札幌版の新聞やタブロイド新聞に、地域ネタのちょっといいなと思う話があります。札幌だけではもったいないので、みなさんにもお伝えします。
出典は主に朝日新聞ですが、北海道の購読者はとても少ないので、宣伝がてら、無断ですが、掲載させていただきます。あしからず。
| 1,怒りの女医さん | 2、団欒のパンを創る | 3、マット・デイモンの顔 |
| 名画座 蠍座の通信より 映画「リプリー」の紹介記事より イタリアがいっぱいだ マット・デイモンは日本の女性たちに人気がない。気の毒なほどである。「グッド・ウィル・ハンティング」以外、主演作はヒットしたためしがない。だが、「ドグマ」という愚作を別にして、見ごたえのある作品が多かった気がするのだが・・・。 わけても「リプリー」の主人公は、難役である。アルバイトのため、出身大学をごまかし、金持ちの息子に近づく男。そこで何もかも自分と対照的な、まぶしいほど美しく陽気な青年を愛してしまう。しかし、求愛は拒まれる。その結果、嘘を背負った自己喪失の旅を始めてしまうのだ。 愛するものに自分も愛されたい。その不安と期待の間を行ったり来たりする心理。結果としての犯罪。サスペンスではあるが、悲痛な孤独の深淵を覗き見させる青春映画である。表面的には華やかな印象だが、深いテーマを伝えてくる映画なのだ。 それでも「ジミー大西顔はイヤ」とおっしゃるなら、せめてその分、ジュ−ド・ロウの輝く美貌で相殺?していただくほかないか・・・・。 |
| 朝日新聞 読者への広報誌 「暮らしの風」東京本社編集 より |
「団欒のパンを創る」 辰濃和男 お客さんが集まるときの食卓にはいつも、父の焼くパンの香りがしてきたものでした、と島津睦子さんがいっている。 睦子さんはNHKの番組「パン工房」などに出演したパンづくりの第一人者だ。 ● 父というのは朝日新聞の大先輩、泉毅一さんである。「いつかぼくの焼いたパンをご馳走したい」と泉さんにいわれ、 それを楽しみにしていたのだが、病状が悪くなって3年前に亡くなった。 泉さんに、パンをつくる楽しさを教えたのは娘の睦子さんだ。ドイツの学校でパンと菓子をつくる勉強を続けた睦子さんの、 最初の生徒になったのが父だった。 父は不器用で、父の焼いたパンは形がそろわなかったりしたけれども、どこか控えめな表情をし、やさしげでかみ しめると深い味わいがありました、と睦子さんは書いている。「パンを焼きながら父とたくさんの話をしました。 『パンを焼くことは自然を育てる事だね』と父がいいました時に、父の焼くパンの心に触れたように思いました。」 ● 古代の人は、パンの記事が自然酵母の力でふくらむのを発見したとき、そこに神の力を見たという。パンをパン たらしめる酵母には市販のイースト菌と、自分の手で日数をかけて育てる自然種とがある。 イースト菌は天然にある酵母菌の中からしっかりした、安定したものを抽出し培養する。酵母菌のいわばエリートだ。 安定していて成績がいいが、個性に乏しい。 自分の手で育てる自然種には、怠けるものもいるし、働き者もいる。雑多な個性が混じる集団で、それをまとめて 仲良くさせてゆくところに、パン作りの基本があり、おもしろさがある。 ● 自然種はその国その土地で性質が違う。睦子さんは、ドイツの自然種を長い間保存し、それを教室の生徒さんにも 分ける。2ヵ月後、みながそれを教室に持ち寄ると、もう性質に変化がある。ラズベリーにかかわる人の自然種には ラズベリーの味が移り、一緒に住む友人の大好物が納豆の場合は納豆菌の味がつく。自然種は微妙に周囲の 影響を受ける。 「ゆたかな自然の残っている地域の自然種は味が良くて、その種でつくったパンは味に深みがあります。」パンの味は 大自然が育てるもので、味には土地の個性がにじみでる。