| クラブ名 |
Sheffield United シェフィールド・ユナイテッド |
| ニックネーム |
The Blades ザ・ブレイズ |
| クラブ創立年 |
1889年 |
| ホームスタジアム |
Bramall Lane ブラモール・レーン |
| 収容客数 |
32609人 |
| ライバルクラブ |
Sheffield Wednesday / Barnsley / Rotherham United / Leeds United |
| クラブ公式HP |
http://www.sufc.co.uk/page/Welcome |
| ファンサイト |
Greasy Chip Buttie
The Blades Online
Unitedite.co.uk
Red & White Wizards
Sheff-Utd.co.uk
Gallon Of Magnet |
所属ディヴィジョン
フットボールリーグの変遷はこちらで参照してください。 |
| 年 |
部 |
所属ディヴィジョン |
| 1892- |
2 |
Divison2 |
| 1893- |
1 |
Divison1 |
| 1934- |
2 |
Divison2 |
| 1946- |
1 |
Divison1 |
| 1949- |
2 |
Divison2 |
| 1953- |
1 |
Divison1 |
| 1956- |
2 |
Divison2 |
| 1961- |
1 |
Divison1 |
| 1968- |
2 |
Divison2 |
| 1971- |
1 |
Divison1 |
| 1976- |
2 |
Divison2 |
| 1979- |
3 |
Divison3 |
| 1981- |
4 |
Divison4 |
| 1982- |
3 |
Divison3 |
| 1984- |
2 |
Divison2 |
| 1988- |
3 |
Divison3 |
| 1989- |
2 |
Divison2 |
| 1990- |
2 |
Divison2 |
| 1992- |
1 |
Premier League |
| 1994- |
2 |
Divison1 |
| 2004- |
2 |
FL Championship |
| 2006- |
1 |
Premier League |
| 2007- |
2 |
FL Championship |
|
| 備考 |
シェフィールド・ユナイテッドの名物選手といえば、イングランドのフットボール史上もっとも太った選手、ウィリアム・フォルク(William Foulke)だ。
彼は1894-1905シーズンの間シェフィールド・ユナイテッドに所属し、GKとして299試合に出場した。
彼の活躍したこの時代こそ、クラブの栄光の時代であり、フォルクはクラブを最初で最後のリーグ優勝(1897-98シーズン)、3度のFAカップファイナルに導いた(うち1899、1902の2度の優勝)。
そのうち1902年のFAカップ優勝の際、次のような出来事があった。
対サウサンプトンとの結晶は1−1のスコアで試合が終了し、決着は再試合にもつれ込んだ(当時はファイナルでも再試合があった)。
だが、フォルクはサウサンプトンのゴールはオフサイドであり、無効である、と主張していた。フォルクは抗議するために試合後にレフェリーを探し始めた。
当時のラインズマンだったJ・T・ハウクロフト氏がそのときの様子をこう述べている。
「フォルクは素っ裸でドレッシングルームの外に立っていた。FAの事務官がフォルクにはやくチームメイトのところに戻るように懇願していた。でも彼は復讐する気満々だった。だから私は主審を努めていたカークハムに『早く個室に隠れてドアをロックするんだ』と叫んだんだ。彼はカークハムのところへ巨漢を揺らしながら近づいていった。素っ裸でね。あのときの光景は忘れることができない」
シェフィールド・ユナイテッドのホームスタジアム、ブラモール・レーン(Bramall Lane)は1879年からクラブのホームスタジアムとして使用されている。しかしブラモール・レーンが建設されたのは1855年、今から約150年前のことだ。これは現在もプロクラブが使用しているスタジアムの中では世界最古のスタジアムということになる。
1973年まではヨークシャー・クリケットクラブと共同でスタジアムを使用していたが、現在は単独で使用している。
スタジアムが古いのと同様、クラブの最後のタイトルもかなり昔にさかのぼる。
前述のウィリアム・フォルクがいた時代に3つのタイトルを獲得したが、それ以降は1915年と1925年にFAカップで優勝しただけだ。それ以降何のタイトルも獲得していない。
シェフィールド・ユナイテッドは中国と親密な関係にある。中国のチームを買収した最初のクラブがシェフィールド・ユナイテッドなのだ。
Chengdu Wuniuという中国のクラブはChengdu Blades(ブレイズはシェフィールド・ユナイテッドのニックネーム)に解明された。そしてChengdu
Bladesのユースチームは「シェフィールド・ユナイテッド」と呼ばれている。
シェフィールド・ユナイテッド2007年に降格したときは、テベス問題に関して中国からの抗議の手紙が5000通も届いたらしい。(ウエストハムがテベスとマスチェラーノの獲得に関して規約違反があり、罰金を科せられていたが、シェフィールド・ユナイテッド側は勝点剥奪を主張。結局この主張は通らず、わずかな勝点(3差)で降格が決定した、という問題のこと)
またチェアマンのケヴィン・マッケイブ(Kevin McCabe)氏は中国だけではなく、ハンガリーの強豪クラブ、フェレンツヴァーロシュ(Ferencvarosi)も買収するなど海外進出に意欲的な人物としても有名である。
シェフィール・ユナイテッドが、あのディエゴ・マラドーナの獲得を狙っていたことはあまり知られていない。当時の監督ハリー・ハスラム(Harry
Haslam 1978-81シーズン在籍)が、南米にスカウティングに出かけ、そこで17歳のマラドーナに目をつけたのだ。結局クラブ首脳が獲得を許可せず、移籍は実現しなかった。 |
| 画像 |
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| クラブエンブレム |
William Foulke |
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ユニフォーム |
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