子どもたちのこと

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 私にはこのコーナーの出だしで記したように、生まれたばかりの子どもがいます。そのせいでしょうか、以前は気にならなかったのに、報道を見ていても子どものことに目が行きます。今回のテロで子どもが直接の被害者になったかどうかは知りませんが、アメリカの事件報道の中で、子どものことに関して気がついた点、あるいは気になった点が二つありました。

 ひとつは事件当日から既に、事件を目撃して恐怖にかられる子どもたち、両親が家に帰ってこないであろう子どもたち、そして悲惨な事件報道を繰り返し見せられる子どもたちに、どのような影響があり、そしてどのような対応をしたら良いのかを、専門家がテレビで解説していたことです。例えば「小さな子どもたちには繰り返される事件報道が録画だとは理解できず、毎回恐怖を感じるのでできるだけ見せないように」というアドバイスがされていました。そしてアメリカでは報道自体も、悲惨なシーンの放映を避けるように各局が自粛を行いました。日本報道されたシーンの方がはるかに悲惨であったそうです。

 これはテレビ局の独自の判断によるものだったようですが、対策にあたる市当局などもすばやい動きを見せました。相談用の無料電話を設置したり、ケアセンターを即座に設けたり、あるいは事件後数日たってからは、子どもたちが気分転換できるようにと、一時的に閉鎖していた動物園や美術館などを開館し、入場料を無料にする措置を発表しました。

  事件の処理だけでも、ものすごい作業量であり、気を相当に使っているはずです。そうした時にでも未来を託す子どもたちのことを考え、対策をすかさずこうじる配慮と、そのすばやさには驚き、また感動すら覚えました。

 二つ目は一転して悲しい映像です。皆さんご存知のように、パレスチナでアメリカが攻撃を受けたことを街頭で祝うシーンが繰り返し報道されました。そのシーンに出てくるのは、多くは男性たちだったのですが、私の目に付いたのはその中に混じる多くの少年たちの姿でした。中には年端の行かない子どもたちもいます。

 わけもわからずにおとなたちと一緒に浮かれているのか、あるいは本当に喜んでいるのか、そのあたりはわかりません。しかし、どのような理由や背景があるにせよ、人が大勢死んだ事件を喜ぶ子どもたちの姿は、私には直視できないものでした。ここではおとなたちは子どもたちに人としての常識、「人の死は悼むべきものである」ということを教えず、憎悪を教えてしまっているのでしょう。

 これは何もパレスチナだけのことではありません。私がアフリカ滞在中に知っていたイスラエル人の少女は、アラブ人とはほとんど接したことがないと思うにもかかわらず、「アラブ人を見ると気分が悪くなる」と言っていました。世代を超えた憎悪の伝達は、双方で、そしてたぶん世界のあちこちで行われていることでしょう。どうしておとなたちは「憎しみあいは自分の世代までにしよう」と考えられないのでしょうか?とても残念なことです。