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2011年4月24日更新
陶器芸術家 村岡 一生(むらおか いっせい)のサイトへようこそ!
陶器芸術家 村岡 一生のホームページです。備前市の備前焼陶芸センターを終了後、18年間の陶工期間を経て2004年築窯、2006年初窯、2007年初個展。器からオブジェまで多様な作品を手がける中、窖窯と独自の酸化焼成を駆使して、理想の色とフォルムを追求しております。
| 最新情報 | 陶風/目標 | これまで/これから |
| 窯出し情報 | 最新新聞掲載記事 |
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| 日数が残り僅かとなりました。お買い物の帰りにお気軽にお立ち寄りになってみてください。 |
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| 会場: | 岡山ルネサンス (アート&カフェ ラフェール) 〒700‐0823 岡山市丸の内2‐7‐7(林原美術館北側) ルネサンスビル1F Phone:086-225-4700 |
| アクセス: | 岡山電気軌道で 県庁通りまたは城下で下車 ●JR岡山駅から 桃太郎大通りを東へ。路面電車 城下駅下車。シンフォニーホール北東の交差点を東に進み、 市民会館の前を通過。RSK山陽放送の南西の交差点を左折。そこから東へ約50m。 ●県庁通りから 岡山県庁の北西の交差点を左折。林原美術館の前を通過し、左カーブをそのまま西へ約50m。 |
| 駐車場: | あり(10台程度) |
詳しい地図| |
2010/5/22~5/29 雑木のみで食器を中心に酸化焼成しました。 |
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修了致しました。以後、展示室にて常設展示致します。(要予約) |
最新新聞掲載記事
2010年10月5日 山陽新聞 津山版 作州ワイド掲載記事(左端)

2010年10月1日 津山朝日新聞 掲載記事(下段中央)

伝統を手本に約18年間陶工として磨いた技を根本とし、ロクロで器から裸婦オブジェまで、理想とするフォルムを表現しています。
伝統技術を継承してきましたが、伝統の枠だけに留まることはできません。現代空間に必要とされる独自の備前現代陶芸を模索し提案しています。
陶工時代120回を超える窯焚きの経験から、備前焼の原点である半地下式窖窯(あながま)で独自の酸化焼成をすることで、理想とする色を生み出すことができると確信しています。
艶やかで水明の如く乱反射する、澄み切った光沢のある多彩な色調の自然釉、宇宙空間をイメージする「銀河ブラック」と自ら命名した黒色を、また、窖窯の力強く燃え上がる酸化炎を作品に写し出した、緋色と鮮明な白地の抜けのコントラストを狙っています。
孤高の中で自分を信じ、生涯を捧げて大きなリスクを背負いながら追求し、作品に人生を写し出すことで、現代に精一杯生きた証を打ち立てたい一心です。
闇の先には光がある
岐阜県多治見市市之倉の幸兵衛窯の弟子
陶芸人生の初まりは捨てきれない芸術への幼い時からの想いが、片道切符で幸兵衛窯に飛び込ませたのが始まり。陶壁制作、絵付けの下手間が主な仕事だった。しかし一生傘の下での安泰に違和感を感じ、また、焼き締め陶の魅力に目覚め28歳で帰岡。
備前陶芸センターへ
備前焼を学ぶ為、陶芸センターへ入所し、夕方からは学費と生活費を捻出する為、また、ロクロの修行の為、ロクロを買い安アパートにシートを敷き、窯元に頼み込んで湯のみ、ぐい飲みから賃仕事を始めた。生活の為「1個でも多く」と思いながら毎日、床に着く迄ロクロを回し続けた部屋も泥だらけの貧乏生活。
備前焼の陶工として
