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西を指す船
にしをさすふね

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 海に面した、とある小藩の話である。
 初夏の頃、海辺で投網を繕っていた漁民がふと視線を上げると、海上をゆく船が見えた。
 漁民は、しばし目を奪われた。
 漁村のこと、船など見慣れている。
 漁船はいくらもあったし、近場には小さいが弁財船が集う港もある。
 だが、ただ一隻で沖をゆく船は、見慣れぬ形をしていた。
 三本マストから下がる幾枚もの帆が、はちきれんばかりに風をはらみ、西を目指している。
 うららかな日差しを受けながら進む姿は、遠目にも雄壮でどこか神々しさを帯びて見えた。
 眺めているうち、陽光がひときわ光を増し、船を白く霞ませる。
 光を跳ねる海のまぶしさに、一度視線を落としてから再び海上を見つめると、船の姿は消えていた。
 その夜、港の酒場は、その話で持ちきりになったという。
 漁民と同じものを見た者たちが、口々に語ったからである。
 語り合ううち、誰かがその形は南蛮船ではないかと言い出した。
 なれば、海辺の藩に住まう者たちが、見慣れぬ船であったことにも得心がゆく。
 反論する者があった。
 異国の船は幕府により来航を厳禁されている。
 ましてや先年、天草島原できりしたんの一揆があったことでもあり、異国に関することは慎重にも慎重を期さねばならない時節柄である。
 そんなものが沖に現れたならば、藩は上を下への大騒ぎとなっているはずだと。
 耳にした旅の碩学が、笑いながら応じて、騒ぎにならぬのは蜃気楼であったからだと言い出した。
 海底深くの大蛤が、ときおり気を吐き、その気が天へと立ち上ろうとする折、海上に幻が浮かんで消えるのだという。
 馬鹿な話だと信じぬ者も多かったが、船がかき消えてしまった事実に鑑みれば、そう結論づけるしかない。
 つまりは大蛤の見た夢みたいなものか。
 見たと言う者どもは、みなそろって夢を見せられたのか。
 酔いが進むにつれ、そういう話になった。

 その、ひと月前。
 漁民が異国の船を見た同じ浜に、男がひとり座っていた。
 ぼんやりと、春の陽光にきらめく海を見つめている。
 年の頃は三十路に近いか。
 整った容貌だが、女が騒ぐ優男というには、いささか鋭い。
 瞳にはどこか虚ろな冷徹さがあり、見つめられれば陶然となるより、見透かされたかの居心地悪さを覚えるだろう。
 身分の、わかりにくい男であった。
 肌の青白さを見れば、地元に多い漁民には見えない。
 それなりにこざっぱりして、袴も身につけているが、帯刀しておらぬからには士分ではなかろう。
 月代そらずに、いまはただ流している髪を束ねれば、学者か医者、八卦見あたりのていにはなるかもしれぬ。
 男はそのいずれでもなく、何者でもなかった。
 医者、というのが多少近くはあったかもしれない。
 男の養父が医者であった。
 幼い頃に拾われ、そのまま住み込み手伝いなどして、日々をすごしていた。
 さりとて医者を目指して精進しているわけではない。
 かつて養父に才ありと見込まれたこともあったが、男は生来の鋭さゆえに、すぐ気づいた。
 自分が才走れば才走っただけ、養父のひとり息子の凡庸さが目立ち、家の中がぎくしゃくとする。
 気づいてから、仕事には手を抜いた。
 怠惰を装い、ほどほどにこなしていれば、すべてが丸くおさまる。
 四つ年下のひとり息子は凡庸でこそあれ凡愚ではなかったし、小心だが生真面目で勤勉であった。
 こちらが怠惰を装えば、勤勉さが際立って、周囲の評判もよくなった。
 男はそれでよかった。
 満足していたわけではない。
 ただ、そんなものだろうと理解していたにすぎない。
 養父もひとり息子も嫌いではなかったし、それなりに愛情を持ってもいる。
 それでも、男にとって日々は虚ろであった。
