國宝姫路城



世界文化遺産の姫路城
この城を残したとされる人物

それが中村重遠大佐である。


幡多人物伝

中村重遠大佐

紹介:名古屋城と姫路城保存を訴えた
生誕地:幡多郡宿毛
誕生日:



 今回、この写真を撮るために駐車料金500円と入場料600円を払った。入場料を払う場所が以前と変わっているような気がしたが、どうだろうか?いずれにしても菱の門がすぐにあり、そこを入ると中村大佐の顕彰碑が建っている。

 云われるまで気付かないのが人間で、姫路城に訪れる人は多いが碑のことを覚えている人は稀(ほぼ皆無)のようだ。碑に気付いても、その内容が判らなければいつか忘れてしまうのだろう。


 芝生の上に勝手にあがって(ごめんなさい、取材費1100円を払ったと考えてね)撮影しました。太平洋戦争中の原惣兵衛姫路市長が書いている。これによれば東京青山に墓地・墓碑があり谷干城の碑文があるようだ。

國寶姫路城ハ豊公創築以来悠久三百餘年ノ歴史ヲ有シ天下ノ名城トシテ知ラル明治初年國運ノ急激ナル伸暢ニ伴ヒ國費多端ニシテ城郭ノ保存修繕ノ餘裕ナキノ故ヲ以テ名古屋城ト共ニ癈毀ノ議廟堂ニ起ル時ノ第四局長代理中村重遠大佐痛ク之ヲ惜ミ百方要路ヲ説得シ且山縣陸軍郷ニ是等二城ノ存置方建白書ヲ提出シ縷々其藝術的城砦的價値ヲ開陳スル所アリタリ其ノ結果明治十二年一月二十九日癈毀取止ノ指令ニ接ス姫路城ノ今日アル實ニ大佐ノ高邁ナル識見ニ基キ建白セラレタル賜ナリ大佐ハ高知縣幡多郡宿毛ニ生レ質直剛介ニシテ信義ヲ重ンジ經史ニ通ジ文武兼備ノ典型的武人ナリ壯クシテ戊辰佐賀西南ノ役ニ従ヒ屡々帷幄ニ參ジ歴戰ノ勲績赫々タルモノアリ將来ヲ嘱望セラレシ所大ナリシニ不幸病ヲ得テ明治十七年二月二十二日溘焉長逝セラル享年四十五遺骸ヲ東京青山ノ墓地ニ葬ル後年其ノ墓碑ヲ建ツルニ方リ特ニ山縣元帥ノ篆額ト谷干城子ノ碑文ヲ刻ム以テ大佐ノ偉大ナル器質ヲ窺フニ足ラン現司法大臣岩村通世閣下ハ大佐ト郷ヲ同シウシ其ノ父君大佐ト親交アリ為ニ是等ノ文献ヲ余ニ提供セラル洵ニ景仰措ク能ハズ乃テ関係有志相謀リ顕彰碑ヲ有縁ノ城内ニ建テ以テ其ノ偉績ヲ後昆ニ傳フ

昭和十九年三月 姫路市長  原惣兵衛

 昔から御上がすることは、まれに(?)間違う。お金がないから姫路城・名古屋城を売ると云う。その頃は武士の世が終わり近代日本のはじまりに、お城は無用の長物と化し、国として金がないから考えそうなものだ。その瓦を売ろうと姫路城を購入した人がいた。幸い瓦が大きすぎて商売にならず、そのまま残ったようだ。中村大佐の働きかけと保存が決まるまでの十数年は長い期間であり、中村大佐だけが姫路城保存に力があったとは思われない。また、碑が作られたのが昭和19年と戦時中で、軍人さんは偉い!とする国策などにそったものではなかったかと危惧するが、当時の政策に建白書を出して、ノーと働きかけた行動は偉い。

 お気づきと思いますが(写真中央で四角に彫られた所)、高知縣幡多郡「宿毛」が訂正されています。「中村」大佐であり、「中村」との勘違いと許してあげよう。(~~; いつ頃訂正されたのだろう?



 さて、幡多の宿毛。宿毛町内の本町に三階本店という飲食店があります。昔からの宴会場の一つであり、私はサンゴの競売のかけ声を聞きながら受験勉強をしたものです。最近は宴会場としてよりも、酒場に力を入れているようです。NHK衛星放送「今日はとことん、高知県」で宿毛箸拳を行っていた所が、ここ三階本店でした。

 その玄関口に中村重遠邸跡の碑があります。



 高知新聞社「土佐・人物ものがたり」には中村重遠は登場しません。しかし、あなたの建白書は今の日本人から見ると当然のことでした。その業績は、(お城の保存決定はあなた一人のものではないと思っていますが、)後々の友人・知人が顕彰してくれています。