| クラブ名 |
Derby County ダービー・カウンティ |
| ニックネーム |
The Rams ザ・ラムズ |
| クラブ創立年 |
1884年 |
| ホームスタジアム |
Pride Park プライド・パーク |
| 収容客数 |
33597人 |
| ライバルクラブ |
Nottingham Forest / Leicester City |
| クラブ公式HP |
http://www.dcfc.premiumtv.co.uk/page/Welcome |
| ファンサイト |
The Rams
Popside Message Board
Ram Zone |
所属ディヴィジョン
フットボールリーグの変遷はこちらで参照してください。 |
| 年 |
部 |
所属ディヴィジョン |
| 1888- |
1 |
Divison1 |
| 1907- |
2 |
Divison2 |
| 1912- |
1 |
Divison1 |
| 1914- |
2 |
Divison2 |
| 1915- |
1 |
Divison1 |
| 1921- |
2 |
Divison2 |
| 1926- |
1 |
Divison1 |
| 1953- |
2 |
Divison2 |
| 1955- |
3 |
Divison3 North |
| 1957- |
2 |
Divison2 |
| 1969- |
1 |
Divison1 |
| 1980- |
2 |
Divison2 |
| 1984- |
3 |
Divison3 |
| 1986- |
2 |
Divison2 |
| 1997- |
1 |
Divison1 |
| 1991- |
2 |
Divison2 |
| 1992- |
2 |
Divison1 |
| 1996- |
1 |
Premier League |
| 2002- |
2 |
Divison1 |
| 2004- |
2 |
FL Championship |
| 2007- |
1 |
Premier League |
| 2008- |
2 |
FL Championship |
|
| 備考 |
ダービーカウンティは2007-08シーズンに11ポイント(1勝8分)というプレミアリーグ史上最低ポイント数で降格が決まった。
早い時期に降格が決定し、それでもスタジアムに詰め掛けるサポーターは、このシーズンのプレーオブザイヤーには自分たちサポーターこそが相応しいと考えていた。
シーズン最終戦となったブラックバーン戦では、ダービーサポーターはアロハシャツを身にまとい、浮輪やビーチボールを持ち込むなど、ビーチパーティさながらのなんとも奇妙な光景が見られた。
だが、ダービーは弱小クラブではない。
1970年代にトップディヴィジョンでの優勝を経験している。
しかも2度(1972年と1975年)も。
その立役者こそ、かの有名なブライアン・クラフ(Brian Clough)である。
クラフは選手時代はミドルズブラで活躍したストライカーだった。
1967年に32歳のクラフがピーター・テイラー(Peter Taylar)と一緒にダービーにやってきたとき、チームはディヴィジョン2で苦しい状況にあった。
クラフの最初のシーズンこそ18位だったが、クラフはチームに、そして街に、活力を与えた。
ダービーの短い黄金時代はクラフとともに訪れた。
もし、ある選手がダービーにやってきたがらないと分かれば、クラフはその選手の家に押しかけ、リビングを占領し、ソファで一夜を過ごし、契約のサインが手に入るまで、そこを動こうとはしなかった。
そうして手に入れた選手の中でもとりわけ重要だったのが、トッテナムから加入したデイヴ・マッケイ(Dave Mackay)だ。1968年にマッケイを獲得した際には、彼の帰り道をほとんど拉致同然のかっこうでダービーまで連れて帰ったといわれている。クラフはそれほど熱い監督だったのだ。
このシーズン、ディヴィジョン2で優勝し、トップディヴィジョンへの昇格を成し遂げたダービーは、3年後の1972年についにクラブ史上初となるトップディヴィジョンの優勝を成し遂げる。
しかしクラフの名声が高まるにつれ、クラブチェアマンのサム・ロングサン(Sam Longson)は、それに嫉妬を感じるようになり、彼とクラフの関係がおかしくなりはじめる。
特に決定的だったのが、クラフがサンダーランドのDFコリン・トッド(Colin Todd)を獲得した際の出来事だ。
17万5000ポンドという当時にしては大きな金額による選手補強に関して、クラフはロングサンに何の相談もなく、ロングサンは選手獲得の事実を電報で知らされることになったのだ。
ロングサンは怒り、クラフの追放を決意する。
クラフはこの問題に関して、個人としての2人の間には何の衝突もなかった、とコメントしている。
そしてそれから2週間の間、クラフ追放に怒ったサポーターがホームスタジアムのベースボールグラウンドに終結し、ロングサンの解任を要求し続けた。
しかし、それでもクラフは帰ってこなかった。
そして、皮肉なことにクラフが去ってから18ヶ月後に、ダービーは2度目のトップディヴィジョン優勝を成し遂げることになる。
その後、ブライアン・クラフはダービーカウンティの最大のライバルチームであるノッティンガムフォレストの監督に就任することとなる。
2007年には、両チームで指揮をとったクラフの名前を冠したブライアン・クラフ杯がプライドパークで行われ、ダービーが2対0でノッティンガムフォレストを下した。
1975年、2度目の優勝の際に、監督を務めていたのは、クラフがかつてトッテナムから連れてきたデイヴ・マッケイである。しかし、彼もクラフと同じように18ヶ月後に解任されている。
1987年には、常に詐欺師という非難を浴び続けていた英国メディア王ロバート・マクスウェルがクラブを買収することになった。
(マクスウェルについてはこちらを参照されたい)
このため、クラブ首脳はその後何度も検察官や裁判官の尋問を受けることになった。
1996-07シーズンには、プレミアシップと名称が変わってから初めてのトップディヴィジョンを経験。
翌1997年にはホームスタジアムをベースボールグラウンドからプライドパークに移転した。
1995-2001の間指揮を取ったジム・スミス時代にはトップディヴィジョンで2度、トップ10入りしている。
(1997-98シーズンに7位1、998-99シーズンに8位)
チームのニックネームはザ・ラムズ。
これは19世紀にダービシャー軍がこの地に本拠地を構えた際に、ウェールズ軍がヤギと一緒に行進していることにヒントを得、羊を軍のマスコットに採用したことに始まるといわれている。
(30mもあるといわれる雄羊がダービーに現れたという神話にもとづいているという説もある)
クラブのレジェンドは誰か。
スティーブ・ブルーマー(Steve Bloomer)は1892-1906、1910-1914の間ダービーに在籍し、14年間で合計365ゴールを挙げている。イングランド代表では23試合の出場にもかかわらず28ゴールを挙げているという超人である。
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| 画像 |
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| クラブエンブレム |
Brian Cloughの像 |
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ユニフォーム |
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