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シークレット ルーツ

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 その話によれば。
 エリュクテスが天へと昇って、いくらか後のことである。
 後にグラグノールを名乗ることになるエリュクテスの幾つかの一族は、なんとしても地下に拠点を築かねばならない、切実な必要性に迫られたという。
「君はFS計画というプロジェクト名に聞き覚えはないかね」
「Project Final Soldier、究極の兵士を人工的に産み出そうという研究ですね。大昔のものですが、未だエリュクテス市民防衛庁の機密ファイルの奥深くに隠された……しかも隠されていたものすら、白紙も同然の内容でした。研究の意義やらそんなことばかりで、実質的な手段についての言及は皆無。ですから、実態は知りません」
 実態以前に、プロジェクト名を知っているだけで、本当はかなり問題である。
 モルディアードのような、いかに博士号を持っていようが、結局のところ一介の学生に過ぎない身では、知る由もない情報なのだ。
 それを知る方法は、唯一つ。
 市民防衛庁マザートロンへのハッキングである。当然、違法行為だ。
 以前、ハッキング理論の研究の際、実験対象に市民防衛庁を選んだ。どうせやるならガードの堅いところでなくては意味が無いというのが理由である。
 その過程で、副産物的に入手した情報であった。実験は成功し、侵入の形跡一つ残していない。
 FS計画を知っている、と答えることは自己の犯罪行為の肯定に等しかったが、モルディアードは躊躇わなかった。この男の前で、その程度のことを隠しだてして何になろうか、という気がした。
 アルヤーヴは、軽く頷いた。
 やはりハッキング行為の良し悪しなど、気にも留めていないようである。
 話は、続いた。
「実態がファイルに記されていないのは、当然だな。連中も知らなかったのだからね。あのプロジェクトを取り扱っていたのは、委託された民間業者数社でね。結局、市民防衛庁にも最後までその実態は明かされることのないままに、プロジェクトそのものが立ち消えてしまったのだよ。FSを創る手段そのものは八割方完成をみていたのだが、とんでもなく馬鹿馬鹿しい事故が起こってしまってね。プロジェクトどころでは、なくなってしまったのだな。ところで、このFSを創る手段、だがね。簡潔に言えば、ヴァンパイアウイルスを人工的に人体に接種するというものなのだよ」
 都市外には、いつの頃からか人外の種が確認されるようになっていた。
 化学変異によるミュータントも多いが、どうにも分類の不可能な伝説の中にあるのが相応しいモンスターも数多い。ヴァンパイアもその一つである。
 いや、あった筈だが、アルヤーヴの言によれば、ヴァンパイアに関しては、かなりの生物学的解明がなされているようだ。
「君もある程度は知っているだろうが、ヴァンパイアは人の血を啜り、その吸い方次第で相手を自分の血族となすことができる。これは言い換えれば、相手を自分の保有するヴァンパイアウイルスに感染させる、ということなのだよ。そして、ヴァンパイア個体の能力は、全ての運動能力において一般人を超えることは実証済みだ。となれば、人工的にいくらか弱めたウイルスを接種してやることができれば、怪物寸前の、それでもどうにか人間と呼びうる存在を創りだせる。これがFS計画の実態だよ」
「凄まじい計画ですが、いささか片手落ちですね。それではヴァンパイアの弱点までもが受け継がれることになる」
モルディアードは、すっかり話に引き込まれている自分を感じた。もともとが、様々な分野の研究者なのである。面白いのだ。
「そう、陽光症の克服こそが、このプロジェクトの最大の難点だったのだよ」
 『陽光症』。
 陽光を浴びることにより、ヴァンパイアに生じる様々な肉体障害の総称である。夜の闇の中では最強を誇るヴァンパイアも、昼の光の中では著しい能力低下をみせる。全ての機能において、一般人以下の値が計測される程に。
「第二に、銀に対するアレルギー反応。いくら通常攻撃に対する耐久力が上昇したとて、銀の弾一発で死滅するようでは、どうにも使えない。ウィークポイントが発覚してしまえば、これほど扱いやすい敵もいなかろうさ。さらには、これは個体によるが、心理的に問題があると、もう一つウィークポイントが増えてしまう。信仰心の問題なのだがね。信仰心の高い者がヴァンパイア化すると、その信仰対象のホーリーシンボルの類にもアレルギー反応を起こすようになる。しかも、その宗教にヴァンパイア殺しの伝説でもあった日には……目も当てられんね。その同じ方法で確実に死に至る性質までもを帯びてしまうのだよ。今の世の中、本気で宗教にかぶれる者もそう多くはないんだが、意外にも一流の軍人だの傭兵だのといった連中は、信仰対象を持っている比率が高い。日常的に命のやりとりなぞしていると、そうなるものか。私には理解できんがね」
 ……この人には、理解できない感情だろうな。
 モルディアードは、思った。
 目の前にいる男は、自分の存在が自分以外の何者かに握られていると考えることなど、決して許容できないだろう。たとえ相手が神であろうと、運命そのものであろうと。また、そんな考えを許容する必要もないだけの強さをも、持ち合わせていそうだ。
 強烈なまでの自信、そしてそれに見合うだけの力。
 それはほんの僅かな時間を共にしたにすぎないモルディアードにすら、ひしひしと感じられた。
 いや感じられるよう、全ての仮面を外しているのか。それとも、そのことすらが、フェイクでしかないのか。そこまでは、モルディアードにはわからない。
 その感触は、イメージするなら、闇の焔。
