ニューカッスル・ユナイテッドの全試合データ
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ニューカッスル・ユナイテッドの選手一覧 |
| クラブ名 |
Newcastle United ニューカッスル・ユナイテッド |
| ニックネーム |
@The Magpies ザ・マグパイズ
白と黒のカラーがカササギに似ていることに由来
AThe Toon ザ・トゥーン |
| クラブ創立年 |
1892年 |
| ホームスタジアム |
St.James Park セイント・ジェームズ・パーク |
| 収容客数 |
52387人 |
| ライバルクラブ |
Sunderland / Middlesbrough |
| クラブ公式HP |
http://www.nufc.premiumtv.co.uk/page/Welcome |
| ファンサイト |
NUFC.com
Tyne Talk
Talk Of The Tyne
True Taith |
所属ディヴィジョン
フットボールリーグの変遷はこちらで参照してください。 |
| 年 |
部 |
所属ディヴィジョン |
| 1893- |
2 |
Divison2 |
| 1898- |
1 |
Divison1 |
| 1934- |
2 |
Divison2 |
| 1948- |
1 |
Divison1 |
| 1961- |
2 |
Divison2 |
| 1965- |
1 |
Divison1 |
| 1978- |
2 |
Divison2 |
| 1984- |
1 |
Divison1 |
| 1989- |
2 |
Divison2 |
| 1992- |
2 |
Divison1 |
| 1993- |
1 |
Premier League |
| 2009- |
2 |
FL Championship |
|
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| 備考 |
ニューカッスルユナイテッドは1892年の創立。
ニックネームは「The Magpies」(マグパイズ)。
マグパイというのはカササギという鳥のことである。
ユニフォームの白と黒がカササギの色に似ていることに由来する。
サポーターが熱いことでも有名で52387人収容のセントジェームズパーク(St. James' Park)にはほとんど毎試合50000人以上のサポーターが詰め掛ける。
クラブの前身は1881年に創立されたスタンリー(Stanley)というクリケットクラブである。
1882年、スタンリーはイーストエンド(East End FC)と名前を変える。
その頃同じニューカッスル市内にウエストエンド(West End FC)という名前のフットボールクラブができる。
ウエストエンドは最初クリケットのグラウンドでプレーしていたが、その後、セントジェームズパークに移転する。ウエストエンドが街で一番のクラブになったのとは対照的に、イーストエンドは一歩遅れをとってしまう。
イーストエンドはトム・ワトソン(Tom Watson)を監督に招聘し、クラブの建て直しを図る。
ワトソンの選手補強が功を奏し、イーストエンドは次第に力をつけていく。
その一方、ウエストエンドは財政的な問題からクラブの存続の危機を迎える。
1889年に地域リーグがスタートし、イーストエンドもプロクラブとしての一歩を踏み出した。
ウエストエンドはついにクラブの存続が困難になり、イーストエンドに吸収合併を申し出る。
そして2つのクラブが統一されてニューカッスルユナイテッドが誕生した。1892年のことだった。
1893年にフットボールリーグのディヴィジョン2に参加したニューカッスルは地理的に近いスコットランドから優秀な選手を多く獲得し、クラブの強化を図った。
1898年にはディヴィジョン1に昇格するが、1908年には地元のライバル、サンダーランドにホームで1-9で敗戦するという屈辱も味わった。
この試合がいまだにホームでの最多失点ゲームである。
とはいえ、1900・1910年代はニューカッスル最初の栄光の時期だった。
1904-05、1906-07、1908-09シーズンと3シーズン連続でディヴィジョン1優勝。
さらに1905、1906、1908、1910、1911シーズンにはFAカップのファイナルに5度出場した。
その5度のファイナルのうち4試合は敗戦したものの、1910年にはバーンリーを2-0で破って優勝した。
第1次世界大戦後の1920年代にも2つの大きなタイトルを獲得する。
1924年のFAカップ優勝(2-0でアストンヴィラに勝利)と、1926-27シーズンのリーグ優勝である。
この1926-27シーズンはセンターフォワードのヒューイ・ギャラガー(Hughie Gallacher)が1シーズンで36ゴールを挙げる大活躍をみせた(1シーズン36ゴールはクラブ記録である)。
またギャラガーがクラブを離れた後に加入したスタン・シーモア(Stan Seymour)らもクラブに大きな貢献をした。
シーモアは選手としてだけではなく、その後監督や会長までも務め、50年近くもニューカッスルとともに生きてきた。
1932年には3度目のFAカップ優勝を飾る(アーセナルに2-1で勝利する)が、この時はボールがライン上にあったかゴールを割っていたかで大いに揉めた。未だに議論に決着は着いておらず、論争が絶えない。
