ルレナバケ

ルレナバケというのはラパスからプロペラ機で1時間ほど飛んだところにある、アマゾン支流のベニ川のほとりにある小さな町です。ここは標高がわずかに200メートル。ラパスの飛行場をたつと、機はアンデスを越えるために5千メートル以上にまで高度を上げますから、約5千メートルまっすぐに下ってきたところにあるわけです。しかし気圧の調整ができない小型のプロペラ機で5千メートル以上に登るのはかなり息苦しさを感じる体験です。ネパールでは5600メートルまで登ったことはあるのですが、あの時は自分の足で徐々に高度を上げたので、それほどの苦しさは感じなかったのですが。(写真は6千メートル峰のワイナ・ポトシ)

ルレナバケはアンデスから下がってくる山並みが、アマゾンの平原に落ちるところの川のほとりに碁盤の目状に広がった町です。舗装されているのはごくごく一部の道路だけで、周辺部をあわせても人口はせいぜい1万人と言ったところらしいのですが、テレビもあれば電話もあるし、また携帯電話も使えます。20年前にいたホンジュラスのプエルト・レンピーラという町に気候も雰囲気も似ているのですが、電話どころか電気もなかったあの町をイメージしてしまって、ゲームセンターまであるのを見ると、何だか不思議な感じがしてしまいました。

ラパスの気候は低温で乾燥しきっており、高山のため紫外線も強いというものです。毎日クリームをべたべた塗っても皮膚はからから、唇はがさがさになってしまうのですが、ルレナバケまで降りてくると、空気はしっとり、唇にも潤いが戻ってくるのがわかります。ラパスにいる人たちの多くは低地にあこがれているのですが、その理由もよくわかります。

この辺りはアマゾン流域でももっとも多様性が高いと言われている地域が近く、現在では多くの国立公園が存在しますし、ルレナバケはいわゆるエコ・ツーリズムのベース基地にもなってきています。その中には先住民がNGOなどの援助を受けて自分たちで経営しているところもあります。例えばサン・ホセ・デ・ウチュピアモナスというコミュニティ(現地の人はこう呼んでいますが集落のことかと思います)が、チャララン・ロッジという名前のツアー会社を経営し、国立公園内のツアーを行っています。情報はこのHPにあります。

ちっぽけな飛行機が未舗装の飛行場に降りてくるだけですから、まだまだ観光客の数は多いとは言えませんが、それでも町の規模と比べると欧米からの観光客がかなり目立ちます。写真はルレナバケ空港に降り立ったアマゾナス航空の12人乗りの定期便です。この他にもなんと空軍が輸送機を使ってラパスとの間に定期便を飛ばしています。でも時間が無茶苦茶だとか・・・。

そしてこの町で食べるものと言ったら、やはり魚です。目の前のベニ川では、相当に大きな淡水魚が獲れます。なかなか日本人にはなじみの薄い魚が多いのですが、ドラドなんていうのは、有名ですから聞いたことがある人もいるかもしれませんね。ピラニアもいるようですが、ここでは食べられていません。街中には魚を出すレストランが何件もありますが、その中でもスペイン語で「ルレナバケの真珠」という名前の付いたレストランが評判が良いようです。ここのメニューには英語も書いてあるのですが、その英語が機械で訳したような直訳なので笑えます。

町にはベニ川を渡ったり(川の向こうはラパス県に属し、サン・ブエナ・ベントゥーラという別の小さな町です)、近くの村や国立公園へ行ったりするための船着場があります。また数本の通りに面して商店が並んでいますが、商品が意外に多いのに驚きます。

この町の市民の足は、mototaxi と呼ばれるオートバイを使ったタクシーです。もちろん運転手の後ろに座って二人乗りで走るわけです。この
mototaxi ルレナバケの町には100台あまりあるそうです。その一方乗用車を使ったタクシーはなんと一台もありません。タクシー・ドライバーの中にはかつてこの近くのジャングルの中に住み着いて動かなかった、日系人の子孫もいるそうです。日系人はこの地域では多くはないらしいのですが、それでもいろいろ聞きました。「コセキ」という言葉(戸籍です)を現地の人が知っていたり、歴史もエピソードも数多く埋もれているようです。

この町には高級ホテルはなく、最高でも一泊20ドルくらいの木造のサファリというホテルがあるだけなのですが、ここの経営者は既にここに10年住んでいるという韓国人でした。最初は庭で草むしりをしていたので、使用人かと思ってしまいましたが。ホテルのオーナーになっても自分で草むしりをするなんて、さすがに東洋の人だなあ、と変に感心してしまいました。
この辺りの農村地域の住民は大きく二つのグループに分かれています。一つはいわゆる先住民で、ルレナバケの周辺にはタカナとかチマネスというグループが住んでいます。先住民の居住地域は、国立公園とも重なるのですが、先住民のコミュニティの共有地に指定されて、他の人が入って開発することは制限されています。
もう一つのグループは国内移住してきた人たちです。この人たちは標高の高いところの民族で、大部分はポトシの鉱山で働いていて、鉱業が下火になると共に職を失って、移住してきた人たちだそうです。ですから元々この地域の土地利用の方法を知らず、粗放な焼畑などを行ってかなり土地に負荷をかけてきたようです。
次回はここの人たちの生活について少し書こうかと思います。
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