 仕事の合間、ふらりと出てきては海を見つめるのが日課のようになっていたが、春のうららかな海を見ていて考えることは、
 このまま、まっすぐ歩いて波間に沈めば、案外心地いいかもしれぬ。
 などという妄想であった。
 穏やかな海は明るい光で満たされている。
 この海なら、真綿でくるむように受け止めてくれそうな気がした。
 ぬくぬくとしながら、沈んでゆけるなら、そのまま己が消えてしまっても、どうということもない。
 無論、それが現実ではありえぬことはわかっている。
 男は妄想こそすれ、いたって正気だ。
 正気であるから、海に入っていこうとすることはない。
 虚ろな日々に未練はないが、ただ消えていくことに意味も見いだせない。
 だから毎日、ただこうして海を眺め続けている。
 だが、その意味が。
 消えていくことへの意味が、思わぬところから男のもとへやってきた。

 その日、診療所を兼ねた家へ戻ってみれば、養父とひとり息子がうち沈んでいる。
 何があったかとたずねても、はかばかしい答はなかった。
 どちらかといえば善人に傾く養父は、男にいらぬ心配をかけたくなかったのかもしれぬ。
 より沈痛な面持ちのひとり息子を見れば、原因は彼にあると窺える。
 そうであれば、ひとり息子が恥じ入り口を閉ざすのも、おかしなことではない。
 だが理屈はどうあれ、男と彼らの間は薄い幕で遮られている。
 聞き出せぬまま数日が過ぎるうち、詳細は分からないながらに、いくらか見えてきたことがある。
 ひとり息子が人命にかかわりかねぬ失態を犯したらしいこと。
 詫びてすむ問題ではないが、相応の金子があれば、決着をつけられそうであること。
 相応の金子というのがどれほどのものかも分からぬが、人命に関わったというなら、結構な大金だろうと察しはつく。
 この家に、さほどの金子があろうとは思えなかった。
 貧に窮している家ではない。
 一応は町医者であるから、食うに困ることはなかった。
 とはいえ、所詮町医者、それも養父は薬礼で儲けに走る性質ではない。
 用意できる額面ではないからこその、苦悩であったろう。
 それらのことが見えてきても、男にはどうしようもない。
 そもそも、表向き知らされてもいない話だ。
 ただ、怠惰の装いを少しだけ緩和して、苦悩のふたりが手つかずになってしまった診療所の雑事を片付けてやった。
 そこで、たまたま一通の書状を目にした。
 なんとなしに開いてみれば、藩庁より出された、きりしたん穿鑿(せんさく)の回状である。
 穿鑿、つまりは異教徒を見かけたならば、すぐさま届け出よといった話だ。
 親類縁者であれ、届け出たなら銀百枚の報奨があり、訴え出た当人にはお構いなしともある。
 きりしたん騒ぎとは縁遠い藩ではあったが、先年の一揆のこともあり、とりあえずやっておかねば公儀に目をつけられかねない。
 男には分からぬことながら、そうした事情で出された回状であった。
 読み終えた男の口角が、微かに上がっていた。

 ある夜。
 男はひとり息子の目の前で、たもとより十字に組んだ木切れを落とした。
 昼のうちに浜の流木を二本の棒に削り出し、うち捨てられた破れ投網の切れ端で縛っただけの、即席のくるすであった。
 信仰のことなど何も知らぬが、証拠ひとつあれば十分だろう。
 男は無言で拾ってたもとに戻し、ひとり息子も無言であった。
 そそくさと隠された木切れが見えてはいても、その意味するところをすぐさま悟るには、苦悩に疲れすぎていた。
 察しはついていたがゆえに、男はそれ以上の不審を演じることなく、日々の営みを続けていった。
 ほどほどに仕事をし、隙を見ては浜へゆき、海を眺める。
「そろそろ、だろうかな」
 微かなつぶやきは、海風に吹かれて消えていく。
 木切れを取り落としてみせた夜より、五日がすぎていた。
 その意味するところに気づき、また身内を売るがごとき所業に思い悩み、結論を出すに十分な時間である。
 ひとり息子は養父に似て善人である。
 だが同時に、保身にはしる傾向もある。
