| クラブ名 |
Coventry City コヴェントリー・シティ |
| ニックネーム |
The Sky Blues ザ・スカイ・ブルーズ |
| クラブ創立年 |
1883年 |
| ホームスタジアム |
Ricoh Arena リコー・アレーナ |
| 収容客数 |
32609人 |
| ライバルクラブ |
Aston Villa / Leicester City / Birmingham City / West Bromwich Albion /
Wolverhampton Wanderers |
| クラブ公式HP |
http://www.ccfc.co.uk/page/Welcome |
| ファンサイト |
Lets All Sing Together
Gary Mabbutt's Knee
CovCityFc |
所属ディヴィジョン
フットボールリーグの変遷はこちらで参照してください。 |
| 年 |
部 |
所属ディヴィジョン |
| 1919- |
2 |
Divison2 |
| 1925- |
3 |
Divison3 North |
| 1926- |
3 |
Divison3 South |
| 1936- |
2 |
Divison2 |
| 1952- |
3 |
Divison3 South |
| 1958- |
4 |
Divison4 |
| 1959- |
3 |
Divison3 |
| 1964- |
2 |
Divison2 |
| 1967- |
1 |
Divison1 |
| 1992- |
1 |
Premier League |
| 2001- |
2 |
Divison1 |
| 2004-- |
2 |
FL Championship |
|
| 備考 |
イングランドのフットボール史上もっとも記憶に残るフリーキックといえば、どれだろうか。
1970年の10月、コヴェントリー・シティがエヴァートンを2-1で下したときのフリーキックがそれだ。
(You Tube で確認するにはここ)
ペナルティボックスの手前でボール横に立ったウィリー・カー(Willie Carr)がかかとでボールをはさんでジャンプ。ボールをリフトした。浮いたボールを助走をつけたアーニー・ハント(Ernie
Hunt)がそのままボレーシュート。ボールは右隅に決まった。
週明けの月曜日にはフットボール好きの少年がそのゴールを真似しようと躍起になった。授業の合間にテニスボールで練習する子供や、公園、空き地、道路の隅などでごみクズを丸めたボールでまねしようとする子供がたくさんいたが、誰も成功しなかった。
コヴェントリーは1967-92の34年間トップディヴィジョンに在籍していた。
だが、公平に見て、これほど長い間トップディヴィジョンにいたクラブで、こんなにインパクトの薄いクラブはない。
1970年の6位というのが最高順位で、あとの嬉しい出来事といえば、降格を免れたということくらいしかない。
クラブが創設されたのは1883年。
だが、1961年にジミー・ヒル(Jimmy Hill)が監督としてやってくるまでコヴェントリーはフットボール界で小さな存在に過ぎなかった。
ジミー・ヒルはフットボール評論家としても有名で、熱い改革者だった。
彼はまずクラブのユニフォームのデザインを変えてしまった。
ユニフォームをスカイブルーと白のストライプにしたのはヒル監督のアイデアだった。
「スカイブルーズ」というクラブのニックネームはここから来ている。
彼の独創的なアイデアはこれだけにとどまらない。現在ではよく見られるアウェーの試合を観戦するための列車を借り切ったのはコヴェントリーが最初だし、最初にマッチデープログラムを作ったのもコヴェントリーだった。
またヒル監督はPRの重要性も意識していた。熱心な若いサポーターには積極的に選手と写真を撮る機会を与えたし、イートン・ボーティング・ソングという歌のメロディに乗せて「The
Sky Blue Song」というクラブの応援歌まで自分で作ってしまった。
革新的なアイデアだけがクローズアップされがちなヒル監督だが、監督としての手腕も確かで、3部相当にいたクラブを2部へ昇格させ、1967年にはクラブ創設以来初となるトップディヴィジョンへとチームを導いた。
コヴェントリーにはヒル監督の革新的アイデアの気質が残っているらしく、新スタジアムのリコー・アレーナでは国内で初となるキャッシュレスシステムを導入した。わざわざ財布からお金を取り出さず物が買えるので、ハーフタイムにありがちなビールを買うための長蛇の列がここでは見られない。
ただしクラブの財政状況は厳しく、2007年には多額の負債を抱え、クラブは行政管理下に置かれた。
そのために勝ち点10ポイントを剥奪されるなど、このシーズンのコヴェントリーは辛い状況だった。
ではクラブがもっとも輝いていた時期はいつだろう。
1987年のFAカップファイナル。この試合は常にトッテナムに先制される苦しいゲームだったが、先制されては追いつき、延長戦でついに3-2と逆転し、見事優勝した。FAカップの歴史に残る優勝だった。
ただし、その2年後にはFAカップ3回戦で、アマチュアリーグのサットン・ユナイテッド(Sutton United)に2-1で敗戦するというお粗末な出来事もあった。
ここ数シーズンのコヴェントリーは監督交代があまりに激しすぎてチームとしてのベクトルが見えない状況になっている(2000年以降9シーズンで12人の監督)。
2005年には日本の企業リコーの名を冠したリコー・アレーナな完成し、試合観戦の舞台は整っている。
クラブのレジェンドは、選手ではなく監督だ。前述のジミー・ヒルはいうまでもなくコヴェントリーの英雄だし、FAカップでクラブを優勝に導いたジョン・シレット(John
Sillet)もサポーターから愛されている。
選手でいうならスティーブ・オグリゾヴィッチ(Steve Ogrizovic)
1984-2000シーズンの間クラブに在籍した彼はGKとして601試合出場というクラブ記録を作った。また1986年にはゴール前のパントキックを直接相手のゴールに決めて得点するという神業をやってのけた。 |
| 画像 |
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| クラブエンブレム |
Jimmy Hill |
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ユニフォーム |
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