当事者意識

世界に暮らすニューヨークTOP > 当事者意識

 実を言うと私が滞在している国でテロが起きるのは記憶にある限りではこれが確か5回目のことでした。1980年代の中米のホンジュラス共和国、南米のペルー、ネパール、そしてアメリカ大使館が爆破されたアフリカのタンザニア、そして今回です。滞在している町の近くを軍のヘリが舞い、ゲリラを掃討していたグアテマラ、ホンジュラスのジャングルの中で遭遇したニカラグアの反政府ゲリラ、警官隊に追われて集会から逃げ惑うケニアの反政府派の群集。そうした場所に身を置いたことも仕事柄たびたびありました。

 覚えておいでの方も多いと思いますが、10年程前に3人の日本人の農業技術者がペルーでゲリラ「輝ける道(センデロ・ルミノソ)」に射殺された事件がありました。その内の一人が同じ釜の飯を食った仲間でした。この時に私は東京にいたのですが、友人らと電話で連絡を取り合って、電話の両側でおいおい泣いてしまいました。私自身国際協力の仕事でペルーの田舎に入っていたことがありますし、「運が悪ければ殺されたのはひょっとしたら自分であったかもしれない」という思いがありました。

 しかし、不思議なことに、今までで今回の事件が私自身にとって一番当事者意識が強いのです。自分の身の危険を感じた時と言えば、ゲリラと遭遇した時とか、逃げ惑う群集に囲まれた時とか、そうした時の方がはるかに臨場感を持っていました。それはそうです。銃を持った相手が目の前にいたりしたのですから。しかし、今回ほどの怒りや、やるせなさや、そして不安は感じませんでした。どこが違うのでしょうか?一人身だった頃とは違い、私が結婚し、子どもができたばかりで、自分以外に守るべき命があるからでしょうか?そうかも知れない、と最初は思っていました。

 ところがニューヨークの様子を見、そして日本の人たちと連絡をとってみると、今までにない当事者意識を感じているのは私一人ではないようです。インターネットで送られてくる情報を見てみると、そうした意識を持っている人は、アラブ社会も含めて、世界中にいるようなのです。無論感じ方は人それぞれ、日本にいる人の中には、このまま日本がアメリカの要請に便乗して、軍備増強に進むのではないか、という意味での不安感を抱く人もいるようですし、また逆にテロへの強い怒りから、報復を叫ぶ人もいるようです。多分パキスタンなどで反米感情を剥き出しにしている人たちも、また当事者意識を感じてのことでしょう。感じ方、反応の仕方はその人の考えや、いる場所のムードなどによっても左右されてそれぞれに異なることでしょう。しかし、例えば湾岸戦争のときや、チェルノブイリの原発事故の時以上に、問題を真剣に考える人が多いような気がします。

 新しい世紀は相変わらず血に塗られた年で始まってしまいました。しかし多くの人が感じた当事者意識を風化させずに、考え、議論し、そして行動していくことができたならば、新しい時代を作っていく第一歩になるのではないでしょうか?今回のテロ事件が、憎悪と流血の古い時代への決別の記念となることを願ってやみません。それが今回ニューヨークやアフガニスタンで亡くなられた方たちへの本当の追悼になるのではないでしょうか。残された者たちは「もうこれ以上の血は流さない」ために働くべきだと私は信じています。そして、こうした誓いをたてるのも、今回を最後にしたいものです。