 切迫した状況の中、出すであろう答は見えていた。
 小心な彼に、自身の出した結論を直視できるだけの性根のないことも、わかっている。
 だからこそ、男は海に通い続けた。
 この場で起こることならば、嫌なものは目にせずにすむ。
 ぼんやりと潮騒に傾けていた耳に、砂を踏む幾つもの足音が聞こえてきた。
 なんら身構えることなく、足音が近づくのを待ちながら、ただ海を眺め続ける。
 恐怖もなく、覚悟もない。
 己の行く末を己で決め、そのときを迎えただけのことである。
 流されていた、といえたかもしれぬ。
 己のうちに潜む虚ろなものに、流され続けている。
 ただ、ぼんやりと思った。
 真綿でくるまれるようにぬくぬくとは、ゆかぬだろうな。
 それだけであった。

 番所での拘束を経て、男はその夜のうちに陣屋の獄につながれた。
 小藩のこととて、大層な城など持ち合わせていない。
 城に代わる屋敷が陣屋であり、つまりは藩の中枢である。
 獄の隅の暗がりにひとり先客がいて、低い声がもれてきた。
「驚いた。この地に信徒がいようとは」
 声には応じず、相手の様を観察する。
 このような問いかけをしてきたからには、先客自身信徒なのだろう。
 男は所詮、まがいものの信徒である。
 迂闊な受け答えをして、化けの皮を剥がされるわけには、ゆかなかった。
 少し距離を置いた場所に腰を下ろしながら、目をこらす。
 目が慣れてくると、いくらか様子がわかってきた。
 両足を投げ出し、獄の角に上体をよりかからせて、ぐったりしている。
 座っているのではっきりしないが、身の丈は相当にありそうだ。
 獄衣はもろ肌脱ぎで、腰から下に垂れている。
 かすかに血のにおいがした。
 拷問の類を受けて肌が破れているのだろう。
 筋肉質で均整のとれた体つきからして、年はいっていたとして壮年、遙かに若い可能性もある。
 続いて蓬髪からのぞく顔のつくりをおぼろげに見てとったところで、男はかすかに息を呑んだ。
「あんた、異人か」
 なんの不自然もなく話しかけられたがゆえに、思い至らなかったが、きりしたんの穿鑿とあらば、潜伏した異人が捕らわれていても不思議はない。
 ふっ、と小さな呼気が聞こえた。
 笑ったようだ。
 続いて発された声は、先とは違って柔らかだった。
「異人を見るのは、初めてですか」
「ああ。見るというほど、見えてはいないが」
「なら近づいて、よくよく見られるといい」
 言われるままに腰を浮かして、前屈みにそろそろと近づいてみた。
 あと一歩大きく踏み出したなら、膝がふれるかという位置まで来たところで、異人の手が伸び、男の手首をつかんだ。
 そのまま強く引かれて、前のめりに異人の足の上に倒れこむ。
「なにをする」
 思わず怒気をはらんだ声が出る。
 だが頭を上げて異人の顔を間近に見れば、怒りはしぼみ、困惑が取ってかわった。
 異人が、微笑んでいた。
 穏やかに神の世界を見つめる、聖者の笑みではない。
 獄の暗がりの中にありながら、突き抜ける青空を思わせるほど陽性の、人間の笑みであった。
「失礼。あなたが私を怖がっておいでのようなので」
 男は言葉に詰まる。
 怖がっていたと言われれば腹だたしいが、腰がひけていたことは事実である。
「目がふたつ、鼻がひとつに口ひとつ。角も尾も無い、あなたとなんら変わりません」
 柔らかな声の中に、揶揄の響きが混じっている。
「はなせ」
「隣に座ってくだされば、すぐにでも。あまり大きな声を出したくは、ないのです」
 勝手を言うなと抗いかけた、言葉を飲みこむ。
 大きな声を出せば辛いほどに、異人の身は傷ついていた。
「座ってやるから、はなせ。俺などに力をかけず、おのが身をいとえ」
 男が座ると、異人はおとなしく手をはなした。
「無茶をする。俺が倒れただけで、足も痛んだろうに」
「こちらはもう感覚がありません」
 さらりと言われて、返事に困る。
 異人は続けて、
「動くのは口と右腕、やれるうちに悪戯のひとつふたつさせてもらっても、神罰はくだらないでしょう」