陶芸センター研修を終えてからは、とにかく生活の為、仕事を増やす為、少々安くとも賃仕事、窯焚きをして食い繋いだ。器は毎日100個単位で仕上げないと日当も出せない世界。何でも何万個と作っただろうか。掛け持ちの夜の窯焚きは年8回、計120回は焚いただろうか。何処まで行っても駄賃程度の使い捨て便利屋裏方作業。陶芸が孤独で苦しいだけで食い繋ぐだけの仕事になっていた。
もう限界
「残りの人生は自分の作品創りがしたい!」窯を借りて焼いて勉強もしてみたが、自分の窯がなければ自由な作品創りもできなかった。借りることもできない独立資金。「このまま作品創りができず一生を終えるのか!」「こんなことの為に陶芸を始めたのではない!」生き抜くことが精一杯で夢を失いかけていた。
夢と希望を捨てたら死んだと同じ
「死ぬ位なら一番安い土地を探し、安い中古品、廃材で一生をかけても夢に向かい窯と工房を絶対に作ろう!」
窯の土地
半年かけて見付けた北向きの、狭くて水もない荒れた山の一角。「いいではないか!窯さえできれば!」買って直ぐに始めた伐採、造成、石垣造り。「やるしかない!」で始めた初めての作業。「何でもできる」という積年の想い。草刈りもチェンソーもユンボも石垣造りも覚えた4ヶ月。とにかく寒かった。自分で切り開いた土地は広く見えた。
窯屋根造り
近くの山でヒノキを伐採し、建築廃材を集め、木造建築の教科書を買い勉強し、丸太で素人、当て大工で建てた4ヶ月。完成した大屋根は壮大に見えた。大屋根を仰ぎ泣いていた。真夏の炎天下、完成した大屋根の下の日陰が有り難かった。電気も引き大屋根に灯りが点いた。
さあ造ろう!この熊山に備前焼の原点あな窯を!
長年の窯焚きの経験から決まっていた、理想とする半地下式あな窯の設計図を書いた。その築窯作業は途方もなく時間のかかる、終わりの見えて来ない苦しい1年半年だった。果てしない作業の末、完成したあな窯は「最高の作品」に見えた。気が遠く苦しい日々、今日明日の作業だけ考え、「作業した分は必ず前に進んでいるんだ!」と 言い聞かせながら毎日を乗り切った。毎日が苦しいと今日が精一杯で昨日の事など考える余裕などなかった。今日の苦しみは寝れば忘れ、過ぎ去るのだ。
小さな家造り
住んでいた借家は床は下がり、天井は所々抜け落ち雨漏りが酷くなり、築窯中に借家を年内に出るよう言い渡された。あな窯完成後直ぐに廃材を集め、また木造建築の本を参考に小さな家を造り始めた。完成が年内に間に合わず、大晦日の引っ越しをし、1ヶ月窯の中で過ごした。真冬の窯の中は寒かったが4ヶ月で小さな家も完成した。小さくとも家賃の要らない家が可愛い城と思えた。
工房造り
近所で20年以上経った鉄骨スレートの作業場が取り壊されることになり、鉄骨の組み立てだけ重機で移転する依頼をした。しかしサビ落とし、サビ止め、中古スレート張りに1年を要した。足場もなく毎日危険な作業だった。ロクロ座と作業台も造り、最低限の工房はできた。
窯の空焚きの燃料、初窯の燃料
窯の燃料を3ヶ月間、山で雑木の伐採を行い薪を作った。竹を切り、窯の空焚きも1昼夜行った。空焚きで窯の中を駆け抜ける炎は初窯への夢を高揚させた。
念願の初窯作品造り
陶芸を始めて18年で漕ぎ着けた作品創り。何処を見ても手造りの物ばかり。苦しかった日々が走馬灯のように脳裏を過ぎる。その意地と執念で辿り着いた心がテーマ「魂の炎」を創らせた。
初窯焼成
制作に半年、窯詰め2週間、前代未聞の常識破りな雑木のみで1週間、酸化焼成した。毎日2時間程の睡眠で焚き続けた初窯。神棚を取り付け、神主と祈願した窯の神様、火の神様に手を合わせ感謝していた。無事に火を止めることができたことに。同時に動けず一人泣いていた。
初窯出し
死んだように寝て5日後、初窯出しした。随分永かった。18年越しの夢の実現。窯から出て来た作品は見たことのない光沢に包まれ、無意識の涙の中で美しい光を放ち輝いていた。
2回目の作品制作
孤独の作品創りの中、毎日暗闇の中で断崖絶壁に立つ自身に大きな波が押し寄せ、目の前で砕け散る波濤となる映像が脳裏を過る。次第に神様が「この像を創り現しなさい。」と言っているように思えて来て、制作したのはテーマ「荒海」である。
荒波…浮き世、孤独、苦しみとの格闘の姿。
岩…自身、不動の姿