Coventry City コヴェントリー・シティ
Championship          
1 Barnsley
2 Blackpool
3 Bristol City
4 Cardiff City
5 Coventry City
6 Crystal Palace
7 Derby County
8 Doncaster Rovers
9 Ipswich Town
10 Leicester City
11 Middlesbrough
12 Newcastle United
13 Nottingham Forest
14 Peterborough United
15 Plymouth Argyle
16 Preston North End
17 Queens Park Rangers
18 Reading
19 Scunthorpe United
20 Sheffield United
21 Sheffield Wednesday
22 Swansea City
23 Watford
24 West Bromwich Albion
クラブ名 Coventry City コヴェントリー・シティ
ニックネーム The Sky Blues ザ・スカイ・ブルーズ
クラブ創立年 1883年
ホームスタジアム Ricoh Arena リコー・アレーナ
収容客数 32609人
ライバルクラブ Aston Villa / Leicester City / Birmingham City / West Bromwich Albion / Wolverhampton Wanderers
クラブ公式HP http://www.ccfc.co.uk/page/Welcome
ファンサイト Lets All Sing Together
Gary Mabbutt's Knee
CovCityFc
所属ディヴィジョン

フットボールリーグの変遷はこちらで参照してください。
所属ディヴィジョン
1919- 2 Divison2
1925- 3 Divison3 North
1926- 3 Divison3 South
1936- 2 Divison2
1952- 3 Divison3 South
1958- 4 Divison4
1959- 3 Divison3
1964- 2 Divison2
1967- 1 Divison1
1992- 1 Premier League
2001- 2 Divison1
2004-- 2 FL Championship
備考  イングランドのフットボール史上もっとも記憶に残るフリーキックといえば、どれだろうか。

 1970年の10月、コヴェントリー・シティがエヴァートンを2-1で下したときのフリーキックがそれだ。
(You Tube で確認するにはここ

 ペナルティボックスの手前でボール横に立ったウィリー・カー(Willie Carr)がかかとでボールをはさんでジャンプ。ボールをリフトした。浮いたボールを助走をつけたアーニー・ハント(Ernie Hunt)がそのままボレーシュート。ボールは右隅に決まった。

 週明けの月曜日にはフットボール好きの少年がそのゴールを真似しようと躍起になった。授業の合間にテニスボールで練習する子供や、公園、空き地、道路の隅などでごみクズを丸めたボールでまねしようとする子供がたくさんいたが、誰も成功しなかった。

 コヴェントリーは1967-92の34年間トップディヴィジョンに在籍していた。

 だが、公平に見て、これほど長い間トップディヴィジョンにいたクラブで、こんなにインパクトの薄いクラブはない。
 1970年の6位というのが最高順位で、あとの嬉しい出来事といえば、降格を免れたということくらいしかない。

 クラブが創設されたのは1883年。
 だが、1961年にジミー・ヒル(Jimmy Hill)が監督としてやってくるまでコヴェントリーはフットボール界で小さな存在に過ぎなかった。

 ジミー・ヒルはフットボール評論家としても有名で、熱い改革者だった。

 彼はまずクラブのユニフォームのデザインを変えてしまった。
 ユニフォームをスカイブルーと白のストライプにしたのはヒル監督のアイデアだった。
 「スカイブルーズ」というクラブのニックネームはここから来ている。

 彼の独創的なアイデアはこれだけにとどまらない。現在ではよく見られるアウェーの試合を観戦するための列車を借り切ったのはコヴェントリーが最初だし、最初にマッチデープログラムを作ったのもコヴェントリーだった。

 またヒル監督はPRの重要性も意識していた。熱心な若いサポーターには積極的に選手と写真を撮る機会を与えたし、イートン・ボーティング・ソングという歌のメロディに乗せて「The Sky Blue Song」というクラブの応援歌まで自分で作ってしまった。

 革新的なアイデアだけがクローズアップされがちなヒル監督だが、監督としての手腕も確かで、3部相当にいたクラブを2部へ昇格させ、1967年にはクラブ創設以来初となるトップディヴィジョンへとチームを導いた。

 コヴェントリーにはヒル監督の革新的アイデアの気質が残っているらしく、新スタジアムのリコー・アレーナでは国内で初となるキャッシュレスシステムを導入した。わざわざ財布からお金を取り出さず物が買えるので、ハーフタイムにありがちなビールを買うための長蛇の列がここでは見られない。

 ただしクラブの財政状況は厳しく、2007年には多額の負債を抱え、クラブは行政管理下に置かれた。
 そのために勝ち点10ポイントを剥奪されるなど、このシーズンのコヴェントリーは辛い状況だった。

 ではクラブがもっとも輝いていた時期はいつだろう。

 1987年のFAカップファイナル。この試合は常にトッテナムに先制される苦しいゲームだったが、先制されては追いつき、延長戦でついに3-2と逆転し、見事優勝した。FAカップの歴史に残る優勝だった。

 ただし、その2年後にはFAカップ3回戦で、アマチュアリーグのサットン・ユナイテッド(Sutton United)に2-1で敗戦するというお粗末な出来事もあった。

 ここ数シーズンのコヴェントリーは監督交代があまりに激しすぎてチームとしてのベクトルが見えない状況になっている(2000年以降9シーズンで12人の監督)。

 2005年には日本の企業リコーの名を冠したリコー・アレーナな完成し、試合観戦の舞台は整っている。

 クラブのレジェンドは、選手ではなく監督だ。前述のジミー・ヒルはいうまでもなくコヴェントリーの英雄だし、FAカップでクラブを優勝に導いたジョン・シレット(John Sillet)もサポーターから愛されている。

 選手でいうならスティーブ・オグリゾヴィッチ(Steve Ogrizovic)

 1984-2000シーズンの間クラブに在籍した彼はGKとして601試合出場というクラブ記録を作った。また1986年にはゴール前のパントキックを直接相手のゴールに決めて得点するという神業をやってのけた。
画像
クラブエンブレム Jimmy Hill
ユニフォーム
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