星条旗と愛国心

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 今回の事件のあとで象徴的だったことのひとつは星条旗(アメリカの国旗)の掲揚だと思います。他の地域のことはわかりませんが、ニューヨークでは建物の多分8割以上、そして走っている車の多くに星条旗が取り付けられています。以前から私はどこの国であれナショナリズムには危惧を感じるほうですから、今回の事件までは、星条旗というものに関してもナショナリズムとの直結をイメージしていました。あるいは今までの武力に訴える「強いアメリカ」像から、星条旗も、日本で日の丸が国民ではなく「国家」のシンボルであるのと同じだと考えていたのかもしれません。

 ところが今回のテロ事件のあとで「アメリカという国の危機・国への挑戦」という表現を使うのは、大統領をはじめとする連邦政府のお偉方ばかりで、実際に悲劇の現場となったニューヨークでは、そのような言葉はほとんど聞かれません。少なくともここニューヨークでは、今回のテロの結果をどうするかは「国の問題」ではなく、「自分たち自身の問題」と捉えられているようです。無論いまだに数千人が埋もれたままの状態で「報復云々どころではない」のかもしれませんが。でもそうすると「国の危機」を口にしないニューヨークの人たちが掲げる星条旗の意味はなんなのでしょうか。

 ニューヨークの星条旗は、救援活動を行う警官や消防士などを支援するため、亡くなった方たちに哀悼の意を表するため、そして愛する人の安否を気遣う多くの人たちを支えるためのもののようです。事件後ニューヨークに貼られているポスターには、星条旗と自由の女神のイメージが重ねられ、「United We Stand」というメッセージが書かれています。これは「支えあえば立ち上がることができる」という意味のようです。「国旗は国家が押し付けるシンボル」と思い込んでいた私にはこれはかなりの驚きでした。そして、見知らぬものどうしもいざというときには支えあっていることを示すシンボルを持っていることに、うらやましさすら覚えました。

 ビルが崩れ去ったあとで救助作業が始まった時、消防士の一団が真っ先にしたことが、瓦礫の上に星条旗を立てたことでした。余談ですがこのシーンは偶然一人のカメラマンが撮影し、第二次世界大戦末期に米軍が硫黄島を占領して星条旗を立てたときの有名な写真に比肩しうる、と評価されています。私は硫黄島に立つ星条旗の写真こそがまさにアメリカの国家主義の象徴かと思っていましたから、ここでまた思い込みに気づかされることになりました 。星条旗は国の旗であると同時に、アメリカの人々が共同で苦難に立ち向かう時に掲げる旗でもあるようなのです。硫黄島の星条旗も、アメリカという国家による占領を示すものというよりも、兵士たちが苦難に打ち勝った証として立てたものとアメリカ人の間では解釈されているのかもしれません。少なくともテレビの特集番組を見ていてそのように感じました。

 そして私が残念に思ったことは、私には立てる旗がない、ということでした。あるいは、たとえばアラブ圏でテロに反対し、今回のテロの犠牲者に哀悼の意を表したい人たちは何を掲げたら良いのか。無論パレスチナで星条旗など掲げたら大変なことになります。どうやら残念なことに人類に共通するシンボルは何もありません。そこで私は自分の旗をでっち上げることにしました。白地に青の丸を描き、太陽の光の中に浮かぶ地球を表現しました。これをどこの国のものでもない、私の平和の旗として、掲げることにしました。「皆さんも自分の旗を掲げましょう」というインターネットを通しての私の呼びかけに応じ、この旗はベトナムにも一枚掲げられています。また「青いリボンをつけたらどうか」という提案もあり、何人かの人たちは友人とともに手に青いリボンをつけたそうです。

 一方あふれる星条旗には危惧を感じることもあります。日本でもし、どこもかしこも日の丸であふれるような事態が起きたら、報道を見たアジアの人々はきっと不安感を抱くことでしょう。ましてや日本政府が報復を口にしていたりしたら、外から見て「軍国主義が復活したのでは?」と思われてしまっても仕方がないような気がします。それと同じことが星条旗に関しても言えるように思います。アメリカの普通の人々の感覚とはまったく別のところで、まったく別の印象を持たれてしまう可能性は大です。支えあっているシンボルが、戦闘的な国家主義のイメージと取り違えられてしまう恐れはないのでしょうか。

 ブッシュ大統領が武力による報復を訴え、着々と軍事行動の準備を進めているときにアメリカ中に翻る星条旗。このシーンの報道を見れば、多くの人たちはアメリカ中が愛国心に燃え、武力による復讐一色で塗りつぶされているような印象を受けてしまいかねません。実際には報復に反対して街頭でデモを行う人たちも星条旗を掲げています。街角に貼られた「武力ではなく平和を」というメッセージにも星条旗が添えられています。しかし遠くにいてニューヨークの雰囲気を知ることができず、限られたニュースを聞き、映像だけ見る人にとっては、まったく異なった風景として目に映っていることでしょう。次のような一文が私が運営するメーリングリスト でも流れていました。

「なぜ、あんなに旗が売れ、掲げられるのか(日清・日露戦争時の日の丸か)、熱狂の愛国心は危ないって、なぜ思えないのだろうか」

 これはアメリカの報復攻撃に反対する人たちからの言葉ですが、逆にアメリカ人の愛国心を礼賛する人たちも星条旗の掲揚を同じような意味で受け取ったことでしょう。実際に見聞できない多くの人たちは、やはり当初の私同様に、自分の持つイメージに基づいてしか判断を下せないようです。ニューヨークにいて肌で感じることはまったく違う、多くの市民はむしろ冷静である、という私自身の驚きを再三書いたのですが、なかなか理解は得られませんでした。

 そしてもうひとつの危惧は、アメリカの報復攻撃が始まってしまった現在、「人々の連帯旗」が「国家の応援旗」へと変わってしまう可能性も高い、ということです。そうなった時に、攻撃に反対するアメリカ人たちは、何を掲げたらよいのでしょうか。