「左腕もやられたのか」
「そう酷いわけでは。ただ肩が」
 そこまで聞いて、男は自然に異人の左肩へ手を伸ばしていた。
「外れたか。少し痛むぞ」
 立ち上がって異人の正面へまわり、入れてやった。
「どうだ」
「ああ、動きます。ありがとう、ずいぶん楽になりました。その手際、お医者の先生でしたか」
 男は座りなおすと、目をそらした。
「違うが、多少の心得はある」
 そのまましばし、会話が途切れた。
 次に口を開いたのは、男のほうからであった。
「その、あんた、いやあなたは、きりしたんの僧ですか。だとしたら、失礼な口を聞いていたことになる」
「あらたまることは不要です。私は仰る通り、きりしたんの僧、この国ではおしなべて、ぱあでれと呼ばれている地位にあります」
 言われても知識のないこと、その地位がどの程度のものか、理解のしようもないが、ただひとつ思いあたることがあった。
 例のきりしたん穿鑿の回状である。
 ぱあでれとかいうものについては、普通の信徒より高額な報奨が記されていたと思い出した。
「俺の五倍か」
 ぼそりとつぶやいた。
 ぱあでれという地位にかかった、報奨金の額面である。
「五倍とは」
「いや、気にしないでくれ。俺は旅の信徒から信仰の話を聞いて、信心を得ただけの、言うなれば素人信徒だ。いろいろ疎く、無礼があるかと思うが容赦いただきたい」
「この場所で、無礼もありますまい」
「それもそうか。ぱあでれというのは、皆あんたのように、言葉に堪能なのか。長崎ではもっぱら通訳が異人と話をしているという噂だが」
「話せる方は多いが、私はとりたてて学んでいません。生まれが呂宋の日本人町だっただけです。ゆきずりの女が産んだ子でしたから、日本の血は入っていませんが。そんなわけで幼い頃から、私のまわりでは様々な国の言葉が飛びかっていた。そうした場所に育てば、誰でも……」
 どこか痛んだものか、そこで言葉が途切れた。
「無理にしゃべらなくていい」
「話しているほうが、気がまぎれませんか。主なる神と話すほうが落ち着くならば、それでも構いませんが」
 男を気づかっているようだ。
「いまは人と話すほうが、よいのはよいが。その、神のもとへ行く日は近いのだろうしな」
 考えてみれば、祈りの言葉のひとつも知らぬ。
 ふりをするにも、どうしていいやら、わからなかった。
「では、このまま。しかしあなたは落ち着きのある方ですね。怯えるそぶりひとつ見せない。それだけ信仰が強いということでしょうか」
「いまのところは、そういうことに、なるんだろうな」
 実際は、ただ虚ろなだけである。
 だが、そう答えるしかなかった。
「あんたのようになっても、落ち着いていられれば本物なのだろうが」
「そういうことに、なるでしょうか」
 異人の答えは男の言葉の鸚鵡がえしに近かった。
「ですが、あなたは私のようには、ならないでしょう」
「泣き叫ぶか、はたまた狂うか」
 長い間、そのような衝動にかられたことはない。
 とりたてて痛い目にあいたくはないが、少なくとも、虚ろではなくなれるのかもしれぬ。
 そんなことを考えたが、その思いを異人の言葉が遮った。
「そういうことではなく。拷問は行われないと思います」
 意外な、言葉であった。
「牢番の話が聞こえました。新たに信徒、あなたのことですが……が捕縛されたが、もういいだろう、痛めつけて殺すも、ただ殺すも末路は同じだというようなことを」
 同じといえば同じではあるが、腑に落ちない。
「どうしてだ」
「私で疲れてしまったようです」
「疲れたなら、休めばすむことだろう」
「心が、折れてしまったのですよ。ここは平和な地のようですね。人の身を傷めつけたのは、私がはじめてだったようです」
 形ばかりに町も港もあるとはいえ、田舎の小藩である。
 拷問が必要になるほどの罪人が出ることなど、まずなかった。
 きりしたんにしても、今回がはじめての穿鑿である。
 藩士たちは、一応は武士である。
 ただし帯刀こそしていても、人を斬ったことのある者など数えるほどだ。
