幡多人物伝

タカクラ・テル(高倉輝豊)

高知県高岡郡口神川生(本籍では幡多郡七郷村浮鞭)
生年月日:1891年(明治24年)4月14日
文学者・政治家


箱根用水

 タカクラ・テルの出生は家人・地元の人達の話として高岡郡らしい。しかし、本籍の記載により大方町生まれとして扱う。(現地での写真を撮るまで高知新聞社刊、高知県昭和期小説名作選5からのものを借用する。)

 右の大方町教育委員会による生家跡の看板の記載を紹介する。「戦前から非合法活動に追われながら、農民や労働大衆の文化向上のために格闘してきた文学者タカクラ・テル(本名・高倉輝豊)は、明治24年(1891年)四月十四日、大方町浮鞭のこの地に生まれた。京都大学英文科卒。
 国語国字問題を研究のかたわら農業生産力向上のための共同組合・水利問題などについて研究を深め、昭和十五年(一九四〇年)長編小説「大原幽玄」を出版した。
 昭和二十一年衆議院議員、二十五年参議院議員に当選。翌二十六年には長編小説「ハコネ用水」で話題を呼んだ。「タカクラ・テル名作選」全六巻ほか著書多数。
 昭和六十一年(一九八六年)四月二日、すい臓ガンのため九十四歳の生涯を閉じた。鞭にある墓碑面にはタカクラとのみ刻まれている。
 ひとすじの道 ほのかなり 冬木立」(以上、看板内容)

 テルは、学者であり、共産党員であり、政治家であるが、何よりも長野県上田市の自由大学などにも参加している実践家である。そのテルが江戸の町民、友野与右衛門が寛文年間(1670年頃)に作った箱根用水に興味を持つ。1280.3メートルの地下トンネルで芦ノ湖の水を湖水の西、湖尻峠のふもとから静岡県側に落とす大事業でありながら、友野は悲壮な最期を遂げたと言い伝えられていた。長年の調査の結果を資料「箱根用水の話」と長編小説「箱根用水」(初版はハコネ用水)にまとめ上げた。

 箱根用水を読むと、白土三平の「カムイ伝」(写真の愛蔵版で全4巻)を思い出す。私たちが大学の頃、ある全学連が批判的に読むべき本として「カムイ伝」を挙げていたらしい。確かに、この箱根用水にも同じような流れ、基本的な考え方がある。

 箱根用水を完成させようとする友野一族と百姓達。幕藩体制安泰のために完成を望まない幕府での勢力とその反対勢力。それに野党・キリシタンが絡んで大衆小説として完成されたものであろう。決して、ただ一つの価値観で書かれたものではない。

 しかし、テルはむしろ淡々と出来事を述べ、登場人物の口からハッと思わせる台詞を出すが決して情熱的ではない。また、あまり文学的でもない感じがする。それはテルの国語・国字に関する考え方の表れなのかもしれない。そういう意味では、司馬遼太郎が近い。

 考えてみれば、対象を(現在の)中高生に置いているような書き方である。そうであるなら、その底にあるのは、当時、これからの日本をどうするかのテルの若者への問いかけと答えなのではないだろうか?

 箱根用水の完成前に、友野は牢に入る。そこで身を入れて仕事ができると思ったり、人との繋がりを再確認し、感謝の念がわき起こる。まさに、昭和25年公職追放で参議院を辞職したテル自身の姿ではないだろうか。

(上・右)高知県昭和期小説名作選5「タカクラ・テル」(高知新聞社2,800円)箱根用水(1971年版)と波の音が収められている。

 読むなら若い間に。