 ある種静かな、決して揺らぐことのない、それでいて闇黒の深淵を覗き見るかの涯のない力を内へと秘めた、焔。
 これこそが闇と退廃の街を支配する力、なのか。
 こんなものを感じさせる人間に、宗教「理論」はともかく、信仰する心の本質など理解できるわけもない。
 まだしも、信仰される側の心の方が、理解しやすくすらあるかもしれぬ。
「他にも牙の与える外見上の印象だの、食習慣の変更だの瑣末な事柄は多々ある。総合的には、デメリットの方が多いかもしれん。さて、それでも、こいつを使おうと思ったら……君ならどうする?」
 アルヤーヴは、問いかけた。
「心理面はともかく、肉体的なことに関してのみなら、いくつか方法はありますね。最も簡単なのは陽光症の抑制剤の開発でしょうが……常用が必要になるでしょうし、副作用の危険も高い。何より根本的な解決にはなりませんから、これではその場しのぎにしかなりませんね。真の解決策として、考えるなら方法は二つ。一つはヴァンパイアウイルスそのものの改変。もう一つは、ヴァンパイアウイルスの余分な性質だけをセーブする働きを持つ、別種のウイルスの開発、といったところですか」
「選ばれたのは最後のもの、抗体ウイルスの開発だった」
 言葉を切って、軽く前髪をかきあげる。
 一々、絵になる男だ。
「だが、この抗体ウイルスの開発がまださっぱりという段階から、FSの試験体の作成は行われており……そして世にも馬鹿馬鹿しい事故が起こった。プロジェクト関連企業のトップ連が、研究室を視察にやってきた、よりによってその時に、管理トロンに正体不明のエラーが生じ、ウイルスポッドが一斉にその中身を吐き出した。ウイルスを高濃度に含んだ液体が、霧状になって噴出したのだよ。ウイルスは経口感染だ。室内がウイルスの霧で満たされれば、結果は言うまでもなかろう」
「彼等はヴァンパイアウイルスに感染してしまった。しかし、抗体はまだ完成していない。だから陽光を避けて地下へと潜る必要が生じた。それがグラグノールの一族になった、と?」
 モルディアードは、咄嗟にアルヤーヴを凝視した。
「では……!」
 世にも妖艶な微笑みが、返された。
 それは、肯定の証。
「そう、無論、私も、なのだよ。ヴァンパイアウイルスは遺伝する。恐ろしいかね、私が?」
「恐ろしいも何も」
 あったものではない、というのが正直な感想だ。
 アルヤーヴ・R・グラグノールの名だけで、十分以上なのである。これ以上、何をどう感じろというのか。
 モルディアードが正気でいるのは、彼自身の強靭な理性と生への渇望、そして元来の好奇心の混在によるものだ。ある意味、超人的な力とさえいえた。常人であれば、そもそもこの情況で悠長に問答などしていられまい。
「ふふ……そう、例えば、さ」
 言ってアルヤーヴは、卓上のグラスを脇へついとずらし、ぐいとその身を乗り出した。ほとんど卓に全身を預けるような姿勢で、白い繊手が差し伸べられた。
「………!」
 モルディアードは、全身を硬直させた。
 首筋にひんやりと滑らかな、それでいて揺るぎない感触がある。それは細い、けれど動きをしかと封じる五重の枷の様相を呈していた。アルヤーヴの指の一本一本に、抑えられた力を感じる。
「これまでの会話は、全てが茶番で……」
 低く、やや掠れ気味の、声。
 囁く唇の朱が、より鮮やかに際立つ。
「君は、ただ……」
 真っ直ぐに見据えてくる、妖しい眼差し。
 深い藍色の瞳が、その色を変じてゆく……凶烈なまでの、紅へと。
「冗長な遊びにまでも、つきあわされた……」
 ゆったりとした、微笑み。
 口許にいつしか出現していた双つの漆黒の杭が、朱の唇に黒光のきらめきを添えた。
 これこそ、夜の一族の証。
「哀れむべき餌、にすぎないとしたら……どうだね?」
 モルディアードは返答すべく、口を開いた。
 が、返せたのは無声の吐息だけだった。
 声を出した、つもりだった。話し方を、忘れてしまったような気がした。
 精神が、言い様もなく緊張している。
 それでも頭は、理性は、彼特有の強靭さのおかげで働いてはいる。
 だが、違うのだ。駄目なのだ、それだけでは。理性を超え、魂の真核に直結するような・・そんな部分が、無数の触手に絡めとられてしまっている。
 そしてそこから、恐怖、憧憬、苦痛、悦楽……対極に位置する雑多な全てが一体となった表記不能のインパクトが、毒素と化して侵入してくるのだ。際限なき毒は魂の随所を灼き、やがてそれは真核へすら……!
 達しようかというその瞬間、首筋の感触が消え、モルディアードは解放された。
「正気に、戻ったかね?」
 双つの杭を覗かせたまま、揶揄するかの口調でアルヤーヴは言った。
「ほんの、冗談だよ」
「……冗、談?」
 ようやく、声が出た。
 言いようのない脱力感が、じわじわと全身に広がってゆく。
「まぁ、完全にそれだけだ、というわけでもないのだが。私が、どういう存在であるのか隠したままで君を勧誘する、というのは、いささかフェアでないのではなかろうか、と思ったりもしたものでね」
 見る間に、口許の黒杭が消えてゆき、瞳は深い藍色を取り戻してゆく。
「………」
「信じたまえ。私は、君を餌などと認識してはおらんよ。ついでに言えば、飢えから狂変して君を襲ったりすることもない。今では抗体ウイルスも、完成しているのでね。無論、私も保有している。だから、私が吸血行為に及ぶのは、私自身の理性がそう命じた時に限られる。しかも、血液の接種は、そう……月にこいつ一杯もあれば充分だ」
 ブランデーの入ったグラスを示し、ついでに半分ほどあった残りを一息に干す。
 その光景を眺めつつ、モルディアードは深い溜息をついた。
 ……まったく、常人の感性じゃないな。

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