ニューカッスルは魅力的な選手を抱えていたものの(例えばアンディ・カニンガム《Andy
Cunningham》はディヴィジョン1で最初にプレーイングマネージャーになった人物として有名である)、1934年にはクラブ史上初めての降格を経
験する。
降格から5年後の1939年、かつて名ウィンガーとして名をはせたスタン・シーモアが監督に就任する。
第2次世界大戦による6年間の中断期間が終わると、シーモアはクラブの改革に乗り出す。
地元出身のジャッキー・ミルバーン(Jackie Milburn)らと、他のクラブから獲得したビッグタレントとの融合に成功し、クラブは上昇気流に乗る。
特にジャッキー・ミルバーンはクラブの伝説であり、サポーターに最も愛されている選手でもある。
ジョーディーは彼のことを「Wor Jackie」と呼ぶ(「Wor」とは、ジョーディーの方言で「Our」のこと)。
ジャッキー・ミルバーンはクラブに在籍した1946-57年の間に177ゴールを挙げ、クラブの記録をつくった。
1948年にはディヴィジョン1に昇格。この年は平均57000人の観客動員を記録した。
1950年代には3度のFAカップタイトルを獲得(1951年はブラックプールに2-0の勝利、1952年はアーセナルに1-0の勝利、1955年はマンチェスターシティに3-1の勝利)。
だが、1961年にはまたもやディヴィジョン2に降格してしまう。1962年にはかつて選手として活躍したジョー・ハーヴェイ(Joe Harvey,)が監督に就任し、クラブ再建を目指した。
その努力が報われ、1964-65シーズンにはディヴィジョン2で優勝。すぐにディヴィジョン1に昇格する。
1968-69シーズンにはUEFAカップの前身でもあるInter Cities Fairs Cupで優勝する。
1970年代には「Supermac」と呼ばれ愛されたマルコム・マクドナルド(Malcolm
Macdonald)(1971-76シーズン在籍し、187試合95ゴール)が活躍を見せ、1974年にはFAカップファイナル、1976年にはリーグ
カップファイナルまで勝ち進むが、いずれも破れてしまう(1974年はリバプールに3-0、1976年はマンチェスターシティに2-1。で敗戦)。
1978年にはディヴィジョン2に降格、明るい話題は少なかった中、ジョーディーを喜ばせたのがイングランドの国民的アイドルでもあり、リバプールの英雄でもあるケビン・キーガン(Kevin
Keegan)の加入だった。
キーガンの活躍(78試合48ゴール)で1984年にディヴィジョン1に昇格する。キーガンだけではなく、ピーター・ベアズリー(Peter Beardsley)やクリス・ワドル(Chris
Waddle)らような地元出身の若手選手の活躍もめざましいものがあった。
1984年から1989年までディヴィジョン1で過ごし、またもや降格になるのだが、この間にユース出身のポール・ガスコイン(Paul
Gascoigne)がトップデビューを果たしている(92試合21ゴールで1988年にトッテナムホットスパーに移籍)。
3シーズンをディヴィジョン2で過ごし、昇格を果たすと、1992年にケヴィン・キーガンが監督に就任する。そして1992-93年はディヴィジョン
1(この年にプレミアリーグが始まっているのでディヴィジョン2は2部相当)で優勝し、プレミアリーグ昇格を果たす。
この頃クラブは選手に多額の資金を投入するようになる。獲得した選手の中でも最もサポーターが喜んだのは、1996年のアラン・シアラー(Alan
Shearer)の加入である。
1500万ポンドの移籍金は当時最高の金額だった。
1994-95シーズン、ブラックバーン優勝に大きく貢献したシアラーは地元ニューカッスルの出身であり、本人もニューカッスルのファンだった。
シアラーは2006年に引退するまでの10年間で303試合148ゴールを記録した。
また、ブラックバーンとニューカッスル時代の合計261ゴールというのはプレミアリーグ最多ゴール数である。
なお、プレミアリーグが始まる1992年以前のゴール合わせると559試合283ゴールというとんでもない記録になる。
1995-96、1996-97シーズンにはプレミアリーグ2位、2002-03には3位でフィニッシュ。
また1998、1999シーズンにはFAカップファイナルに進出するがタイトルは獲得できていない(アーセナル、マンチェスターユナイテッドにそれぞれ2-0で敗退)。
2008-09シーズンはキーガン監督とクラブフロントの衝突により、チームは混乱状態に陥る。
新たに監督に就任したジョー・キニアも心臓のバイパス手術のためにチームを離脱。
アラン・シアラーがシーズン終盤まで指揮を執ったが、それでもチームの状況はよくならず、1992シーズン以来の下部ディヴィジョンを経験することになった。
ライバルチームはなんといってもサンダーランドである。ミドルズブラとの戦いもノースイーストダービーとして盛り上がるが、地理的により近いサンダーランドとの対戦ほどではない。 |
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| クラブエンブレム |
Jackie Milburn |
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ユニフォーム |
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