Bristol City ブリストル・シティ
Championship          
1 Barnsley
2 Blackpool
3 Bristol City
4 Cardiff City
5 Coventry City
6 Crystal Palace
7 Derby County
8 Doncaster Rovers
9 Ipswich Town
10 Leicester City
11 Middlesbrough
12 Newcastle United
13 Nottingham Forest
14 Peterborough United
15 Plymouth Argyle
16 Preston North End
17 Queens Park Rangers
18 Reading
19 Scunthorpe United
20 Sheffield United
21 Sheffield Wednesday
22 Swansea City
23 Watford
24 West Bromwich Albion
クラブ名 Bristol City ブリストル・シティ
ニックネーム The Robins ザ・ロビンズ
かつてのクラブのエンブレムにロビン(コマドリ)が描かれていたことに由来
クラブ創立年 1897年
ホームスタジアム Ashton Gate アシュトン・ゲート
収容客数 21479人
ライバルクラブ Bristol Rovers / Cardiff City / Swindon Toiwn
クラブ公式HP http://www.bcfc.co.uk/page/Welcome
ファンサイト The Incider
BristolCityNet
One Teram In Bristol Forum
Bristol City Band
所属ディヴィジョン

フットボールリーグの変遷はこちらで参照してください。
所属ディヴィジョン
1901- 2 Divison2
1906- 1 Divison1
1911- 2 Divison2
1922- 3 Divison3 South
1923- 2 Divison2
1924- 3 Divison3 South
1927- 2 Divison2
1932- 3 Divison3 South
1955- 2 Divison2
1960- 3 Divison3
1965- 2 Divison2
1976- 1 Divison1
1980- 2 Divison2
1981- 3 Divison3
1982- 4 Divison4
1984- 3 Divison3
1990- 2 Divison2
1992- 2 Divison1
1995- 3 Divison2
1998- 2 Divison1
1999- 3 Divison2
2004- 3 FL 1
2007- 2 FL Championship
備考  「相手がどこに蹴るのか、僕は魂に問いかけたんだ。すると彼は左だ、 といった。だから僕はありがとう、といって左に跳んだ。そして僕は 見事PKを止めた。神に感謝したいね」

 ブリストル・シティのブラジル人GK、アドリアーノ・バッソ(Adriano Basso)は、ワトフォード戦のPKを止めたあと、このようにコメントした。

 そもそもこの幸運なブラジル人がイングランドにやってきたこと自体、偶然だった。

 バッソのガールフレンド、アレッサンドラが当時イングランドで勉強中で、自分についてこっちに来てくれなければ別れる、とバッソを脅したのだ。
 バッソはイングランドのアマチュアリーグに属するセイント・アルバンス・シティやウォーキングといったクラブでせっせとプレーした。

 バッソをブリストル・シティに引き抜いたのは、2005年に監督に就任したギャリー・ジョンソンだった。

 バッソも、監督のギャリー・ジョンソンもクラブに加入した当初はまったく人気がなかった。ヨービルの監督をしていたジョンソンがクラブの監督に就任したときには、地元の新聞はいかに彼がだめな人材かということを書きたてていた。

 だが、翌年にはリーグを2位で終え、チャンピオンシップに昇格。
 さらに翌年の2007-08シーズンには、プレミアリーグ昇格をかけてプレーオフを戦うも、ファイナルでハルシティに敗戦し、惜しくもトップリーグ昇格のチャンスを逃したが、チームの調子は上向いた。

 ジョンソン監督はトーナメントには「祈りの力」がものをいう、と考えており、母親からもらった幸運の下着をつけて指揮をとったり、公の場でキャンドルに火をともし、チームのために祈りをささげたりした。
 あるサポーターは日本の神社でつくった「ブリストル・シティ」の絵馬をEメールでジョンソンに送ってあげたらしい。

 2008-09シーズンをスタートするにあたってブリストル・シティのムードは最高だった。シーズンチケットは順調に売れ、下部組織からもいい人材が出てきた。1967-80シーズンの間指揮をとったアラン・ディックス(Alan Dicks)以来の栄光の日々がやってくると誰もが確信していた。

 ディックスがコヴェントリー・シティからやってきて監督に就任したとき、彼はまだたったの33歳だった。それから彼は13年間も指揮をとった。

 そして1974年には忘れられない瞬間がやってきた。
 FAカップの5回戦でリーズと対戦したブリストル・シティはホームを1-1で引き分け、勝負はアウェーでの再試合にもつれ込んだ。
 そしてエランド・ロードで0-1と勝利し、リーズに勝利したのだ。
 この年のリーズはトップディヴィジョンで優勝チームとなったほどの強豪チームだった。一方のブリストル・シティはこの年、ディヴィジョン2のボトムハーフに低迷していた。
 この試合こそ、ジャンアントキンリグといって差し支えないだろう。

 その2年後には、65年ぶりにトップディヴィジョンに昇格する。そのときのスター選手は、元リーズ・ユナイテッドのDFノーマン・ハンター(Norman Hunter)だった。

 結局トップディヴィジョンには4年間在籍した。降格がきまったときにはサポーターには悲観的な様子はなく、スタジアムにも笑顔が見られたという。

 しかし、その後クラブは財政破綻をし、存続の危機を迎えた。
 高額なサラリーの選手が、サラリーカットに応じるなどクラブ存続のためのあらゆる手段が講じられ、なんとか最悪の事態だけは避けることができた。

 クラブの黄金時代は1世紀も昔のことだ。1907年、マンチェスター・ユナイテッドに次いで、第2位の成績を収めた。2年後にはFAカップのファイナルに進出したが、またしてもマンチェスター・ユナイテッドに敗れて準優勝だった。

 クラブのレジェンドは誰か。
 ジョン・アチェロ(John Atyeo)だ。
 彼は1951-66シーズンの間ブリストル・シティに在籍し、597試合で314ゴールというとんでもない記録を作った。
 そしてクラブが2部や3部にいながらイングランド代表にも選出されるなど非常に優秀な選手だった。
画像
クラブエンブレム John Atyeo
ユニフォーム
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