Queens Park Rangers クイーンズパーク・レンジャーズ
Championship          
1 Barnsley
2 Blackpool
3 Bristol City
4 Cardiff City
5 Coventry City
6 Crystal Palace
7 Derby County
8 Doncaster Rovers
9 Ipswich Town
10 Leicester City
11 Middlesbrough
12 Newcastle United
13 Nottingham Forest
14 Peterborough United
15 Plymouth Argyle
16 Preston North End
17 Queens Park Rangers
18 Reading
19 Scunthorpe United
20 Sheffield United
21 Sheffield Wednesday
22 Swansea City
23 Watford
24 West Bromwich Albion
クラブ名 Queens Park Rangers クイーンズパーク・レンジャーズ
ニックネーム The Superhoops ザ・スーパーフープス
クラブ創立年 1885年
ホームスタジアム Loftus Road ロフタス・ロード
収容客数 19100人
ライバルクラブ Brentford / Fulham / Chelsea
クラブ公式HP http://www.qpr.co.uk/page/Welcome
ファンサイト QPR Mad
qprnet.com
Dave's QPR Website
Loyal Supporters Association
所属ディヴィジョン

フットボールリーグの変遷はこちらで参照してください。
所属ディヴィジョン
1920- 3 Divison3
1921- 3 Divison3 South
1948- 2 Divison2
1952- 3 Divison3 South
1958- 3 Divison3
1967- 2 Divison2
1968- 1 Divison1
1969- 2 Divison2
1973- 1 Divison1
1979- 2 Divison2
1983- 1 Divison1
1992- 1 Premier League
1996- 2 Divison1
2001- 3 Divison2
2004- 2 FL Championship
備考  マンチェスターシティがアラブの富豪に買収されるまで、チェルシーが英国でもっとも裕福なクラブだったと思っていた人がいたら、それは間違いである。
 実はそのクラブがクイーンズパークレンジャーズだったといえば驚くだろうか。
 
 QPRは2007年にインドの鋼鉄王ことラクシュミ・ミタル(Lakshmi Mittal)によって買収された。ミタルは世界で5番目の富豪として有名な人物だ。
 また共同オーナーとして、フラヴィオ・ブリアトーレ(Flavio Briatore)、バーニー・エクレストン(Bernie Ecclestone)も名を連ねている。
 イタリア人のフラヴィオ・ブリアトーレはルノーF1チームのディレクターとして世界的に有名な人物で、ミハエル・シューマッハの才能を早くから見抜いていた人物としても知られている。
 ベネトンを世界的なブランドに押し上げ、ナオミ・キャンベル、アドリアーナ・ヴォルペ、ハイジ・クラムなどの世界的なセレブたちとの恋愛関係が噂になった伊達男でもある。
 かたやイングランド人のバーニー・エクレストンはF1界のトップに君臨する支配者として有名な実業家である。

 QPRサポーターはリオネル・メッシ、ルイス・フィーゴ、カカのようなビッグネームがクラブにやって来ると期待していた。
 だが現実はもっと地味だった。アブラモビッチはオーナーになってすぐに大金を使ったが、QPRはダニエル・ヌニェス(Daniel Parejo
Munoz 2008-09シーズン在籍)、サムエル・ディカミン(Samuel Di Carmine 2008-09シーズン在籍)、エマニエル・レデスマ(Emmanuel Ledesma 2008-09シーズン在籍)などの知名度の低い選手を獲得していった。
 ただし、クラブの理想は高く、4年以内にチャンピオンズリーグを目指すと公言している。

 QPRは他のクラブと同様に、多額の負債をを抱えて厳しい状況にあった。
 また2006年には、クラブの期待の若手選手であったキヤン・プリンス(Kiyan Prince)が殺害され、翌年にはトップチームデビューしていた若手のレイ・ジョーンズ(Ray Jones 33試合5得点)が交通事故で死亡するなどチーム状況は最悪だった。

 クイーンズパーク・「レンジャーズ」ではなく「ワンダラーズ」のほうがしっくり来るのではないかという皮肉な意見すら出てきたのがこの時期だ。

 クラブの歴史を振り返ってみよう。

 QPRはホームスタジアムが定まらないことで有名だった。現在のロフタス・ロード(Loftus Road)に落ち着くまで実に14箇所もホームスタジアムを移転しているのだ。

Welford's Fields (1886?1888)
London Scottish F.C.'s Ground (1888?1889)
Brondesbury (1888?1889)
Home Farm (1888?1889)
Kensal Green (1888?1889)
Gun Club (1888?1889)
Wormwood Scrubs (1888?1889)
Killburn Cricket Ground (1888?1889)
Kensal Rise Athletic Ground (1899?1901)
Latimer Road (1901?1904)
Notting Hill (1901?1904)
Royal Agricultural Society showgrounds (1904?1907)
Park Royal (1904?1907)
Park Royal Ground (1907?1917)

 クラブ栄光の時期は60年代。
 唯一のメジャータイトルとなるリーグカップを獲得したのは1967年のことだった。
 このシーズンからファイナルがホーム&アウェーではなく、ウェンブリーでの一発勝負となった。
 それまでリーグカップは「ミッキーマウストロフィー」などと呼ばれ、あまり重要視されていなかったがウェンブリーでの開催とともにリーグカップがメジャータイトルとみなされるようになったのだ。

 この年QPRはリーグカップを獲得すると同時に、ディビジョン1へ昇格した。

 70年代にも栄光の時期があった。
 以前チェルシーの監督だったデイブ・セクストン(Dave Sexton)が1974年に監督に就任し、その2年後にリーグタイトルに接近したのだ。
 近年、リーグの最終戦は同じ日の同じ時間に開催されるが同時はそうではなかった。
 QPRの優勝は10日後のリバプール対ウルブス戦の結果に委ねられた。
 この試合でリバプールが勝利しQPRの優勝はなくなった。
 これがクラブがリーグ優勝にもっとも近づいた瞬間である。

 クラブのレジェンドは?
 ロドニー・マルシュ(Rodney Marsh 1966-72シーズン在籍)は211試合106ゴールという輝かしい成績を残したが、彼がマンチェスター・シティに移籍した後、誰が背番号10を継承するのかに注目が集まった。

 結局、背番号10は、同72年にカーライル・ユナイテッドから移籍してきたスタン・ボウルズ(Stan Bowles 1972-79シーズン在籍)が引き継ぐことになった。
 そして315試合97ゴールと、マルシュに負けない活躍を見せた。ボウルズは大酒のみかつ女たらしとしても有名でピッチ内外で多くの人の関心を集めた。
 1975年に新聞紙上で突然引退宣言をし、サポーターを驚かせたが、わずか2日後に現役復帰した。史上最短現役復帰記録である。
 2004年にはサポーターが選ぶ、「オールタイムグレイテストプレーヤー」に選出されている。
 
 なお、QPRのサポーターで構成されるアマチュアチームの名前は彼にちなんでアクリントン・スタンリー・ボウルズ(Accrington Stanley Bowles)という。
画像
クラブエンブレム Stan Bowles
ユニフォーム
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