だから、エリートのイースト菌に頼ることが多くなれば、 土地の個性が失われてゆく。 自然種を育てることは子を育てることに似ている。「手をかけすぎると過保護になってパンののびやかさがで にくいんです。大きく見守る人の自然種はいい育ち方をしますね。大切なのは環境に対応する力が備わるように 育てることです。」要は自然の力を信じるということだろう。 ● こね方にも個性が出る。おおらかな人のパンにはやわらかなおいしさがあるが、ズボラな人になると大味になる。 神経質な人のパンは味が濃いが、キチッとしすぎていて肩がこってしまう、と睦子さんがいった。 泉さんの焼くパンは団欒の象徴だった。たくさんの人が泉家に集まり、パンを語り、パン以外のことも語り、あきることが なかった。睦子さんにとっての「パンの原点」は家族の団欒にあった。パンを通じての団欒がいかに楽しいものであるか を人々に伝えること、それが教室を主宰する目的のひとつだ。 |
| 2000.3.2朝日新聞 夕刊 |
| コラム「やあ、ドクターです」 |
| 居酒屋での救命処置 手を貸したのは私です 札幌 しば小児科院長 斯波憲子 忘れられない出来事があります。3年前、少し年上の男性と、小料理屋さんで食事をしていたときのことです。 カウンターの一番奥に連れの男性、そして私が座っていました。そこへ4人の男性の一行が来て、私のとなりに座りました。聞くともなしに耳に入ったことから、一人は教授で、3人は製薬会社の支店長と社員でした。教授はかなりアルコールを召され、声も高く、しだいにろれつが回らなくなってきました。 突然座の空気が一変して、教授は顔も土気色になり、白目をむいておりました。すぐに駆け寄り、食べたものがのどに詰まったと思い、「大きなお皿を出して」と言いながら、背筋を伸ばし、あごを引き上げ、背中を強くたたきました。何度かたたいているうちに幸いに息を吹き返しました。やれやれと胸をなで下ろし、また席に着き互いに会話を再会しました。 やがてとなりのグループが先に席を立ち始めました。まず支店長が私の奥の、連れの男性に名刺を渡し、「先ほどは、どうもありがとうございました」とあいさつしました。連れの男性は「酒の席のことですから気になさらずに」などといって名刺を押し返しました。二人の社員も同様に彼に名刺を渡し、彼は恭しくそれを押し返しました。 教授はあいさつもなく帰ろうとしています(何がおこったかわからないくらい酔っていたと解釈したいものです)。全員手前にいる私のことを完全に無視したままです。 ついに堪忍袋の緒が切れました。「ちょっと待って。いったい誰があの酔っぱらいを助けたと思っているの?わたしはこの連れの人とはいっしょに食事をしているだけで、使われているわけでもなんでもないんですよ。この人はただ突っ立って、わたしのする事を見ていただけじゃないですか。あなたたちの会社は外資系のようだけど、そんなことじゃ国際的に通用しませんね。もしあのとき私が手を貸さなければどうなったか、考えてごらんなさい」 連れの男性にも、「あなたもなぜ”私はなにもしていません。お礼はこちらに”くらい言えないのですか。しかも酒の席のことだから、お構いなくとはなんですか。私は救命処置をしたんですよ」と言い、あとを見ずに立ち去りました。 その男性と二度と食事はせず、その製薬会社の薬品は二度と使わなくなったのはいうまでもありません。 |
このコラムは何人かの医師が書いています。斯波先生は以前「休日担当医のはなし」を書いていらして、なるほどねー・・と思ったことがありました。 斯波先生かっこいいー!! しば小児科はうちの近所にあるので、機会があったらご尊顔を拝したいとおもいます。でも、こどもが大きくなって丈夫になってしまったので(?)チャンスは訪れそうにありません。 |