 それでも戦となれば、勇をふるって斬りもしたろう。
 だが、拷問となれば話は違う。
 医師の家で育った男のほうが、多くの血を見ているだろう。
 だからこそ想像がついた。
 養父の仕事は基本的には薬を調合して渡してやることである。
 それでも、木の枝先が刺さっただの、腫れ物が膿んだだのした患者が来れば、人の肉を裂くことがある。
 拷問と治療では、目的こそ逆だが、その経過の一点を見るならば、人の身を傷めて血を流させていることに変わりはない。
 慣れぬ者には、そのさまをただ見ていることすら苦痛であろう。
 実際、患者につきそってきた縁者は目をそらす者が大半で、血を見て気を失う者もあったりする。
 通常の人間とは、そうしたものだ。
 また、きりしたんへの切迫感が少ないということもある。
 公儀への手前、穿鑿は行っているが、そもそもこの藩の者にとって、きりしたんなど、どこか遠い存在でしかない。
 重罪人には違いないが、人殺しや盗人に対するような気持ちには、なりきれなかったのだろう。
「その話、わからないでもない。楽にすむなら、それにこしたことはないが」

 翌日、はたして異人の言葉の通りになった。
 男は、獄から引き出されすらしなかった。
 ただ、役人が来て格子ごしに、こう問いかけただけである。
「一度だけ問う。そのほう、転ぶ気はないか」
 転ぶ、すなわちきりしたんの信仰を捨てて、改宗するということである。
「二度は聞かぬぞ。よくよく考えて答えるがいい」
「転びませぬ」
 わずかな間もおかず、答えていた。
 転んだとて、訴え出たには違いないのだから、金子はひとり息子のもとに入るやもしれぬ。
 だが、死ぬような目にあったならまだしも、この問いかけで転ぶようなら、騙りを疑われてもおかしくない。
 事実騙りであるのだし、男には騙りきる選択しかなかった。
「転ばぬか。遺憾ながら、重畳である」
 おかしな表現であった。
 正反対の言葉がふたつ、並べられている。
 不審顔になった男の視線をよけて天を仰ぎながら、役人はひとりごとのように続けた。
「誰かが、死なねばならぬのだ。そのほうが居らねば、藩士の身内から人身御供を出してでも、死なさねばならなかった。ただでさえ公儀に目をつけられておる折、穿鑿したが皆々転びましたでは罷り通らぬ。断固たる処断をする様を見せねば、人死になくしては、藩が潰れる」
 徳川将軍家の親類筋の大名ですら、取りつぶされる時節である。
 このような小藩など、わずかな瑕瑾で消し飛ぶだろう。
「追って沙汰いたす。そう長くは待たせぬであろう」
 そう言い置いて、役人は立ち去った。
「あの役人は人間らしい方のようだ。あなたに、言い訳したくなったのでしょう」
 異人が、笑った。
「話していい事柄ではないだろうが、死人に口なしということか」
 追って沙汰するとは言われたが、命をとられることは確定事項だ。
 日取り段取りの調整があるにすぎない。
「口のある間に、俺が叫びだしでもすれば、どうするつもりだ。いや、そういうことか」
「なんです」
「俺たちは、大々的に人前で磔(はたもの)にかけられたりは、しないということだ。公儀の役人の検分くらいはあるかもしれないが、俺たちが言葉を余人と交わす機会はないんだろう」
 それはそれで、好都合であった。
 人のよい養父はもとより、訴人となったひとり息子の目に触れぬ場で、終れるほうがいいに決まっている。
 先が見えれば、後は待つだけだ。
「なあ。体が辛くないなら、話してくれないか。退屈しのぎに話そうにも、俺の中には話せるものがない」
「では」
 それからの数日、男に請われるままに、異人は話した。
 説教の類になるかと思ったが、そうではなかった。
 生まれ育った呂宋の町のこと。
 航海や水夫の仕事、海鳥の群れのこと。
 寧波で目にした、はりぼての龍や等身大の人形が舞う祭のこと。
 平戸の町ではじめてこの国を見たときに感じたこと。
 平戸よりこの地へ至るまでの間、隠れ潜みながらも、折々に見ることができた美しい景色のこと。
