| クラブ名 |
Blackpool ブラックプール |
| ニックネーム |
@The Seasiders ザ・シーサイダーズ
ブラックプールの地理に由来
AThe Tangerines ザ・タンジェリンズ
ユニフォームの色に由来 |
| クラブ創立年 |
1887年 |
| ホームスタジアム |
Bloomfield Road ブルームフィールド・ロード |
| 収容客数 |
9491人 |
| ライバルクラブ |
Preston North End / Burnley |
| クラブ公式HP |
http://www.blackpoolfc.co.uk |
| ファンサイト |
Vital Blackpool
AVFTT |
所属ディヴィジョン
フットボールリーグの変遷はこちらで参照してください。 |
| 年 |
部 |
所属ディヴィジョン |
| 1896- |
2 |
Divison2 |
| 1899- |
3 |
Divison2から除外 |
| 1900- |
2 |
Divison2 |
| 1930- |
1 |
Divison1 |
| 1933- |
2 |
Divison2 |
| 1937- |
1 |
Divison1 |
| 1967- |
2 |
Divison2 |
| 1970- |
1 |
Divison1 |
| 1971- |
2 |
Divison2 |
| 1978- |
3 |
Divison3 |
| 1981- |
4 |
Divison4 |
| 1985- |
3 |
Divison3 |
| 1990- |
4 |
Divison4 |
| 1992- |
3 |
Divison3 |
| 2000- |
4 |
Divison4 |
| 2001- |
3 |
Divison2 |
| 2004- |
3 |
FL 1 |
| 2007- |
2 |
FL Championship |
|
| 備考 |
ブラックプールの歴史は、ユニフォームの色と同じで、とてもカラフルである。
クラブのオーナーはなんとレイプ犯なのだ。出版界の大物、オーウェン・オイストン(Owen Oyston)は1996年(当時62歳)に、レイプ事件の犯人として逮捕され、6年間の刑務所暮らしを経験している。
しかし、その事件でオイストンファミリーの富がなくなったわけではない。
2008年にはオーウェンの息子のカールがクラブのチェアマンに就任し、出所したオーウェンはクラブのディレクターに就任している。オーウェンとカール親子はクラブに1億ポンド以上を投資し、クラブはオイストンファミリーの手中にあった。
だが、2007年にラトビアの富豪、ヴァレリ・ベロコン(Valeri Belokon)が、その2倍の資金を投入したことで、クラブ内でにおけるパワーバランスは崩れ、現在はベロコンがクラブのトップに君臨している。
金回りのよい首脳陣を持つブラックプールのサポーターはクラブにもっと資金が投入されるのを楽しみにしてる。
5年前はクラブの本拠地、ブルームフィールド・ロード(Bloomfield Road)は見るに耐えないシロモノだった。
イーストスタンドは仮設住宅のようなひどいものだったし、サウススタンドは整地だけはしていたものの、スタンド自体がなく、空き地になっていた。
2008年に地元のラジオ局が、ついにサウススタンドの建設が今夏始まる、と報じた際にも、クラブはすぐに「サウススタンドの建設に関する報道はまったくの偽物である」との声明を発表した。
しかしラトビアの富豪ヴェロコンは、すぐに方向転換。すぐさまサウススタンドの建設に取り掛かることを約束した。
サポーターはコロコロと変わるクラブの態度に戸惑うばかりだった。これをさかのぼること数年、2006年にもサウススタンドの建設が発表されたが、結局なんのアクションもなかった。90年代には、40000万人収容の新スタジアムへの移転の話が持ち上がってサポーターを大いに喜ばせたが、やはり何もなかった。
今、ブラックプールは転機を迎えている最中といえるだろう。
2006-07シーズンにはウェンブリーで行われたヨービルとのプレーオフを制し、念願のディヴィジョン2への昇格を果たした。翌年もなんとかディヴィジョン2に残留し、クラブの黄金時代の再来かという声も聞かれている。
そのクラブの黄金期とはいつか。
50年代まで話はさかのぼる。その頃のクラブには二人の偉大なスタン(Stan)がいた。スタン・マシューズ(Stan Matthews)とスタン・モルテンセン(Stan
Mortensen)だ。
彼らのいた1956年にはマンチェスターユナイテッドに次ぐ第2位で、トップディヴィジョンのシーズンを終えているし、6年間で3度のFAカップファイナルに進出している。
1948年はマンチェスターユナイテッド、1951年はニューカッスル・ユナイテッドに敗戦し、準優勝だったが、1953年には見事FAカップのタイトルを獲得した。
この1953年のFAカップでは1-3とボルトンにリードされていた状況から、スタン・モルテンセンが奇跡のハットトリックを成し遂げ、逆転勝利を収めるという劇的な試合だった。
1966年にイングランド代表がワールドカップで優勝した際の最年少メンバー、アラン・ボール(Alan Ball)のキャリアはブラックプールから始まった。
身長わずか168センチのボールは、小さすぎるという理由でウォルヴァーハンプトン・ワンダラーズやボルトンに入団を断られていた。
しかしボールの家族が休暇のためにブラックプールへ行った際に、彼の祖父がブラックプールのトライアルを受けさせ、それがきっかけでボールはプロフットボーラーとしてのキャリアをスタートさせることになったのだ。ボールはブラックプールのあと、エヴァートンやアーセナルで活躍し、イングランドフットボールにその名を刻んだ。
クラブのレジェンドは誰か。
答えはやはり二人のスタン、とりわけスタン・モルテンセンということになる。
モルテンセンは317試合で197ゴールという驚異的な数字を残している。スタジアムのノーススタンドには彼の銅像がある。
またジミー・アームフィールド(Jimmy Armfield)の存在も忘れてはいけない。
彼はブラックプールで選手として569試合に出場し、引退後はファイブ・ライブ・ラジオの名物評論家として活躍した人物だ。員グラン代表としても43試合に出場し、そのうち15試合でキャプテンを務めている。
イングランドのクラブのユニフォームが他の国のクラブのユニフォームのモデルとなったケースは多いが、(例:ユベントスはノッツ・カウンティをモデルに、アスレチック・ビルバオはサンダーランドをモデルにしているといわれている)、ブラックプールはその逆だ。
レフェリーのベルト・ハーグリーブス氏が、オランダ対ベルギーの試合のジャッジを務めたときに、オランダのオレンジ色のユニフォームに感銘を受け、それをクラブのユニフォームに導入したのが、ブラックプールのオレンジ色の始まりだといわれている。
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| 画像 |
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| クラブエンブレム |
Stan Mortensenの銅像 |
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ユニフォーム |
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