Middlesbrough ミドルズブラ
Championship          
1 Barnsley
2 Blackpool
3 Bristol City
4 Cardiff City
5 Coventry City
6 Crystal Palace
7 Derby County
8 Doncaster Rovers
9 Ipswich Town
10 Leicester City
11 Middlesbrough
12 Newcastle United
13 Nottingham Forest
14 Peterborough United
15 Plymouth Argyle
16 Preston North End
17 Queens Park Rangers
18 Reading
19 Scunthorpe United
20 Sheffield United
21 Sheffield Wednesday
22 Swansea City
23 Watford
24 West Bromwich Albion
クラブ名 Middlesbrough ミドルズブラ
ニックネーム @Boro ボロ
AThe Smoggies ザ・スモッギーズ
クラブ創立年 1892年
ホームスタジアム Riverside Stadium  リバーサイド・スタジアム
収容客数 35100人
ライバルクラブ Newcastle United / Sunderland
クラブ公式HP http://www.mfc.premiumtv.co.uk/page/Welcome
ファンサイト Fly Me To The Moon
SmogChat
Southen Supporters Club
所属ディヴィジョン

フットボールリーグの変遷はこちらで参照してください。
所属ディヴィジョン
1899- 2 Divison2
1902- 1 Divison1
1924- 2 Divison2
1927- 1 Divison1
1928- 2 Divison2
1929- 1 Divison1
1954- 2 Divison2
1966- 3 Divison3
1967- 2 Divison2
1974- 1 Divison1
1982- 2 Divison2
1986- 3 Divison3
1987- 2 Divison2
1988- 1 Divison1
1989- 2 Divison
1992- 1 Premier League
1993- 2 Divison1
1995- 1 Premier League
1997- 2 Divison1
1998- 1 Premier League
2009- 2 FL Championship
備考  タイトルとは無縁のクラブだったミドルズブラが、その苦難の時代を乗り越え、ついにクラブ初のとなるタイトルを獲得したのは2004年のことだった。
 ボルトンを下しリーグカップで優勝したのだ。(スコアはBolton Wanderers 1 ? 2 Middlesbrough ボロの得点者は、ジョブとゼンデン)。

 ボロがフットボールリーグに加入したのは1899年。
 だが当時は資金繰りに苦しみ、アウェイゲームの遠征が難しい状態だった。
 そんな状況でクラブは不思議な買い物をした。ライバルクラブのサンダーランドからアルフ・コモン(Alf Common)を当時のクラブ最高移籍額で獲得したのだ。

 第一次世界大戦前にはひとつだけ嬉しい出来事があった。
 クラブ史上最高となるトップディビジョン3位という順位でシーズンを終了したのだ。
 
 また1920年代30年代にはジョージ・カムセル(George Camsell)というストライカーが大活躍した時期でもある。カムセルはボロで453試合に出場し345ゴールを記録した。
 彼がボロで迎えた最初のシーズンは一年間になんと63得点という記録を叩き出している。カムセルはその後10年間クラブのトップスコアラーに君臨した。

 カムセルと同じようなクラブのレジェンドを挙げるとすればイングランド代表のキャプテンも努めた左サイドバックのジョージ・ハードウィック(George Hardwick)とストライカーのウィルフ・マニオン(George Hardwick)だろう。

 1995年にクラブのスタジアムがエアサム・パークからリバーサイド・スタジアムに移転したときに彼らの銅像が新スタジアムの外に作られた。

 また監督としてのキャリアがあまりに輝かしく選手としてのキャリアが見過ごされがちなブライアン・クラフだが、ボロで213試合197ゴールという記録を残している。これはイングランドのフットボール史上最も高い得点率ということになる(ほぼ毎試合得点)。

 クラフの銅像はスタジアムではなく彼の生家の横に建てられた。

 ボロにとっての分岐点は1986年だった。

 ディヴィジョン3に甘んじていたミドルズブラは重度の資金難に陥っていたが、スティーブ・ギブソン(Steve Gibson)は窮地を救った。ギブソンは地元出身の富豪で運送業で財を築いた人物だ。彼はクラブを救うべく資金調達に奔走した。

 そしてイタリアから点取り屋のファブリシオ・ラバネッリ(Fabrizio Ravanelli)、ブラジルから天才MFジュニーニョ・パウリスタ(Juninho Paulista)を連れてきた。

 ミドルスブラの最高の瞬間は?

 2006年のUEFAカップで間違いない。
 この年、なんとミドルスブラはこのUEFAカップの大会のファイナルまで勝ち進んだのだ。

 準々決勝のバーゼル戦はファーストレグを2-0で落としており、しかもセカンドレグでも1点を奪われ、勝ち進むためには4点が必要という厳しい状況だった。だがミドルスブラはそれをやってのけた。交代出場したマッシモ・マッカローネ(Massimo Maccarone)が最後の数分で決勝ゴールを叩き込んだのだ。結局トータルスコア3-4でミドルズブラが勝ち進んだ。

 同じような奇跡はセミファイナルでも繰り返された。
 ステアウア・ブカレスト戦もファーストレグは1-0で落とし、セカンドレグも常に先制される苦しい試合展開だった。しかし、またしてもマッカローネが交代出場から決勝ゴールを決めたのだ。

 残念ながら決勝のセビージャ戦では奇跡は起きなかったが(4-0で乾杯)、それでもミドルスブラにしてみれば決勝まで勝ち進んだこと自体が奇跡だったに違いない。

 ミドルズブラのニックネームにスモッギーズ(The Smoggies)というのがある。
 これはかつて工業が盛んだったミドルスブラには大気汚染の問題があったために地元のライバルであるニューカッスルやサンダーランドがそれを揶揄してスモッギーズと呼んだことに由来する。

 ニューカッスルやサンダーランドファンはアウェイのミドルスブラの試合に乗り込むときはガスマスクや白衣を着込み、ミドルズブラを馬鹿にするというのがお決まりになっている。
画像
クラブエンブレム George Hardwickの像
ユニフォーム
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