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シークレット ルーツ

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◆◆◆◆◆
 隣室へと足を踏み入れたモルディアードは、目をしばたたいた。
 暗い。陽光に慣らされた目が、暗がりに適応するのに十秒ほど要したか。
 もっとも、暗いとはいえ、あくまで先の室と比較してのことである。陽光が入らない、というだけで灯りはあるのだ。陽光が入らないのは窓らしき壁部分が、全て厚いカーテンで覆われているためだ。
 そのかわりに、あちこちに置かれた洒落たスタンドランプが、柔らかな光を投げかけている。
 広い、部屋だった。先の室がいかにも重役室といった趣であったのに対し、こちらは一流ホテルのスイートルームを思わせる。
 アンティーク調の家具は、今どき珍しい本物の非合成木材で作られている。つまりは、アンティーク「調」ではなく、まさに本物のアンティークということだ。
 低いテーブルと、ゆったりした長椅子、それにソファがいつくか。
 壁際には大きめの書きもの机と書棚。
 これまた今どき不必要な贅沢である。小型トロン一台、ポケットに忍ばせるほうが、遥かに機能的かつ安上がりというものだ。
 キャビネットには年代物のブランデーやワインから流行のドラッグフィズまで、雑多なアルコール類。
 こちらは、値段にこだわり無く、いかにも高価そうなものから、そこらのストアの特売品にありそうな安酒まで揃えてある。もっともその脇に並ぶ酒器のほうを見れば、どれをとっても一財産になりそうな代物ばかりだ。
「どこでも好きなところに、掛けてくれたまえ」
 ローランに目をやると、彼はいつの間にかスーツの上衣を脱ぎ捨て、タイを外しているところだった。
「失礼」
 言って、シャツまで脱ぎ捨てる。
 白磁の肌が、モルディアードの目をくらませる。
 ローランは長椅子に掛けられていたガウンを手に取り、ゆったりとしたその袖に、手を通した。
 緩く束ねられていた黒髪が、ほどかれる。
「悪いね、ここではいつもこうしているのだよ」
 言って、彼はうつむき、こめかみに左手を当てた。
 はらはらと落ちる髪が、無顔を覆う。
「それは………」
 未だ立ち尽くしていたモルディアードは、それだけ言うと言葉を失った。
 ローランの手に、外されたミラーシェイドがあった。
「これかね? よくできた玩具だろう」
 埋め込み式のサイバー化を模したものにすぎない、ということか。しかし、不可解である。
 不可解なことは、他にもあった。
 ローランの髪が、根元からゆっくりと濃藍色に染まりつつあった。
 と、同時に、直毛だった髪が、ゆるやかに波打ちはじめる。
 かたり、と小さな音を立てて、ミラーシェイドが卓上に置かれた。
 ローランは、ソファに深く座ると、立ち尽くすモルディアードを見上げた。
 その面貌が、卓上のミラーシェイドの反射光に照らし出され、白々と浮き上がった。
 鮮烈なまでの、美貌。
「貴方は……!」
 モルディアードの脳裏を、一つの名がよぎった。
 そこにいるのは、もう全くの別人であった。
 髪の色の違いや、シェイドの有無などは、ごくささいなことだ。
 髪の色など、染めるまでもない。埋め込み式の体内環境調整トロンの類を使用しているなら、自由に変更できる。
 ミラーシェイドにしたところで、ここまで徹底的に鏡の役を果たす悪趣味なものは珍しいにせよ、その有無だけで、人がここまで変わるものではない。
 では、何が?
