| クラブ名 |
Doncaster Rovers ドンカスター・ローヴァーズ |
| ニックネーム |
@Rovers ローヴァーズ
AThe Donny ザ・ドニー |
| クラブ創立年 |
1879年 |
| ホームスタジアム |
Keepmoat Stadium キープモート・スタジアム |
| 収容客数 |
15231人 |
| ライバルクラブ |
Rotherham / Barnsley / Scunthorpe United / Hull City |
| クラブ公式HP |
http://www.doncasterroversfc.co.uk/page/Welcome |
| ファンサイト |
Doncaster Rovers A New Era
Official Supporters Club
Viking Supporters Cooperative |
所属ディヴィジョン
フットボールリーグの変遷はこちらで参照してください。 |
| 年 |
部 |
所属ディヴィジョン |
| 1901- |
2 |
Divison2 |
| 1903- |
- |
Divison2から除外 |
| 1904- |
2 |
Divison2 |
| 1905- |
- |
Divison2から除外 |
| 1923- |
3 |
Divison3 North |
| 1935- |
2 |
Divison2 |
| 1937- |
3 |
Divison3 North |
| 1947- |
2 |
Divison2 |
| 1948- |
3 |
Divison3 North |
| 1950- |
2 |
Divison2 |
| 1958- |
3 |
Divison3 |
| 1959- |
4 |
Divison4 |
| 1966- |
3 |
Divison3 |
| 1967- |
4 |
Divison4 |
| 1969- |
3 |
Divison3 |
| 1971- |
4 |
Divison4 |
| 1981- |
3 |
Divison3 |
| 1983- |
4 |
Divison4 |
| 1984- |
3 |
Divison3 |
| 1988- |
4 |
Divison4 |
| 1992- |
4 |
Divison3 |
| 1998- |
5 |
Conference |
| 2003- |
4 |
Divison3 |
| 2004- |
3 |
FL1 |
| 2008- |
2 |
FL Championship |
|
| 備考 |
ドンカスター・ローバーズはジョン・ライアン(John Ryan)が1998年にクラブにやってきてからの10年間で、まるで不死鳥のごとく蘇ったクラブである。
ドンカスター生まれの大富豪であるジョン・ライアンがやってきた当時、クラブは34連敗という前例のない不名誉な記録をつくり、観客も平均1800人以下という惨めな状況だった。
クラブは4部からアマチュアリーグのノーザンプレミアリーグへの降格が決定していた。
ユニフォームもゴールネットもボールもなく、あるのはほんの一握りの選手だけ。アウェイの試合をこなすためににコーチが高速道路を飛ばして選手をかき集め、試合をするための人数を何とか確保するようなひどい有様だった。
ライアンは改革に着手した。
それと答辞に2003年に彼は子供の頃の夢を実現させた。5部相当のカンファレンスリーグのヘレフォード戦のラスト数分というところでなんと自らピッチに立ったのだ。52歳と11ヶ月でプロの試合のピッチに立つのは前例がなく、この記録はギネスブックに登録された。
2001年のヨークシャーには象徴的なニュースが二つあった。
ひとつはサウス・ヨークシャーのドンカスター・ローヴァーズがポール・バーンズ(Paul Barnes)と契約したこと。バーンズはヨーク・シティ(York
City)で一時代を築いたストライカーで、この頃バリー(Bury)からニュネートン・ボロ(Nuneaton Borough)へローンで出されていた。そこでは9試合で10ゴールとまずまずの活躍をしている。
同じ頃、ウエストヨークシャーではリーズユナイテッドがリオ・ファーディナンド、マーク・ヴィドゥカ、ハリー・キューウェル、オリヴァー・ダクール、デイヴィッド・バッティ、ジョナサン・ウッドゲイトらのスター軍団を擁しチャンピオンズリーグのセミファイナルに勝ち進んだ。
同じヨークシャーでありながら、なんとも対称的なニュースである。
リーズとドンカスターという二つのクラブが3部相当ディヴィジョンのプレーオフで対戦することになろうとは、この2001年の時点では誰も予想できなかっただろう。
しかし2008年5月、両クラブは2部相当ディヴィジョンへの昇格をかけて対戦することになった。
ドンカスターはリーズを1-0で下し、念願のチャンピオンシップ(2部相当)への昇格を果たしたのである。
この5年間で3度の昇格というサクセスストーリーである。
偉大な監督は誰だろうか?
デイブ・ペニー(Dave Penney)は二度の昇格の立役者としてクラブに名を刻んでいるし、ショー
ン・オドリスコル(Sean O'Driscoll)はリーズをプレーオフで下したときの監督だ。
オドリスコルは監督就任直後はなかなか満足な結果が得られず、サポーターからは本名をもじってO'Dismal(愚かな)とかO'Dreaful(みっともない)というあだ名をつけられた。だが結局クラブはオドリスコルによって躍進したのだ。
この成功の裏には地元議会による全面的な支援があった。キープモートスタジアムの建設費として3000万ポンドの資金が提供された。
ベルビューは1922年以来クラブのホームスタジアムだった。
なおクラブ自体が創設されたのは1879年のことだった。鉄道の倉庫員たちが集まって作ったチームといわれている。
成功とは縁遠いクラブだったが戦前には平均3万人の観客を動員していた。人口25万人のこの町の人たちの応援の存在がドンカスターの成功に大きな役割を果たしていたことは間違いない。
クラブのレジェンドはアリック・ジェフリー(Alick JeffeY)だ。
彼のデビューは1954年で、そのときの年齢はわずか15歳だった。落ち着きはらったプレースタイルと弾丸シュート、そして見事なパスセンスが彼のうりだった。
スタンリー・マシューズ(Stanly Matthews ストークやブラックプールで活躍したイングランドの英雄)は彼のことを天才と賞した。
そして第2のペレと期待されたジェフリーはマンチェスターユナイテッドへと移籍した。しかし彼はイングランドU21代表の試合で両足を骨折するという大事故に見まわれてしまう。この怪我のせいでジェフリーは7年間を棒に振った。
ジェフリーは1963年にドンカスターに復帰し191試合で95ゴールを記録する活躍をみせる。
だがまた彼に不幸が訪れる。ひどい自動車事故の被害者となり、チームのキャプテンジョン・ニコルセンは死亡、ジェフリーも昏睡状態となり数ヶ月間試合を離れることになった。結局彼のその後の選手キャリアでは才能が発揮されることなく引退した。ジェフリーは悲劇の英雄としてドンカス
ターにその名を刻んでいる。 |
| 画像 |
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| クラブエンブレム |
John Ryan |
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ユニフォーム |
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