Blackpool ブラックプール
 Championship          
1 Barnsley
2 Blackpool
3 Bristol City
4 Cardiff City
5 Coventry City
6 Crystal Palace
7 Derby County
8 Doncaster Rovers
9 Ipswich Town
10 Leicester City
11 Middlesbrough
12 Newcastle United
13 Nottingham Forest
14 Peterborough United
15 Plymouth Argyle
16 Preston North End
17 Queens Park Rangers
18 Reading
19 Scunthorpe United
20 Sheffield United
21 Sheffield Wednesday
22 Swansea City
23 Watford
24 West Bromwich Albion
クラブ名 Blackpool ブラックプール
ニックネーム @The Seasiders ザ・シーサイダーズ
ブラックプールの地理に由来
AThe Tangerines ザ・タンジェリンズ
ユニフォームの色に由来
クラブ創立年 1887年
ホームスタジアム Bloomfield Road ブルームフィールド・ロード
収容客数 9491人
ライバルクラブ Preston North End / Burnley
クラブ公式HP http://www.blackpoolfc.co.uk
ファンサイト Vital Blackpool
AVFTT
所属ディヴィジョン

フットボールリーグの変遷はこちらで参照してください。
所属ディヴィジョン
1896- 2 Divison2
1899- 3 Divison2から除外
1900- 2 Divison2
1930- 1 Divison1
1933- 2 Divison2
1937- 1 Divison1
1967- 2 Divison2
1970- 1 Divison1
1971- 2 Divison2
1978- 3 Divison3
1981- 4 Divison4
1985- 3 Divison3
1990- 4 Divison4
1992- 3 Divison3
2000- 4 Divison4
2001- 3 Divison2
2004- 3 FL 1
2007- 2 FL Championship
備考  ブラックプールの歴史は、ユニフォームの色と同じで、とてもカラフルである。

 クラブのオーナーはなんとレイプ犯なのだ。出版界の大物、オーウェン・オイストン(Owen Oyston)は1996年(当時62歳)に、レイプ事件の犯人として逮捕され、6年間の刑務所暮らしを経験している。

 しかし、その事件でオイストンファミリーの富がなくなったわけではない。

 2008年にはオーウェンの息子のカールがクラブのチェアマンに就任し、出所したオーウェンはクラブのディレクターに就任している。オーウェンとカール親子はクラブに1億ポンド以上を投資し、クラブはオイストンファミリーの手中にあった。

 だが、2007年にラトビアの富豪、ヴァレリ・ベロコン(Valeri Belokon)が、その2倍の資金を投入したことで、クラブ内でにおけるパワーバランスは崩れ、現在はベロコンがクラブのトップに君臨している。

 金回りのよい首脳陣を持つブラックプールのサポーターはクラブにもっと資金が投入されるのを楽しみにしてる。

 5年前はクラブの本拠地、ブルームフィールド・ロード(Bloomfield Road)は見るに耐えないシロモノだった。

 イーストスタンドは仮設住宅のようなひどいものだったし、サウススタンドは整地だけはしていたものの、スタンド自体がなく、空き地になっていた。

 2008年に地元のラジオ局が、ついにサウススタンドの建設が今夏始まる、と報じた際にも、クラブはすぐに「サウススタンドの建設に関する報道はまったくの偽物である」との声明を発表した。  
 しかしラトビアの富豪ヴェロコンは、すぐに方向転換。すぐさまサウススタンドの建設に取り掛かることを約束した。

 サポーターはコロコロと変わるクラブの態度に戸惑うばかりだった。これをさかのぼること数年、2006年にもサウススタンドの建設が発表されたが、結局なんのアクションもなかった。90年代には、40000万人収容の新スタジアムへの移転の話が持ち上がってサポーターを大いに喜ばせたが、やはり何もなかった。

 今、ブラックプールは転機を迎えている最中といえるだろう。

 2006-07シーズンにはウェンブリーで行われたヨービルとのプレーオフを制し、念願のディヴィジョン2への昇格を果たした。翌年もなんとかディヴィジョン2に残留し、クラブの黄金時代の再来かという声も聞かれている。

 そのクラブの黄金期とはいつか。

 50年代まで話はさかのぼる。その頃のクラブには二人の偉大なスタン(Stan)がいた。スタン・マシューズ(Stan Matthews)とスタン・モルテンセン(Stan Mortensen)だ。

 彼らのいた1956年にはマンチェスターユナイテッドに次ぐ第2位で、トップディヴィジョンのシーズンを終えているし、6年間で3度のFAカップファイナルに進出している。

 1948年はマンチェスターユナイテッド、1951年はニューカッスル・ユナイテッドに敗戦し、準優勝だったが、1953年には見事FAカップのタイトルを獲得した。
 この1953年のFAカップでは1-3とボルトンにリードされていた状況から、スタン・モルテンセンが奇跡のハットトリックを成し遂げ、逆転勝利を収めるという劇的な試合だった。

 1966年にイングランド代表がワールドカップで優勝した際の最年少メンバー、アラン・ボール(Alan Ball)のキャリアはブラックプールから始まった。
 身長わずか168センチのボールは、小さすぎるという理由でウォルヴァーハンプトン・ワンダラーズやボルトンに入団を断られていた。
 しかしボールの家族が休暇のためにブラックプールへ行った際に、彼の祖父がブラックプールのトライアルを受けさせ、それがきっかけでボールはプロフットボーラーとしてのキャリアをスタートさせることになったのだ。ボールはブラックプールのあと、エヴァートンやアーセナルで活躍し、イングランドフットボールにその名を刻んだ。

 クラブのレジェンドは誰か。
 答えはやはり二人のスタン、とりわけスタン・モルテンセンということになる。

 モルテンセンは317試合で197ゴールという驚異的な数字を残している。スタジアムのノーススタンドには彼の銅像がある。

 またジミー・アームフィールド(Jimmy Armfield)の存在も忘れてはいけない。
 彼はブラックプールで選手として569試合に出場し、引退後はファイブ・ライブ・ラジオの名物評論家として活躍した人物だ。員グラン代表としても43試合に出場し、そのうち15試合でキャプテンを務めている。

 イングランドのクラブのユニフォームが他の国のクラブのユニフォームのモデルとなったケースは多いが、(例:ユベントスはノッツ・カウンティをモデルに、アスレチック・ビルバオはサンダーランドをモデルにしているといわれている)、ブラックプールはその逆だ。
 レフェリーのベルト・ハーグリーブス氏が、オランダ対ベルギーの試合のジャッジを務めたときに、オランダのオレンジ色のユニフォームに感銘を受け、それをクラブのユニフォームに導入したのが、ブラックプールのオレンジ色の始まりだといわれている。
画像
クラブエンブレム Stan Mortensenの銅像
ユニフォーム
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