 布教の苦労や、捕らわれた経緯などは話さなかった。
 ただ美しいもの、心躍るもの、珍しいもの、興味深いもの、そうした話を実に楽しそうに続けていった。
 傷ついた身のこと、話し続けるのは、こたえただろうが、命を燃やしつくすように言葉は止まない。
 男も、止めなかった。
 先のある身でもなかったし、このままずっと異人の声を聞いていたい、いつしかそんな気持ちにもなっていた。
 だが同時に。
 聞いているうち、すぐ隣から聞こえ続ける、男へと向けられているはずの声が、どこか遠い場所での独り言のように思えることがあった。
 異人の語り口や、声音が変わるわけではない。
 おそらくは男の側が、もやりとした違和感を覚えていたためだろう。
 違和感、といっていいのかも判然としないほどかすかな、形になりきらないもの。
 それが何かは、わからなかったが、養父とひとり息子、ふたりへ感じていたへだたりに近い何か。
 すぐそこにいながら、薄い幕で隔てられているような感覚。
 そうしたものが、あと一歩踏み出し、心を異人の話へ近づけることを遮っている。
 異人の話が尽きるより、時が尽きるほうが早かった。
 異人が語りはじめて三日目の、夜明けまでまだ一刻はあろうかという頃合に、ふたりは獄を引き出された。

 連れてゆかれた先は、人気のない山小屋であった。
 入り口ひとつと天井近くに開いた煙出しの小窓をのぞいて、窓や戸口は厳重に厚板が打ちつけられ、周囲には藁束が積んである。
 小屋の中で男は縄を解かれ、かわりに片足に足枷をかけられた。
 その端が、少しゆとりをもって小屋の柱に繋がっている。
 異人はもとより動ける身ではないから、ただ柱のそばに座らされたのみである。
 驚いたのは、膳がふたつ並べてあったことだ。
 質素ながらも、獄の食事よりは、随分とよい。
 酒らしき徳利まで、添えてある。
「餞である。心残りなく過ごせ」
 だから、恨んでくれるな。
 化けて出ようなどとしてくれるな。
 そうした声が聞こえてくるような役人の顔であった。
 本当ならば、役人が気にする必要などない。
 きりしたんであれば、殉教は喜びである。
 恨んで、化けて、出ようはずもない。
 きりしたんを対岸の火事とすら思えぬこの地であってこその、感慨であったろう。
 同時に幾分かは、身内を殺さずにすんだ、感謝の念もあったかもしれぬ。
「夜明けには、公儀よりの検分が到着する」
 そのときが刻限だということだ。
 役人はふたりの手の届かぬほどの位置に油皿を置くと、灯心に火をつけ出ていった。
 真っ暗闇では膳も意味をなさないだろうとの気遣いであった。
 木槌の音が響いてきたのは、外から戸口に厚板を打ちつけているのだろう。
 響きがやむと、あたりはひっそりと静かになった。
「あなたに、どうしても話しておかなくてはならないことがあります。聞いてもらえますか」
 異人が、そう切り出した。
「この後に及んで、断りなどいれずともいい。なんでも話してくれ」
 男が返事をしてから、異人が口を開くまでに、しばらくの間があった。
 どう話すか、迷っているようだ。
 獄にいた数日、途切れることなく話し続けた人間らしくもない、ためらいであった。
 やがて心を決めた様子で、
「この最後の場において、私はあなたになんの導きも与えてあげることができません」
 こう話しはじめた。
「導き」
「神の御許へ心穏やかに迎えるよう、聖書の一節を話すことも、祈りをあげることも、私にはできないのです」
 ふたたび、少しの間があった。
 次に口を開いたときには、異人の言葉づかいが変わっていた。
「俺は、ぱあでれなどでは、ないからだ。そう偽って生きてきた。体裁をつくろえる程度のうわべの知識は、一応ある。だが所詮それだけのことだ。神など信じてもいない」
 思いもよらない、告白であった。
「信徒であるお前に、ぱあでれとしてしてやれることは、何ひとつないのだ」
「だったら、どうしてあんたは捕らわれている。転べばよかったではないか」
