Derby County  ダービー・カウンティ
Championship          
1 Barnsley
2 Blackpool
3 Bristol City
4 Cardiff City
5 Coventry City
6 Crystal Palace
7 Derby County
8 Doncaster Rovers
9 Ipswich Town
10 Leicester City
11 Middlesbrough
12 Newcastle United
13 Nottingham Forest
14 Peterborough United
15 Plymouth Argyle
16 Preston North End
17 Queens Park Rangers
18 Reading
19 Scunthorpe United
20 Sheffield United
21 Sheffield Wednesday
22 Swansea City
23 Watford
24 West Bromwich Albion
クラブ名 Derby County  ダービー・カウンティ
ニックネーム The Rams ザ・ラムズ
クラブ創立年 1884年
ホームスタジアム Pride Park プライド・パーク
収容客数 33597人
ライバルクラブ Nottingham Forest / Leicester City
クラブ公式HP http://www.dcfc.premiumtv.co.uk/page/Welcome
ファンサイト The Rams
Popside Message Board
Ram Zone
所属ディヴィジョン

フットボールリーグの変遷はこちらで参照してください。
所属ディヴィジョン
1888- 1 Divison1
1907- 2 Divison2
1912- 1 Divison1
1914- 2 Divison2
1915- 1 Divison1
1921- 2 Divison2
1926- 1 Divison1
1953- 2 Divison2
1955- 3 Divison3 North
1957- 2 Divison2
1969- 1 Divison1
1980- 2 Divison2
1984- 3 Divison3
1986- 2 Divison2
1997- 1 Divison1
1991- 2 Divison2
1992- 2 Divison1
1996- 1 Premier League
2002- 2 Divison1
2004- 2 FL Championship
2007- 1 Premier League
2008- 2 FL Championship
備考  ダービーカウンティは2007-08シーズンに11ポイント(1勝8分)というプレミアリーグ史上最低ポイント数で降格が決まった。

 早い時期に降格が決定し、それでもスタジアムに詰め掛けるサポーターは、このシーズンのプレーオブザイヤーには自分たちサポーターこそが相応しいと考えていた。

 シーズン最終戦となったブラックバーン戦では、ダービーサポーターはアロハシャツを身にまとい、浮輪やビーチボールを持ち込むなど、ビーチパーティさながらのなんとも奇妙な光景が見られた。

 だが、ダービーは弱小クラブではない。
 
 1970年代にトップディヴィジョンでの優勝を経験している。
 しかも2度(1972年と1975年)も。

 その立役者こそ、かの有名なブライアン・クラフ(Brian Clough)である。

 クラフは選手時代はミドルズブラで活躍したストライカーだった。
 1967年に32歳のクラフがピーター・テイラー(Peter Taylar)と一緒にダービーにやってきたとき、チームはディヴィジョン2で苦しい状況にあった。

 クラフの最初のシーズンこそ18位だったが、クラフはチームに、そして街に、活力を与えた。
 ダービーの短い黄金時代はクラフとともに訪れた。

 もし、ある選手がダービーにやってきたがらないと分かれば、クラフはその選手の家に押しかけ、リビングを占領し、ソファで一夜を過ごし、契約のサインが手に入るまで、そこを動こうとはしなかった。

 そうして手に入れた選手の中でもとりわけ重要だったのが、トッテナムから加入したデイヴ・マッケイ(Dave Mackay)だ。1968年にマッケイを獲得した際には、彼の帰り道をほとんど拉致同然のかっこうでダービーまで連れて帰ったといわれている。クラフはそれほど熱い監督だったのだ。

 このシーズン、ディヴィジョン2で優勝し、トップディヴィジョンへの昇格を成し遂げたダービーは、3年後の1972年についにクラブ史上初となるトップディヴィジョンの優勝を成し遂げる。

 しかしクラフの名声が高まるにつれ、クラブチェアマンのサム・ロングサン(Sam Longson)は、それに嫉妬を感じるようになり、彼とクラフの関係がおかしくなりはじめる。

 特に決定的だったのが、クラフがサンダーランドのDFコリン・トッド(Colin Todd)を獲得した際の出来事だ。
 17万5000ポンドという当時にしては大きな金額による選手補強に関して、クラフはロングサンに何の相談もなく、ロングサンは選手獲得の事実を電報で知らされることになったのだ。
 ロングサンは怒り、クラフの追放を決意する。

クラフはこの問題に関して、個人としての2人の間には何の衝突もなかった、とコメントしている。

 そしてそれから2週間の間、クラフ追放に怒ったサポーターがホームスタジアムのベースボールグラウンドに終結し、ロングサンの解任を要求し続けた。
しかし、それでもクラフは帰ってこなかった。

 そして、皮肉なことにクラフが去ってから18ヶ月後に、ダービーは2度目のトップディヴィジョン優勝を成し遂げることになる。

 その後、ブライアン・クラフはダービーカウンティの最大のライバルチームであるノッティンガムフォレストの監督に就任することとなる。
 2007年には、両チームで指揮をとったクラフの名前を冠したブライアン・クラフ杯がプライドパークで行われ、ダービーが2対0でノッティンガムフォレストを下した。

 1975年、2度目の優勝の際に、監督を務めていたのは、クラフがかつてトッテナムから連れてきたデイヴ・マッケイである。しかし、彼もクラフと同じように18ヶ月後に解任されている。

 1987年には、常に詐欺師という非難を浴び続けていた英国メディア王ロバート・マクスウェルがクラブを買収することになった。
(マクスウェルについてはこちらを参照されたい)
このため、クラブ首脳はその後何度も検察官や裁判官の尋問を受けることになった。

 1996-07シーズンには、プレミアシップと名称が変わってから初めてのトップディヴィジョンを経験。

 翌1997年にはホームスタジアムをベースボールグラウンドからプライドパークに移転した。
 1995-2001の間指揮を取ったジム・スミス時代にはトップディヴィジョンで2度、トップ10入りしている。
(1997-98シーズンに7位1、998-99シーズンに8位)

 チームのニックネームはザ・ラムズ。
 これは19世紀にダービシャー軍がこの地に本拠地を構えた際に、ウェールズ軍がヤギと一緒に行進していることにヒントを得、羊を軍のマスコットに採用したことに始まるといわれている。
(30mもあるといわれる雄羊がダービーに現れたという神話にもとづいているという説もある)

 クラブのレジェンドは誰か。

 スティーブ・ブルーマー(Steve Bloomer)は1892-1906、1910-1914の間ダービーに在籍し、14年間で合計365ゴールを挙げている。イングランド代表では23試合の出場にもかかわらず28ゴールを挙げているという超人である。
画像
クラブエンブレム Brian Cloughの像
ユニフォーム
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