4.インド到着


■□■こんにちは、インド■□■


飛行機から降りると、もわっとした空気に包まれた。この空気はチェンナイ独特の空気ではないだろうか。暑くて湿気が多く、そして少し薄暗い。決して楽しい気分にはなれない空港だ。夜だというのに気温は四四度。その日の東京は十八度だった。

到着後、機内に預けた荷物が出てくるのを待つことにした。しかし荷物は、いつまでたっても出てこない。単に出てこないのではない。ターンテーブルさえ回っていない。まだかまだかと待ち続けても、裏で作業をしている気配さえ感じられないのである。

それにしても、荷物はなかなか出てこない。出てくるはずのターンベルトは動く気配が全くないのである。しかしその時、二つ向こうのベルトがガタガタと動き出した。荷物が出てくるはずのこの場所にいた人たちが一斉に駆け寄り、自分の荷物が出てこないかと押し合っている。まるでデパートのバーゲンセールのような光景だ。 まいったなあと思いながらその人ごみを眺めていると、今度は後ろからガタガタという大きな音が聞こえてきた。振り向くと、後ろのターンベルトがようやく動き出した様子でぽつんぽつんと荷物が載せられて回転している。同時に、何やらぶつぶつ言いながら頭を抱える人たちが増えてきたことに気がついた。私が立っている場所と、先ほど動き出した二つ向こうのターンテーブルの間を行ったり来たりしている。

きっと、何かあったんだ。

インドの人と話をしていてとても面白いのは、腕組みをして「うーん」と考え、何か起こると頭を抱えながらぶつぶつ言い、時には行ったり来たりして歩きまわり、話しの相づちの代わりに首を左右にフラフラと人形のように振ることである。日本で言う「ノー」のサインがここでは「イエス」の意味を示す。私が初めてこの姿を見た時に、どうしてこの人たちは人の話を否定しながら聞いているのだろうと疑問に感じた。人の話を聞いているのかいないのか、全くわからなかった。

そのため、頭を抱えた人が増えたということは、きっと何かあるに違いなかった。 嫌な予感がして理由を聞くと、やはり、両方のターンベルトに私たちの荷物が乗せられて回っていると言う。どちらのベルトの荷物も、私たちの荷物だった。

それからが、大混乱となった。皆が二つのベルトの間を往復し始めた。隣り合うベルトならまだしも、ベルトを一つ通り越して行かなければならない。みんな自分たちの荷物のことで頭が一杯で、平気で正面からぶつかってくる。自分の荷物を取ろうとする人たちの中に、カートを押した人が勢いをつけて強引に割り込んできたりする。私も、自分の荷物を見つけださなければならない。仕方がない。私はその人ごみの中に入ることを決意した。

■□■私は芸能人?!■□■

ようやく荷物が出てきたころには、私は疲れてぐったりとしていた。じんわりと汗をかきながら大きな荷物を運ぶ。何だか長い一日だ。しかしもう一つ、私にはしなければならないことがあった。私を迎えに来てくれた人たちを探さなければならない。これが一番大切なことだ。

実はこれも、慣れないことの一つだった。入国審査は思いのほかすんなりと通過し、さあ出発と思って前を見ると、そこにはものすごい人だかりができている。出口を、人がふさいでいるのである。決して多いとは言えない乗客に対して、出迎える人がやけに多いのがこの空港の特徴だ。これも、いつものことである。「用事はないけれど、見に来たんだ」 というような人も大勢紛れている。

そこは押し合い圧し合いの騒ぎで、柵の先頭に立つ人の向こうは顔、顔、顔。茶色の顔しか見えない。しかも夜十二時近くという時間帯のせいか、男性ばかりである。そのことがまた、この通路を通るのがいつまでたっても好きになれない理由の一つに挙げられる。

真っ黒の髪の毛と黒っぽい茶色の肌。濃い口ひげ。そのため白い歯と大きな目が、余計に目立つ。その大きな目がぎょろっとしていて、怖いくらいだ。これではまるで、私たちが彼らに観察されているかのようである。

その中に、外国人の私が登場するのだから大変だ。チェンナイ行きの飛行機には日本人はほとんどいない。日本人どころか、そのほとんどをインド人が占めている。そのため、到着ロビーにもインド人が多くなる。とにかくものすごい人だかりができているのだから、外国人は機内で目立つ以上に大変目立つ存在になる。しかも遅い時間だ。男性ばかりの出迎えの中に、女性が一人で出てくるのだ。夜十時以降に女性の姿を見かけることはほとんどないというこの町で、私のような女性が一人で登場するということは大変な騒ぎになる。 嫌だなあ。いつもの事ながら、彼らは私に声をかける。

「ヘイ!」
「ヘイ!」
「ハロー!」
「ヘイ!」

手を出して握手を求める人がいる。Tシャツをつまむ人もいれば、肩や腕をちょんと触る人もいる。初めてここに来たときには、芸能人になった気分だった。

男性と女性が街中で一緒に歩くことはめったにない。結婚するまでデートもしないという人が圧倒的に多いこの環境では、そして外国人が珍しいという場所では、とにかくこのように混乱する。私は、この難関を通りぬけなければ外に出られないことをすっかり忘れていたのだった。
「ヘイ!」
「ハロー、マダム。」
「ヘイ!タクシー!」
「マダム、オート!」
「ヘイ!マダム!」
「ハウ・アー・ユー?」
やっとのことで外に出た。

以前、 「ドウ・ユー・リメンバー・ミー(僕のこと覚えている)?」 と言われた事があり、もしかしたら知っている人かもしれないと振り向いたことがある。すると近くにいた人たちがわっと集まってきて私を取り囲み、行く手をふさがれて途方に暮れたことがあった。着ていたTシャツをつかまれ、離してもらえなかったのだ。そのため特に女性は、この通路を歩く時には気合を入れて歩かないと大変なことになる。

大変なスタートだと思ったその瞬間、柵の向こうから身を乗り出して紙をちらちらさせている人たちがいた。そこには私の名前が書かれている。 「やった!」長い長い旅だった。


■ 次回は・・・屋上で眠ろう!