「転んだところで、俺がこの国に入るを許されぬ異人であることには変わりない。その上、お前も聞いただろう、この藩の事情を」
 誰かが、死なねばならぬのだ。
 役人の言葉が、よみがえる。
「どうせ逃れられないなら、ぱあでれとして死んだほうが、まだしも格好がつく。布教まがいのことをしてきたのも、事実ではあるしな」
 異人は、自分がこの地まで流れてきた経緯を話した。
 故郷であらぬ濡れ衣を着せられ、逃亡せざるを得なくなったこと。
 追っ手に見つからぬよう各地を転々として、東の果ての国までたどりついたこと。
 だが、他国の人間を排斥するようになった地に潜み続けることは困難だった。
 それゆえに、ぱあでれを騙った。
 ぱあでれであれば、信徒たちが匿ってくれる。
 本物にさえ出会わなければ、正体が露見することもない。
 しかし、それも先の一揆の後は困難を極め、出国しようにも異国への船もない。
 限られた地には、阿蘭陀船や唐船が来航しているが、それらの地は同時に異人への警戒の強い、一番危険な地でもあった。
「それで俺は、海ぞいに北の果てを目指してみようと思ったのだ。どこか途中の港で密貿易の船でもあればよし、無ければ無いで、北の果てまでゆけば別の国にいきつけよう」
 到底うまくいくとは思えぬ話であったが、賭けてみるしかなかったのだろう。
 そして賭けに負けた。
「そういうわけだ。お前に、明かすべきかずっと迷っていた。さっさと打ち明けてしまいたかったが、信徒のお前にとって、ぱあでれが傍らにいることは、救いとなるかもしれぬ。そう思えば、切り出せなかった。だが最後まで押し通すには、事が事だけに酷すぎる」
 異人自身も、耐えがたかったのだろう。
 それらの話を聞いて、獄の中で異人の話を聞きながら感じていた違和感が、ぬぐわれていった。
 思い返してみれば。
 異人の話は多岐にわたったが、ひとつとして人間同士の関わりがなかった。
 仲間、友人、同僚、人にまつわる話が徹底して無い。
 まっとうな形では関われなかったのだ、逃げ続けていた異人には。
 無論、自身を偽った、上辺での関わりは、あっただろう。
 だが、最後の最後で、そうした実のない関わりの話など、する気になるだろうか。
「俺は嘘つきだ。だが、信じてくれ。俺がぱあでれだという以外に、なにひとつ嘘はついてない。お前には、さまざまな話をしたが、すべて真だ」
 言われて、目から鱗の落ちる思いがした。
 人間同士の話を口にしなかったのは、実のない関わりの話を、する気になれなかったのではない。
 男に、偽りのまじった話をしたくなかったのだ。
 人と関わった話をすれば、どうしても、ぱあでれとしての異人が介在する話になる。
 そこを抜きにして、語りようもない。
 男の前で、異人はなるべく本当の己に近くあろうと、あがいていたのだろう。
 男の口の端に、笑みが浮かんだ。
 俺は一体、何を見てきたのか。
 見ているつもりになってきたのか。
 何日も、すぐ傍らで眺め続けてこの有様である。
 ならば、養父やひとり息子、その他の周囲で見えていた、見えていると思っていたものも、その限りではなかったのかもしれぬ。
 そんなことを、思った。
 いまとなっては、全てが繰り言にすぎない。
「信じよう、あんたの話は楽しかった。それに、あんたが気に病むようなことは、何ひとつとして無い」
「どういうことだ」
 異人がぱあでれでないと聞かされては、これ以上偽ってもいられまい。
「俺も、あんたと同じ、騙り者だ。きりしたんの信仰など、ひとかけらも持ち合わせてはいない。ただ、身内への金子欲しさに身を売った」
 男は、異人の手を取った。
 言葉より手から伝わるぬくもりのほうが、思いをより伝えられるような気がした。
「だから、気に病むな。嘘つきは同じことだ」
 異人が、あっけにとられた顔つきになる。
 それから、笑いだした。
 明るい笑いであった。
 そういえば、異人はいま触れているこの手で、いきなり悪戯をしかけてきたような人間である。
 これが、異人の本性なのだろう。
