、栄養のある食事の作り方など、その内容は様々である。村の母親たちは子供が下痢をすると病気だから何も食べさせないほうが良いと信じて水分さえ控えがちになるが、本当は脱水症状を防ぐために水分補給をしなければならない。湯冷ましに少量の砂糖と水を加えれば、なお有効である。誰にでもできる簡単な処置を知らないために、また不衛生の環境のために乳幼児が次々と亡くなるのだ。

今まで何もできずにいた女性たちが、自分たちで問題解決することが可能であることを知ると、彼女たちは自信をつける。初期の頃は、男性たちが仕事に出かけている昼間に会合が持たれたという。今まで集まるのは男性の特権だったため、このようにして女性が集まるということは彼女たちにとって画期的な出来事だった。そしてこの会合が終わった後、彼女たちはすぐに帰らず、紅茶を飲みながら井戸端会議をした。つまり勉強会の後のお喋りである。子供の教育のこと、夫のこと、家族のこと、また自分たちはどうしてこんなに貧困なのか、つい先日も高利貸しのところに行ったら返済不可能な利子を要求された、ということを話したという。

そこで、自分たちで少しずつ資金を出し合いながら積み立てていくクレジット・ユニオンという組合が結成されることになる。例えば村に五〇世帯あるとすると、各自二ルピー(約七円)積みたてれば一度に百ルピー(約三五〇円)、二回目は二百ルピー(約七百円)、三回目には三百ルピー(約千五十円)にもなる。何か急な出費があったり子供の結婚資金が必要な時には、この組合に申し出て全員からの承認を得る。希望者が複数いる場合にはその緊急度を皆で議論し、順番に貸付をする。もちろん利子もつけるが、だからといって返済が不可能になることはないという。高利貸しのようにめちゃくちゃな利子率ではないからである。村の組合の返済率は百パーセントを誇るという。

この活動を進めるうちに、彼女たちは男性からの反対にあった。女が集まって何をしているのだ、女は家で家事だけしていれば良いのだ、女は何もできないのだと言われ、ひどい場合には家から出してもらえなかったり殴られることもあった。しかし仲間の女性たちが集団で押しかけその家の主人に交渉し、なんとか全員が集まれるようになったのだ。そして面白いことに、文句を言っていた男性たちが自分たちも同じ事をしたいと思うようになり、男性の組合を結成したのである。活動の成果を目の当たりにし、どんどん自信をつけていく女性の姿を目の当たりにした男性たちは、次第に活動に反対しなくなった。わざわざ集まりを見に来て冷やかしていたくせに、自分たちもやりたいと言い出したのだ。

このように少しずつ活動を進めた結果、気がつけば乳幼児死亡率がゼロに近い数字になっていた。これは、村の女性たちの大きな自信につながった。

■□■やれば、できる■□■

一人ではなく皆で交渉すれば、きっとうまくいく。

地主との交渉は簡単だった。少しずつではあるが彼女たちは苛酷な労働から解放され、賃金も上がり、地主の敷地内を通り過ぎることもできるようになっていた。

ワーカーであるシャンティは、村の人と地主との間に橋渡しをした。一番の変化は、今までは地主のことが怖くて何も話せなかったのに、今は何でも話せるようになったことだ。問題があればじっと我慢しないで共に話し合うということを、彼女たちは知ったのである。

このように少しずつ問題解決をして自信をつけた女性たちは、家の中でじっとしていたかつての姿ではなかった。パワーがあふれ、生き生きとしている。自分たちの環境を自分たちで変えることができたという、その自信はとても大きなものだ。

ワーカーに特別な知識が必要というのではなく、学歴が必要ということでもない。自らもその問題に直面しているからこそ、女性たちと一緒になって活動を展開することが可能となり、その問題を外部に発信し、また村と外部との情報伝達の役割を担うことができるということだ。彼女の存在なしには、この村の女性たちがこんなにも生き生きと、そして活気ある生活を展開することができなかっただろう。たった一人の活動が、カースト制度の存在によって抑圧されていた村の人々を、そして村を変えたのである。


■ 次回は・・・胎児殺しと乳児殺し