HN:猫
昭和54(1979)年生まれ
静岡県出身
かに座
O型
とにかくまじめなのがとりえ。勉強はきっちりやらないと気がすまない性質だった。おかげで成績はやたらとよかった。静岡県内では少数派だが、中学受験を経験した。問題解決型の授業を行う中学に入学。このころ手塚治虫の『ブラックジャック』に出会い、医者の仕事にあこがれる。しかし一方で、サイエンスのクリエイティビティにもあこがれていた。
静岡県内のそこそこ有名な中学から、そこそこ有名な高校に進学。理数科という、理系に特化した専門科に所属。私立高校に力がない静岡県では、県立高校の理数科がいわゆる「進学コース」となっている。高校では、とにかくサイエンスがしたかった。そこで生物部に所属し、日々トンボを追いかけた。赤トンボの研究で鈴木梅太郎賞や学生科学賞を受賞。鈴木梅太郎は静岡県が輩出した世界に誇る研究者、ということだが、正直それはどうでもよかった。理数科でありながら、クラス全体にサイエンスのアカデミックな雰囲気がないことに不満を持つ。しかたなく、一人黙々と本を読んで勉強していた。勉強は一人でやる派。
大学受験は、東大一本。しかし、浪人する気はさらさらなかった。絶対受かる自信があったらしい。今だったらそんなことは恐ろしくてできない。私立も受験するだろう、普通は。センター試験の点数がよかったために調子に乗って、前期は理三を受験するも、まったく歯が立たなかった。理三に受かったら基礎医学研究者になるつもりでいた。しかし、結局後期の理一で合格して、東京大学に進学。
大学では、まず脳科学にはまった。しかし、同じ脳を研究する上でも方法論をきちんと選ぶことが大切だと気づく。その頃出会ったのがワトソンの「二重らせん」。これで一気に分子生物学にはまる。分子生物学が方法論として強力であることに気づき、生物学に転向した。クラスメイトはほとんど工学部に進学していくのに、ひとり生物系進学を決心する。
当時できたてだった理学系某学科に進学。実は高校時代からその学科には興味を持っていた。進振りの点数は84点くらいだったと記憶している。当時、理一からその学科への進学の底点は60点台だった。今思えばもったいないことをした。が、当時は自分が行きたいところに行くのだからそれでいいのだと思っていた。でもその後、その学科の底点は80点台まで上がっているというから、先見の明があったというべきか。(ちなみに、進振りというのは、大雑把な区分で入学した東大生が専門課程でどの学科に進むかを決める、東大生の一大イベント。1、2年の成績の平均点で決められる。ある学科に入った人の中で、最低の点数をその学科の底点と呼ぶ)
卒業研究中に実験がうまくいかず、かなりテンパる。あとになって当時の実験ノートを見たら、ある日を境にぱったりと書き込みがなくなっていた。そうとうテンパってたらしい。結局ネガティブデータのまま卒研発表をすませ、そのまま同じ研究室で修士課程に進学するも、進学したての5月に大学院に行けなくなる。精神科を受診したところ、うつ状態との診断を下される。服薬でなんとか研究室には行けるようになったものの、まったく実験できず、休学を決心。その間、普通二輪免許を取得したり、事務のバイトをしたりして過ごす。
ある時、大学受験では医学部を目指していたことを思い出し、医学部進学を決心する。教養課程なんてやってられないので、学士編入試験を目指し、勉強を開始した。受験勉強のストレスでうつが再発して半分壊れかけながらもなんとか受験をこなし、なぜか合格してしまい、入学。
しばらく病状は安定していたが、殺人的なスケジュールと解剖学の試験のストレスでまたうつ状態に陥る。解剖学の最終試験はボイコットしたが、追試験をなんとか突破して留年は逃れた。
その後も診断書を提出しては講義の出席を免除してもらうという、ギリギリの医学生生活を送っていたものの、2004年2月のはじめについにダウン。「もう無理はしないほうがいい」というドクターストップがかかり、実家にて療養。
休学して半年ほど実家で療養に専念するも、病状は改善せず、入院。2004年の8月6日から9月30日まで。オリンピックは見逃した。しかしこの入院治療で驚異的な回復をみせ、2005年1月より無事に復学。現在2度目の2年生。先のことはどうなるかわからないが、一応医学生ヅラをしている。 |