「そういうことは早く言え。悩んだ俺が馬鹿みたいだろう」
「すまない。悟られるわけには、いかなかった」
 笑い終えれば、すっきりした顔になっていた。
「まあいい、教えてくれてありがとう。心苦しいまま死ぬなんぞ真っ平だった。これで気楽に逝ける」
 異人は続けて、
「おい酒をとってくれ」
 そう言い出したから、気楽にもほどがあろうと男もおかしくなってきた。
 徳利ごと渡してやりながら、こらえきれず小さな笑いがもれる。
 うまそうに喉を鳴らす異人を見ながら、男はたずねてみた。
「あんた、もしぱあでれのままでいたとしたら、俺にこの場でどんな話をするつもりだったんだ」
「それはまあ、はらいその話でもしただろうな」
 はらいそ、天国の話ということだ。
「はらいそとは、どういう場所だ」
「それはまあ、いいところなんだろうが、本当のところは俺も知らん。この国の仏の信仰にも浄土とやらいうものがあるだろう。似たようなものじゃないのか」
「浄土か。坊主の話なぞ、真面目に聞いたことがないからな。なんだか綺麗な場所なんだろうというぐらいのことしか、思いつかない。思いつけても、どうということもないだろうが。人など死ねば、実際のところはただ消えて終わるだけのことだろう」
「つまらなくはないか」
「つまるつまらないの話ではないだろう」
「酒の席だぞ。面白いほうがいい。なにより、俺たちがすぐにも向かうことになる場所の話なのだからな。たとえば、お前が綺麗だと思うのは、どんな景色だ」
 異人は楽しそうに、男にそう問いかけた。
「俺か。俺は海だ。海の景色が、いい」
「なら、海にしよう」
「するとは」
「俺たちの、はらいそだ。俺も海は好きなのでな」
「そうか」
「海はいい。船の上から見る海は最高だ」
「船か。よいな。乗ってみたかった」
 ひとくちに海と言っても、思い描いている海の景色はまったくの別物かもしれぬ。
 所詮、出会ったばかりの、生まれ育った国すら違う相手だ。
 海の色も、波の高さも違う海を求めていておかしくはない。
 海が異なれば思い浮かべる船もまた然り。
 異人と男の思いを絵にして並べれば、二隻の異なる船が現れるのが、道理であろう。
 それでもこの刹那なら信じられた。同じ景色を、同じ船を求めていると。
 信じることに、事の是非など関係ない。
 ふたりしかおらぬ場で、ふたりが強く信じてしまえば、明らかな非すら是と変わる。
 傍観の立場に立てば、同じものを見てなどいないと、断じるはたやすかろう。
 人と人が真にひとつの思いを抱くことなど幻想にすぎぬ。
 だが余人を排せば、その幻こそが、ただひとつの真実だ。
 ふたりしかおらぬ世界で、ふたりが作る真実以外、何が必要とされるだろう。
「乗ればいい。これからお前と、乗りに行く、そこが俺たちのはらいそだ。神を信じぬ騙り者同士だ、行き先は同じだろうよ」
 異人の誘いが、男の瞳に愉しげな光を宿らせ、虚ろな彩を塗り替えていく。
「行くか」
「行こう」
 頭上高くに開いた、煙出しの小窓から曙光が刺し染めて、ほどなく。
 ぱちぱちと火の爆ぜる音が、聞こえはじめた。

 ここに、藩士某の日記がある。
 こつこつと日々の事柄を書き綴り、毎年の暮には一年の総括を記すのを常としていた者の日記である。
 この年の暮の記述をみてみると。
 まず、年内に起こった、記憶に残る事柄が羅列されている。
 その一部に、
 一、当藩隠し田の事、公儀により詰問あるも無事に終る
 一、きりしたん穿鑿の儀、ぱあでれ他一名捕縛との由
 一、海上に南蛮船の蜃気楼生ずとの噂あり
 などと並んでいる。
 年の始めから終わりまでのあれこれが記された後に、藩士自身の感想がごく短く添えられていた。
 結びともいえるその一文は、以下の通りである。
『おしなべて平穏無事のひととせ、祝着に存ずるものなり』

                              

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