これが、馬の助だ!!

幡多の見所(大正町)
場所:大正町打井川
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打井川駅を通り、奥に向かう。道は思ったより整備されていると思うまもなく、徐々に狭くなる。それでも走るに不都合はない程度で、まっすぐに行く道とやや登る道に別れる。そこにも馬の助神社の標識はあったが、上に行くようになっていると勘違いして登り始める。すぐに対向車が来て容易にすれ違いできないものだから、「馬の助神社はこちらですか?」と尋ねる。「いや、下の道をまっすぐじゃ。」との返事。さきに行って貰って、バックで戻る。その後、徐々に道は悪くなり、不安になる。それでもクルマが入っている感じは充分にあるので、まあいいかと奥へ奥へと進む。簡易水道の浄水場などがあり、さらに登りがはじまると思うまもなく、道がやや整備された垣に沿うことに気付く。そこが馬の助公園と称するところだろう。
トイレもありますが、ベンチがポツゥんとあります。クルマは上手に止めて10台がキツイでしょうか。ある部分片側通行にすればもっと止まれますが。

まわるまわる
小さな子供のオモチャがまわる
安らぎか
鎮魂か
人気のないところでグルグル回る
ここは輪廻を離れた
神々の世界
ハア、板東眞砂子の世界ですね。
もちろん、詩は自作ですが。(^^;
確かに71番札所弥谷寺程度の不気味さがあります。

このように水車を利用して傘がまわり、そこに小さな人形などをつけているだけなのですが、周りに人がいないとチョット不気味。
子供の病気に御利益があると、高知県万能地図で予備知識があったから深く考えることもなかったが、公園の施設としては何なのかと悩むところだった。

お参りする時、中で話をされていた方々が出てきた。「窪川から来られた方が御利益があった」とか「あの人は良くなったか」とか小耳に入ってきた。
この方々が仕掛け人?

中から出てきた二人はクルマに向かっていた。もう一人がミカンと柿を持ってきてくれて、お供えしていたものだから食べなさいとくれて、カメラマンさん(と私を呼んだ)、電球と水を引いているのを写して下さいと注文をつけられた。そこで一枚。
「馬の助神社さんって子供の病気に効くのですか?」
「いや、馬の助は子供だ。本当に悪い子供で、ここらで死んだが、その後山で木を切ったりすると事故が起こったり、作物のできが悪かったり、占って貰うと供養をしなくてはいけないと云うことで神社に祀った。」
「では、馬の助というのは子供の名前ですか?」
「そう。」
「いつ頃の話ですか?」
「二百年前ほどのことで、中に書いてある」とのことでした。
中の書き付けを確認したわけではありませんが、占い師はここでなくなった馬の助の悪霊を鎮めるために祀るよう云ったのである。その後、願をかける人に御利益があり、地元の方が少し有名にしたいらしいと判りました。平凡社版「高知県の地名」には「馬の助」はでてきません。
幡多の付き合いが濃い。遠慮もなく、隠し事もない(かの様の振る舞う)付き合いであることは、時々述べたところです。しかし、そのような社会で一歩外れた場合は、キツイ掟(不文律)があって社会からの抹殺があります。通常、殺人ではなく追放と云う形で行われるわけですが、馬の助は幼く旅に出ることができなかったのでしょう。母の云うことも聞かず、家に戻れなくなった馬の助は、ここの横を流れる小川の蟹を食べていたと云います。それでも飢えか、寒さか、怪我か、如何ともし難い苦しみとともになくなってしまった。そのことは里人も決して快い結果ではなかったはずです。だからこそ、彼らは、自分たちの免罪のためにも、ここに喜んで馬の助を祀り供養したと考えられます。
ある世代が、そのような因習と呼ぶべき社会から出て、別の社会に行く(都会に憧れる)望みを抱いたのは、そう昔の話ではありません。そのテーマは小説になり、映画になり残っていると思います。古い社会の評価は、良い面だけが強調されると洪水の際の死者の少なさとなり、悪い面が強調されると頑固・強引・因循姑息など進歩がなくなります。しかし、馬の助を祀らなくてはならなかった地元の人々の暖かさ、それは信じても良いと思っています。
全体を読んで頂くと判ると思いますが、100名中99名が左に行こうとすると右に行きたくなるのが、私の性分。馬の助には、行く方向は全く違うだろうが、親しみを覚える。
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![]() 安らかに眠れ 馬の助 250年の歳月を 代々の人々は謝った |
馬の助神社を何度か訪れるようになるとは、思っても見なかった。しかし、馬の助神社は変わっている。発展させようと思っている人がいるようだが、助っ人として素晴らしい人が絡むことになった。海洋堂を知らない方はどうして素晴らしい助っ人か判らないだろうが、食玩フィギュアのトップメーカーである海洋堂の会長さんが馬の助神社をバックアップされている。
宮脇会長のお父さんが宮大工で、今の建物かどうかは知らないが、馬の助神社に関わったらしい。その御縁を大切にして宮脇会長がゴジラと馬の助を別々の機会に奉納された。トップの写真は最近(2007年1月)奉納された馬の助像であるが、一度できたものを会長が気に入らず、村田明氏(原型師)に依頼再度作らせたものであると云う。見るからに海洋堂快心の作といえよう。

馬の助の祟りを鎮める為の神社のはずであるが、このムード一見水子供養になっている。まあ、鎮魂であろうが水子供養であろうが馬の助自身には同じことになるだろうが・・・。

これは昨年(2006年)10月の祭壇である。ゴジラがあるのは、善悪を超越して全てを破壊する神としての存在であり、馬の助神社に相応しいかもしれない。
しかし、右手にあるのは線香立てであり実際に線香が・・・。あのーー、神社ですが。水子供養も結構ですが、馬の助神社と名乗ったのですから・・・。線香はチョット・・・。
それにしても、館の中のゴジラ。大きなゴジラよりも、ゴジラらしい。(^^;

「創るモノは夜空にきらめく
星の数ほどある」
さすが、海洋堂宮脇会長。
しかし、割と神道って偶像崇拝でないところが魅力なのでは?間違っても御神体は作らないようにお願いします。馬の助君への奉納ということで。m(_
_)m
お父さんがイメージした馬の助は、トップのものとは全く違っていると思いますよ。あの馬の助は、宮脇会長がお父さんに抱くイメージと故郷が結びついてしまったためのモノでしょう。
しかし、大傑作です。良い神が宿りそう。

馬の助。
もう、イイじゃないか。
この霊気の宿る場所から、広く明るい所へ行こう。
昔にこだわって、
祟りなどを考えていると、
君の関係ないところで、君は道具にされてくる。
生まれることすらできなかった、
かわいそうな幼子と交わるな。
君の心が動くとき、
広く明るい所は、
子供が一番喜ぶ場所と知るだろう。
子供はとらわれず、
広く明るい場所に行け。
至福の時を今も求めて。
合掌。
実は、クルマをバックさせていて木にあたりました。すると、木についていた、泥でしょうか。クルマのトランクに縦に泥がベタッと付いていましたが、その一番上は手形・・・。女房殿は怖がりましたねェーーー。次元の裂け目で馬の助の手が付いたにしては、チョット形が年輩の方の大きさでしたが、気持ちが悪いので成仏して貰おうと・・・、仏教徒としての私のお願いです。
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