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シークレット ルーツ
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「まぁ、その……何というか、難しいところもある方なのでね」
 モルディアードがその人物の人となりを尋ねた時、返された第一声がこれだった。
 エリュクテス。
 都市コード・GD003ELYCTESS。
 世界に十一個ある巨椀都市(ギガドーム)の一つであり、その中でも繁栄を極めた世界有数の大都市である。
 その高層オフィスビル街にある藍上製薬本社ビル最上階へと向かう、リニアエレベータの中でのことだ。
「いや、無論」
 と、案内の男は続けた。
 ちなみに案内の男とはいえ、彼は決して使い走りではない。れっきとした人事部長だ。
 しかも幾つもの支社を持つ藍上製薬「本社」の、である。
 このことは今からモルディアードの面会しにいく人物の地位を、如実に示していた。
「君も、我が社に家族が勤めている以上、多少は噂を聞いたこともあるかもしれんが、実に有能な方だ。実際、ここ数年というもの我が社が危機的状況を向かえる度に、その問題が根本的にクリアになったのは、全てあの方の采配によるものだよ。あの方が直になさった談合で、望み通りの結果を出せなかったことなど、聞いたこともない。他社の重役どもの間では、無顔医師『Dr.ノーフェイス』などと呼んで怖れることしきりだよ。何でも、あの方の表情一つ読み取れないままに、我が心を省みれば意識改造手術は終了済、という意味合いらしいがね。しかし、だ。そういう方なればこそ、えてして我々常人には理解の及ばぬところもあるわけだよ」
 エレベータの階数表示が止った。1023階、ここが目的の階だ。最上階である。
 音もなく、扉が開く。
「君も粗相の無いように、頑張りたまえ」
 この説明で、何をどう頑張れというのか。
 モルディアードは思ったが、それについて一考する間もなく、二人は一枚のドアの前に行き着いていた。
 部屋の用途や主を示すプレートなどは、ない。
 ノックの後、人事部長は呼びかけようとしたが、その前に中から声がかかった。
「彼を入れたまえ。君はもういい。御苦労だった」
 人事部長は、モルディアードに、さぁとうながし、来た道を戻っていった。
「失礼します」
 一歩入って、ドアを閉める。
 機能重視の、よく整理された部屋だ。
 中は明るかった。
 壁の一面を占めるガラス越しに差す陽光が、室内を満たしている。
 そこに、人影があった。逆光でよく見えない。
 人影が光の中から数歩、歩み寄ってきた時、モルディアードは息を呑んだ。
 目の前に、モルディアード自身の顔があった。
 軽い笑声が、聞こえた。
「初めは意外にぎょっとするものらしいな、これは。そんなに珍しいものでもないと思うのだがね。私に会う者達は、何故か一様に今の君のような反応を示す」
 その人物の口許以外の顔面をすっぽり覆ったミラーシェイドに、自分の顔が映っているだけだと気付き、モルディアードはほっと息をついた。成程、無顔医師などと呼ばれるわけだ。
 モルディアードは改めて、人影を見つめた。
 背丈は並、派手ではないが上質のダークスーツをまとい、背中に届くストレートの黒髪をゆるく束ねている。
 件のミラーシェイドはサイバー化されているらしく、こめかみのあたりに肉体との接続部分らしきものがあった。取り外し可能なジャック式ではなく、埋め込み式のようだ。
 唯一見える唇は、ゆるやかな微笑を浮かべている。
 それでいて、全体的には硬質な印象を与える男だ。
 ローラン・Z・藍上。
 社員数約十万人。エリュクテスの中堅企業藍上製薬の専務取締役にして、藍上製薬のみならずそれを中心とする藍上グループの実質的な支配者である。
 にしては、随分と若い。
 口許と声からだけでは年齢の判別は定かではないが、どう見積もっても、いってせいぜい三十といったところだろう。
 もっとも、この世の中、外見から正確な年齢を判断することなどほとんど不可能に近い。