 気配、だ。人間として発している気配が、違う。
 これは最早、ローラン・Z・藍上などという男ではなかった。
 そしてより遥かに、強烈な存在であった。
 演じる役者の格が急に数段上がったかの、果てしなく濃密な存在感を、ごく自然に纏っている。
 気配の質も、違う。
 企業の重役然とした硬質さは雲散霧消し、かわりに退廃の微粒子を含んだ優雅さが漂っている。
 変わらぬのは、無顔からも、その下から現れた濃藍色の瞳からも同じく発せられている、知性のきらめきのみ。
 いつの間にか、朱の色に染まった唇が開かれた。
「さて、それでは、本題に入るかね? 当面、ローラン・Z・藍上という男のことは忘れるのだな。君に会いたがっているのは、その名を使う者としての私ではないのでね。ところで、念のために聞いておくが……これだけ素の有様を見せたのだ。まさか、私の正体が判らぬなどということは、無かろうな?」
「……アルヤーヴ・R・グラグノール」
 答えようとした、わけではない。
 茫然自失状態のまま、発してしまった呟きにすぎない。
 わけが、わからない。
 何故、こんな人物が、この場所で今、自分の前にいるものか。
 これまでに面識はない。
 しかしそれは、誰もが知っている名であり、顔であった。
 アルヤーヴ・R・グラグノール。
 『グラグノール』、これは特別な名であった。
 この名の特異性を、モルディアードが初めて聞かされたのは、プライマリスクールの都市史の時間だったように思う。
 その内容は、といえば。
 浮遊都市エリュクテスの真下、天国と呼ばれる都市の影落ちる地、史上最低最悪のスラムといわれる、名すら失くした荒廃の街、煉獄。
 かつては、こここそが、エリュクテスに他ならなかった。
 しかし、「狂乱の七日間」と呼ばれる正体不明の災厄により、地上のエリュクテスは壊滅した。突如、全ての都市システムが、その機能を停止したのである。人々は魂が抜けたも同然の街を捨て、天高くに新たな都市を築いた。
 約百十年前のことである。
 かくて、エリュクテスは世界唯一の、浮遊ドーム都市に生まれ変わることとなった。
 旧市街地は、はぐれ者の吹きだまるスラムと化した。
 その天国、煉獄のさらに下に、もう一つの世界がある。
 地獄と呼ばれる地下都市、闇と退廃の街・グラグノール。
 エリュクテス旧市街の広大な上下水道を基礎に、さらに深く、広く、掘り進められ作られた街である。
 いつから、そんなものが作られていたのか、明確にはされていない。
 明確なのは、いまやそれが正確な面積など測りようもない程の、大都市と化しているということだ。
 特殊な、実に特殊な、都市であった。
 世界唯一のドーム外都市は、世界を支配する理の外にあった。
 世界……全ドーム都市の連合体である世界評議会……は、グラグノールを都市として認知することを否決した。そこにありながら、その存在を世界は認めなかったのである。
 これは裏返せば、世界の法とも無縁であるということであった。
 つまり、グラグノールは世界唯一の完全治外法権を手に入れたのである。
 グラグノールの力が微弱であれば、このことは不利にしか働かなかったであろう。しかし、それを有利へと転換できるだけの力は持っていた。いや、むしろその潜在力は、ギガドームクラスであるといってよい。
 グラグノールの主産業は、二つの軸で成っている。
 一つ目の軸は、サイバネティック関連技術と、ドラッグ・アルコール・セクサドール等のあらゆる快楽産業である。
 世界の規定する、法の許容範囲を遥かにオーバーした内容を、法の外にあるが故に抵抗なく生み出すグラグノールは、これらの分野の闇市場を独占していた。闇であるだけに、動く金額も尋常ではない。
 もう一つの軸は、軍需産業及び、傭兵業。
 世界が世界評議会の法の下にあるからといって、決してドーム間戦争そのものが無いわけではない。近年、大規模な大戦こそないものの、小競り合い程度なら、そこここで行われている。兵器・傭兵の需要はいつでもあった。
 しかもグラグノールの傭兵は、他都市においては非合法とされるまでの高度なサイバー化を堂々と行っている者が大半である。歯止めのかけられる他都市の兵士と比べれば、断然強い。
 そういった者を貸し出せる、のである。都市グラグノール自体の軍事力の高さも推し測れよう。
 グラグノールとは、そういう都市であった。
 その都市と、同じ姓を持つ一族がいる。
 世界の法の外にある地下都市は、無法地帯ではなかった。
 彼等こそが、地下の法。
 地獄を実に効率よく運営する、闇の支配階級。
 『グラグノール』とは、そういう名であった。
 そして。
 アルヤーヴ・R・グラグノールといえば。
 経済・情報局局長の肩書きを持つ、現在のグラグノールの実質上の最高権力者の一人に他ならない。
 認められぬ都市とは言いながら、エリュクテスはその距離の近さ(近いも何も真下である)もあり、一応の都市交らしきものがグラグノールとの間に保たれていた。
 為に、経済・情報局局長などという地位にあれば、しばしばニュース映像にその姿を見せて当然である。
 その上、この男の場合は、さらに輪をかけて露出度が高かった。
 全く政治的内容とは関わりの無い雑誌記事等も拒否することはなく、気が向けば応じてやる。
 つい先日も、「次期トレンドの傾向はこれだ」などという見出しのファッション誌でモデルを務めている。かと思えば、某誌では人生相談のコーナーのゲスト回答者になっていたりと、タレント紛いの扱いである。
 エリュクテスで、彼を知らぬ者など、およそ考えられないのである。
 しかし。
「な……んで……?」
 この場合、どういう人物であるかが、あまりに明確であるがために、より一層モルディアードには今の情況が不可解だった。
 ふふ、と誰もが知る美貌が、笑った。
「怯えることはないのだ。確かに、これまでの君の生活に比ぶれば、いささか非日常的な事態では、あるだろうがね。さっきも言ったが、とりあえず座ったらどうだ?」
「あ……、はい」
 ぎこちなく、ソファに腰を下ろす。

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