Ipswich Town イプスウィッチ・タウン
Championship          
1 Barnsley
2 Blackpool
3 Bristol City
4 Cardiff City
5 Coventry City
6 Crystal Palace
7 Derby County
8 Doncaster Rovers
9 Ipswich Town
10 Leicester City
11 Middlesbrough
12 Newcastle United
13 Nottingham Forest
14 Peterborough United
15 Plymouth Argyle
16 Preston North End
17 Queens Park Rangers
18 Reading
19 Scunthorpe United
20 Sheffield United
21 Sheffield Wednesday
22 Swansea City
23 Watford
24 West Bromwich Albion
クラブ名 Ipswich Town イプスウィッチ・タウン
ニックネーム @Blues ブルーズ
ATown タウン
BThe Tractor Boys ザ・トラクター・ボーイズ
クラブ創立年 1878年
ホームスタジアム Portman Road ポートマン・ロード
収容客数 30300人
ライバルクラブ Norwich City / Colchester United
クラブ公式HP http://www.itfc.co.uk/page/Welcome
ファンサイト those were the days
Ipswich Town MAD
Tractor Boys
Singing The Blues
所属ディヴィジョン

フットボールリーグの変遷はこちらで参照してください。
所属ディヴィジョン
1938- 3 Divison3 South
1954- 2 Divison2
1955- 3 Divison3 South
1957- 2 Divison2
1961- 1 Divison1
1964- 2 Divison2
1968- 1 Divison1
1986- 2 Divison2
1992- 1 Premier League
1995- 2 Divison1
2000- 1 Premier League
2002- 2 Divison1
2004- 2 FL Championship
備考  イプスウィッチのニックネームは「トラクター・ボーイズ」(The Tractor Boys)。

 このニックネームは使われ始めたのは、つい最近のことである。

 イプスウィッチがプレミアリーグ昇格を果たした2000年頃に自然発生的に生まれたニックネームなのである。
 イプスウィッチスが先制点を決めるたびに、スタンドから「1-0だ、トラクターボーイズ」というチャントが聞こえてきて、それがいつしかニックネームになったというのだ。

 選手はこのニックネームをあまり気に入っていなかったようで、当時の監督ジム・マギルトン(Jim Magilton)も「田舎者みたいでイメージがよくない」と苦言を呈している。

 ただ、監督の意向とは裏腹に、クラブTシャツにはすでに「トラクター」をモチーフにしたデザインが盛り込まれており、関連グッズも製作済みだった。
 そして各メディアで「トラクターボーイズ」という名称が使われるようになった。

 マギルトン監督の2代前のジョージ・バーリィ(George Burley)監督はメディアに対するインタビューで「私はトラクターの愛好家ではないし、私たちは田舎者でもない。ただ私たちはこの町が活気づいてくれればいいんだ」とコメントした。
 バーリィ監督が翌朝目を覚まし、朝刊を見ると自分の記事が載っていた。
 そしてそこには、バーリィがもうイプスウィッチのファンではない、と取れるような見出しがついていた。
 それほどイプスウィッチファンはトラクターがお気に入りなのだ。

 イプスウィッチは長い間、フットボール界の陽の当たらないところにいた。
 1878年にアマチュアクラブとして創立されてはいるが、フットボールリーグに加盟したのは、それから60年後のことだった。
 ほとんどの時期をディヴィジョン3で過ごしていたのだが、1955年にアルフ・ラムジー(Alf Ramsey)が監督に就任してからクラブは上昇気流に乗る。

 アルフ・ラムジーは選手時代はトッテナムのサイドバックとして活躍した選手で、イングランド代表キャップも32キャップもっている。

 ラムジー監督は「General」(大将・将官)というニックネームをつけられるほど、緻密な戦術を立てることで有名だった。冷静な頭脳を持っているがゆえに、選手時代には右サイドバックにもかかわらず、よくPKのキッカーを務めていた。

 そのラムジー政権下の1961年にはクラブ史上初となるディヴィジョン1での優勝を決めた。

 当時のチームにはスター選手はおらず、ほとんどがピークを過ぎたベテランか若手選手ばかりだった。
 レイ・クロフォード(Ray Crawford)はその年、33ゴールを記録し、得点王に輝いた(イプスウィッチの歴代得点記録218ゴールの記録保持者でもある)。

 ラムジーは1963年にイプスウィッチの監督を辞任し、イングランド代表監督に就任した。(1966年ワールドカップでイングランドが優勝したときの監督)

 ラムジーがクラブを去ると、イプスウィッチは一度降格してしまうが、1969年にまたトップディヴィジョンに返り咲いた。

 そして1969年にはニューカッスル・ユナイテッドファンにはお馴染みのボビー・ロブソン(Bobby Robson)が監督に就任する。

 ロブソン監督は1969-82の13年間クラブに在籍し、1978年のFAカップ優勝、1981年のUEFAカップ優勝、1981・1982年の2年連続リーグで2位、などの快挙を成し遂げ、クラブの黄金時代を築いた。

 当時のチームのキープレーヤーは2人のオランダ人MFだった。
 アーノルド・ミューレン(Arnold Muehren)はイプスウィッチに4年間在籍し、その後マンチェスターユナイテッド、アヤックスへと移籍した。
 そしてフランス・ティッセン(Frans Thijssen)も4年間在籍し、ノッティンガムフォレストへと移籍した。

 クラブのレジェンドはケヴィン・ビーティ(Kevin Beattie)である。
 当時の監督はビーティを「これまで見た中でもっともすぐれたイングランド人センターバック」と称している。
 イプスウィッチがFAカップで優勝した時の立役者でもある。

 しかしビーティは怪我に悩まされた選手でもあった。
 UEFAカップで優勝した試合には怪我のため出場できず、結局29歳という若さで選手キャリアを終えることになった。

 イプスウィッチサポーターはUEFAカップのメダルを受け取れなかったビーティのことを想って、UEFAにメダルを授与するよう働きかけた。そしてUEFAはビーティの貢献を認め、2008年にプラティニ会長がビーティにUEFAカップの優勝記念メダルを授与するという心温まる出来事があった。
画像
クラブエンブレム Kevin Beattie
ユニフォーム
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