2.村の一日


■□■夜明け■□■

外にゴザを敷いて眠るようになってから、私は熟睡できるようになっていた。土でできた小さな家の中は昼間の暑さがこもり、暑くて眠れない。土でできた家には窓がないうえドアに鍵をかけて眠るため、密室の暑さといったら耐えられるものではない。この部屋には穀物を貯蔵する壷が私の身長くらいに積み重ねられ、机の上には昭和四十年代くらいの、ぼろぼろのテレビが置いてある。緑色をした鉄製のクローゼットもある。四畳半ほどの広さのこの部屋に、女性が三人並んで眠る。私はすぐにじんわりと汗ばみ、体中がべたべたしてくる。とても気持ちが悪い。

眠る時には土の上にゴザを敷き、持参してきたベッドシーツで体を包む。蚊に刺されないように、ねずみにかじられないように、そしてさそりに刺されないようにするためだ。 昼間の暑さを吸収した土の熱さが、ゴザを伝って私の背中に伝わってくる。そのぬくもりがとても心地良い。

地面で眠ると視線が動物と一緒になる。まるで動物の気持ちに近づけたかのような気分だ。風に運ばれてぷんと臭ってくる家畜の匂いが気になったのも初めのうちだけで、すぐに慣れた。近くを鶏が歩いていても気にならない。寝ている私たちのそばに、犬がやってきた。村の犬は痩せこけている。村では「犬を飼う」なんてしない。特にかわいがるわけでもなく、邪魔にするわけでもない。何の感情も示さないのだ。彼らの態度を見ていると、「人間も動物も一緒に生きている」感じがする。昼間は犬も暑くてじっとしているが、日陰で寝そべっている犬の近くを通る時には誰もがそろりそろりと通る。弱そうに見えて、実はそうではないようだ。時々、棒を持った人がやって来て、人にまとわりついてくる犬をビシバシ叩く。細くて毛が少なく、しかし鋭い眼を持った犬はキャンキャン鳴きながら逃げていく。噛まれたら狂犬病になってしまう。
どうしよう、狂犬病の予防接種をしていない。 地面に寝ている私たちの周りを、犬がうろうろし始めた。ドキドキする。何もしなければ、噛まれることはないだろう。じっとしていよう。一緒に寝ている家族は、犬が来ても平気で眠っている。だから私もきっと大丈夫だろうという、妙な安心感がある。 クンクンと周囲の匂いを嗅いで、犬は去っていった。

朝はまだ五時前から鶏が鳴きはじめる。とてもうるさくて眠れない。私はいつも、井戸の音やホウキの音で目が覚める。起床時間はない。目覚し時計が鳴るわけでもなく、鶏が鳴いたら目を覚ます生活だ。蒸し暑い空気の中に、どこか懐かしくしかし決して気持ちが良いとはいえない家畜の匂いがもわっと漂っている。 横になったまま目を開けると、女性はとっくに起きて朝の仕事をしている。

村の女性たちは井戸に行って水を汲み、チャイ(インドのミルクティー)の準備をし、庭を掃除する。インドのホウキは日本のそれとは異なり柄が半分ほど短いため、女性たちは腰を屈めて掃除することになる。腰が痛くなるのは私だけだろうか。サッ、サッ、サッ、という規則正しいリズムに乗って、庭を掃く音が聞こえてくる。

次に何をするのかというと、大きなたらいに牛の糞を集める。そこに井戸から汲んできた水を入れ、左手でよく混ぜ合わせるのだ。右手は食事の手、左手は不浄の手。

うそーっ、牛の糞を触るの!きたなーい!

こんなことを思ったのも、つい三年前のことだった。この「水で溶いた牛の糞」を、今度は雑巾のような布で床や壁によく塗りつけるのだ。・・・ということは、今まで私が座っていた床にも、牛の糞が塗りたくられていたの?

そのとおり。

ふと寄りかかった壁にも、腰を下ろした台にも、牛の糞が塗られていたのである。しかしこれは、決して汚いものではない。牛の糞には殺菌作用があるとのことで、こうしておくとハエが来ないのだという。そう言われれば確かにそうかもしれない。実は牛糞には栄養分がたっぷりと含まれているため、そこに水と落ち葉を混ぜ合わせ、肥料として畑にまくこともる。その一方で糞を平たい円形にして乾燥させれば燃料にもなる。牛糞は活用度が高く有効利用できる、大変優れたものだ。

さてここまで終了すると、女性はよいしょと立ち上がり、今度は瓶や缶に入れられた石灰のような白い粉を出してくる。そしてそれを指でつまみながら、玄関にきれいな幾何学模様を描く。これには様々なパターンがあるようで家ごとに異なり、また毎日違う模様を描いている。魔よけである。この模様を地面に描く時にも女性たちはサリーを膝までまくりあげ、腰を二つに折り曲げた格好で作業をする。膝を曲げるということはしない。疲れないのだろうか。


■ 次回は・・・村の一日〜女性たち〜