 特に金を持っている人間に関しては、細胞培養された皮膚の定期的な貼り替え交換で若い肌を保つのはたやすいし、骨をスティール補強してしまえば、老いても腰の曲がることもない。
 外見だけではない。内臓やら何やら中身にしたところで同じである。出すものさえ出せば様々な方法で、いくらでも取替えがきく。
 実質人間でオリジナルが絶対必要なのは、脳とそこに宿る精神だけといってもいい。精神ばかりは、コピーして使用したところで結局は本人の離脱すなわち死、そして新たなコピー人格の誕生以外を意味しないからだ。この事実は、霊電子量の計測実験により証明済みである。
 そして一定のライン以上に脳を改造・改変してしまうと、やはり精神離脱、抜け殻状態の死を惹き起こすことも周知の事実である。
 そうなれば脳そのものの老化を抑えるためには薬品の類に頼らざるを得なくなるけであり、近年上層権力者の間で薬品という存在は最重要視されつつある。
 藍上製薬なども、そういった情況を利用しつくしているわけだが、それは、さておき。
 ……確か、この人は二十七だった筈だ。
 モルディアードは、目前の人物のプロファイルの記憶を探った。
 昨日の晩、藍上製薬新薬開発部の研究員である父親から今日の召喚……表向きは会いたいという「要請」である。しかし力関係上それは断りようのない要請であり、実質上召喚といえるものであった……の話を聞いた折に確認しておいたのだ。
 とはいえ、さして詳しいものではない。
 社内に公開されている重役級の人間の、ごくごく簡単なプロファイルである。
 しかも、他の重役連中のファイルにはあった顔写真も、ローラン・Z・藍上のファイルだけは空欄であった。それ以外の項目にも空欄が多く、社内においてすら謎めいた存在なのだろうと思わせるようなものだった。
「今日はいきなり呼びつけたりして、悪かったね。君に対する興味があまりに募ってしまったものでね。君の研究、見せてもらったよ」
 ……あれか。
 あれ、とはモルディアードが、五日前にハイスクールの卒業研究として提出したばかりのレポートのことだ。
 現実世界の資料に基づきトロン内に構築した都市モデルの中で、架空の一企業が都市最大企業へとステップアップしてゆく過程をシミュレートしてまとめたものである。
 この「架空の一企業」がひっかかったのだろう、とモルディアードは思った。
 実名も出さずあくまで「架空の一企業」として通してはいるが、この企業モデルは藍上製薬のデータを使用し作成したのである。父親が勤めていることもあり、比較的データの入手も簡単で、かつ企業としてのランクも程よく、モデルとして使用するにはうってつけだったのだ。
 つまり、結果的に言うなら。
 このレポートの内容はといえば、藍上製薬がこのエリュクテス内で、いかにすれば最高ランクの大企業にのし上がれるかの方法論、ということにもなる。
 そのレポートが、ハイスクールの学長が藍上製薬の重役の縁戚であったために、偶然の会話の連鎖によって自分の耳にまで入ったのだ、とローランは語った。
「すみません。こちらのデータを勝手に拝借したことは謝罪します。他に何かお気に障るようなことがありましたか?」
「とんでもない。あの程度のデータ使用をどうこういうつもりはないよ。それに私は、別段君を咎めようとして呼んだわけではないんだ。むしろ、あのレポートに関しては、私は素晴らしいと思っているよ。流石は開発部のロナール君の御子息だけのことはある。気になって、ハイスクールの君のプロファイルも見せてもらったが、優秀なものだね。その年で三つの博士号と五つの特許を取得しているとは恐れ入る」
 どう返答したものかと思い、モルディアードは軽く頭を下げるにとどめた。そもそも、この会見の目的は何なのか。
「で、そのレポートだが」
 ローランは、ふと言葉を切った。
 口許に、微笑が浮かぶ。
「そんなに硬くなることはない。続きは、あちらでやろう。そのほうが寛げる」
 言ってローランは、モルディアードを部屋の奥、隣室への扉のほうへと誘った。

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